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2006年6 月30日 (金)

紙は石なり

  山形県酒田市立平田中学校から学校新聞「平中タイムス」の4,5,6月号が届いた。
先日、同県鶴岡市で開かれた全新研(全国新聞教育研究協議会)のOB組織「パピルス」総会に招かれて参加した際に出会った同中の新聞部担当教師が送ってくれたものだ。B4判4ページ(5月号は6ページ)。パソコン製作のカラー刷りだ。「最近は外見だけはきれいになったからなあ」と思いつつ一通り目を通して驚いた。

この心が震えるような読後感は何なんだろう。熱血? 充実? いや少し違うな。このひたむきでちょっぴり甘酸っぱい感覚はなんだったっけ。そうか、青春だ・・・。

平中タイムスは夢と希望と正義に満ち溢れる新聞だった。まあ一般紙もそういうことにはなっているが本気度がまるで違う。平中タイムス新聞部員は学校を,世の中を本当に良くしなくては、良くできると信じ切って紙面を作っている。それは新聞の紙面審査委員として眼光紙背に徹する読み方を修練して来た者として保証していい。

社会部に「ペーパー・イズ・ストーン」が口癖の先輩がいた。直訳すれば「紙は石なり」。その意味合いは「新聞は意思によって作るものなり」。その先輩は「スタンス(自己の立ち位置)」、「スケルトン(座標軸)」なども口癖だった。後輩としては「新聞は作り手の意思が反映されるものなんだな」とそれなりに含蓄のある言葉として心に刻んでいた。

しかし、平中タイムスの紙面からにじみ出るのは、そういうレトリックを超えた生一本で真っ向唐竹割り的な「意思」である。さすがに全国小・中学校・PTA新聞コンクール(毎日新聞社、全新研共催)で2年連続内閣総理大臣賞を獲得するだけのことはあると感動した。編集部諸君にぜひとも紙面批評を送ってあげたい。できれば会ってみたい連中だ。

「ご当地検定」続々

  地域の歴史や文化についての知識を問う「ご当地検定」が急速に増えている(30日読売第3社会面)。元祖は03年スタートの「東京シティガイド検定」(東京観光財団)や04年の「京都・観光文化検定」(京都商工会議所)。これまでに27検定に増え、さらに計画中を含めると60検定に上る。学校の教育現場に取り入れられるケースも出てきた。石川県小松市の県立小松商業高校では2月、「ふるさと小松検定」を実施した。3年生が問題を作成したもので、全校生徒475人と市民ら約600人が受験した。「地元の歴史などを調べて問題を作るのが勉強になった。問題を年配の人が一生懸命に解く姿を目の当たりにして涙ぐむ生徒もいた」と同校関係者は話している。

  <コメント>
  検定ブームである。簿記や英語、漢字などに加えて世界遺産や映画も検定の対象になっている。読売は「ご当地検定」ブームについて実施する側から背景を分析し、地域活性化という目的をクローズアップしている。これを参加者の側から考えた場合、一種の生涯学習ブームが起きているということができるのではないか。検定は合格か不合格か結果が明確、しかも初級から上級まで段階を追ってチャレンジすることが可能だ。そこに達成感を味わうことになる。達成感は学習意欲を呼び起こす大きな要因だ。

文科省は03年から「学びんピック」という事業を展開している。民間が行う全国規模のコンクールなどを文科省認定のお墨付き事業に認定し、文科省も普及宣伝に一役買う仕組み。06年度は62大会が認定された。これも検定ブームと通底する施策と言えるだろう。

2006年6 月28日 (水)

女性の歳と取材の心得

  神奈川県の小学校に電話を入れて女性教諭から新聞教育の実践について取材した。あらかた取材が終わった段階で「先生は教職歴何年ですか?」と聞くと「20年です」の答え。「では42歳ですか?」と詰めると「えっ! 年齢ですか?」の返事。「歳はやめていただけませんか」と言われてしまった。仕方ないから記事では教職歴で表現するが、取材としては不完全で落第だ。

  最初から歳を聞くと警戒されるから、まず教職何年か聞くのがひとつのテクニック。先生は教職歴を問われるとまず百人が百人とも素直に反応する。その上で歳を聞けば「ああ、ばれちゃいましたね」となるのだが、そうでなくとも歴が分かれば少なくともだいたいの年齢は推測できる。新人かベテランかは、先生について書く記事では最低限の必須事項である。教えることと年齢は密接不可分の関係にあるからだ。

 先生に限らず「人間」を書く社会面の記事で年齢は記事の必須ファクターと言っていい。しかし、基本的な個人情報である年齢を聞きだすことはなかなか難しいし、記事に書くことを納得させられない場合もある。女性の場合はなおさらだ。そこでテクニックが必要となるが、最後は人間的な信頼関係が決め手となる。相手に取材者の意図を納得させ、その上で人間的な信頼を獲得すれば相手は年齢を明かし。書かれることに同意する。そこが半煮えだと取材が完結しない。今日の神奈川のケースは電話取材で、しかも相手が出かける直前で時間がなかったこともあるが、少し腕が鈍ってきたのではと反省した。

割れる社説:教員免許に更新制導入

 中央教育審議会の教員養成部会が、教員免許を現教員109万人も含めて10年更新制にする答申案をまとめた。これを受けて28日朝刊は朝日、毎日両紙が社説を掲載した。朝日は免許更新制導入に反対。弊害が多く予想され、ダメ教師対策は都道府県・政令指定都市に設けられている教員指導力判定会議の活用や研修の強化で対応するべきだと主張する。毎日は更新制そのものには反対せず、教員の養成・採用・研修の在り方全体を見通した改革が必要だとした。毎日は免許制導入が行政の教員支配強化につながるのではないかという点には全く言及していないが、朝日は「更新制の副作用として、教育委員会が気に入らない教員を落としてしまうのではないか、ということも考えられる」と主張している。

 <コメント>
両紙の主張は一見大差ないように見えて大きく違う。そのポイントは、教員への国家統制の強化に対する危惧を前面に出すか出さないかにある。その意味で毎日社説は楽観的過ぎる、というか最大の争点に触れていないのは意図的なのか不勉強なのか。一方、朝日社説は文科省→地教委→現場の構図を図式化し過ぎている感が強い。更新制の副作用として地教委の恣意的判断を挙げるなら、実証的に言わなくてはいけない。

ただ、前回この欄で取り上げた際にコメントした内容は次のようなものだった。「たかだか30時間ぐらいの講習でダメ先生が優良先生になるものだろうか?とすれば更新制は教師支配のきれいなピラミッドを構築するための仕掛けの強化であると言えなくもない。そういう危ない仕組みを作るよりも、ダメ先生をスピーディに合理的に教壇から追い出す方法を考えるべきだ」。朝日社説と酷似した論理構成だ。当方も主張を裏付ける調査報道に力を尽くす必要があるが、大組織の報道機関に一義的には期待したい。毎日も朝日も、教員の養成・採用・人事の各局面での「教師と権力」の関係を調査し報道してほしい。

2006年6 月27日 (火)

ことばの力

  自宅の最寄り駅前にある小さな本屋さんで「日本語・ことば」コーナーがあるのに気付いた。30冊ほどの本をまとめてある。「読むチカラ」「書く力」は出版社は違うが共に斎藤孝氏の本。そのほか「日常茶飯語」「問題な日本語」などが並んでいる。狭いスペースで破格の扱いだ。しかも裏に回ったら平積みでも言葉関係の文庫本が5,6種類置いてある。その中から「祖国とは国語」(藤原正彦氏)、「いい言葉は、いい人生をつくる」(斎藤茂太氏)、「続・いい言葉は、いい人生をつくる」(同)を買い求めた。

  「ブームはいつごろからですか」。店員さんに尋ねると、ベテラン風の男性店員は「ブームということでしたら、もうだいぶ前からです。まあ、ブームというか作者の人気で売れているということですかね。斎藤孝とか藤原正彦とか」と言う。そういえば自分も藤原氏の本を見て歩いてこのコーナーに気付いたのだった。

  確かに作家個人の売れ筋現象かもしれないが、日本語・ことばブームの背景には明確な社会意識があるように思う。それはまさに、藤原氏がいみじくも表現したように「祖国とは国語なり」ではないか。社会が漂流しているという感覚は日本国民の中でますます強まっている。その裏返しとして国や民族の紐帯としての言葉に目が向くのだろう。言葉が社会再建の礎になっておかしくない。

新聞づくりで作文力向上;読売ジュニア新聞

 読売27日朝刊19面<教育面>は同社中部支社が展開している「読売ジュニア新聞」発行を評価する記事を掲載した。同支社内に編集室を置き、昨年11月から週1回のペースで発行している。新聞の体裁については触れていないが、小中学生のジュニア記者が書いた記事を基にプロの記者がまとめる形を取っているようだ。最新の30号のジュニア特派員は愛知県一宮市立貴船小5年1組37人。三菱電機稲沢製作所を訪問し、同社が世界で初めて開発したらせん型エスカレーターなどを取材した。

この読売ジュニア新聞は昨年の愛知万博で「読売地球新聞・ジュニア版」を発行したのがきっかけで始まった。万博のジュニア版に参加した同県瀬戸市立道泉小、橋本昌典教諭は今月17日に愛知教育大で開かれた同大地理学会大会で体験を報告。「限られた時間に、決められた字数の原稿を仕上げることで、子どもらは緊張したが、この体験のおかげで作文力が向上した」などと指摘した。

<コメント>◎新聞社らしいNIE教育◎
  自社イベントの宣伝臭がなくもないが、教諭の学会発表を前面に出した記事構成の苦心を評価したい。NIE(ニュースペーパー・イン・エデュケーション=教育に新聞を)活動に取り組む新聞各社は、新聞を子どもに読ませる活動に力を入れがちだが、読売ジュニア紙は「新聞を作る」ことで新聞への興味・関心を呼び起こそうという試み。併せて体験的な学習効果も狙っている。プロ記者が手を加えることで記事の着眼点、書き方を教えているが、参加した教諭はそれによって作文力が向上する効果もあったと発表した。新聞社は教育現場との共同研究を進めつつ、「新聞づくり」NIEにもっと力を入れるべきだ。

2006年6 月24日 (土)

高1長男逮捕;奈良3人死亡火災

  奈良県田原本町の医師(47)宅が20日早朝に全焼し、妻の医師(38)、小2の二男(7)、保育園児の長女(5)が焼死した火事で、警察は私立高校1年の長男(16)を殺人、放火の疑いで逮捕した。

各紙の報道を総合すると、両親は約10年前に再婚、長男だけが先妻の子だった。小さいころから父の職業である医師にあこがれ、父親もかなりのスパルタ教育で臨んでいたようだ。関西でも名の通った中高一貫の私学に見事合格したが中学1,2年時代には母親とぶつかり合うこともあった。最近は歩いて10数分のところにある祖父母の家で暮らしていた。秀才でスポーツマンだった長男も高校では成績も真ん中あたり。「こんな成績で希望の医学部に行けるだろうか」と悩んでいたという。放火したその日は中間試験の成績を渡す「学生保護者会」の日だった。長男は調べに対し「父親から成績で強くしかられた。暴力も受けた」と供述、母親については「日ごろからささいなことを父親に告げ口する」と不満を漏らしている。10日ほど前、父親を殺そうと部屋の前まで行ったが気付かれて果たせなかった、とも供述しているという。

<コメント>◎気になる学校の立場◎
またまた家庭内殺人事件が起きました。昨年6月には東京都板橋区の社員寮管理人の両親を高1長男が殺し、放火。今年1月には盛岡市で高1男子生徒が母親を殺害。3月には東京都世田谷区で中2男子生徒が自宅マンションに放火、生後2カ月の妹を殺害、父親らに重症を負わせる事件が発生しています。それぞれの事件は直接の動機も背景も異なりますが、家族の崩壊現象が進んでいることを強く印象付けています。今回の奈良の事件は、子どもに期待しすぎる厳しい父親といわゆる継母の存在が大きいと誰もが直感しているのではないでしょうか。長男の父親に対する殺意がなぜ、母親や幼い弟、妹に向かったのかはナゾで今後の調べを待たなくてはいけませんが、大筋の原因は見えているような気がします。

こうした事件のときに気になるのは学校の立場。大学生にまでなってしまえば別ですが、高校生段階までは学校にこうした事件の防止能力が求められがち。今回も私立高側が記者会見でいろいろ述べていますが、決局、ほとんど何も把握していなかったといういことに過ぎないように思えます。しっかり記録に残っているのは成績ぐらいしかなく、校長が「成績は緩やかな上昇カーブを描いていた」と力説する姿が空しく見えました。中高一貫教育といっても要は成績だけ、と言うのは酷に過ぎるでしょうが、公私を問わず、高校ぐらいまでは生徒の人間的把握をしっかり行うことをもっと強く求めるべきではないでしょうか。それで類似事件が完全に防げるとは思えませんが、見えないところで抑止効果を発揮したり、再発防止の知恵を絞る参考にはなるのではないでしょうか。

2006年6 月23日 (金)

神風は吹かなかった;ブラジル戦

  当たり前のことだが、奇跡が起きるはずがない、ということはブラジル戦の中継を見て痛感した。サッカーは組織(イレブン)対組織の戦いであり、個人技の奇跡が起きにくいスポーツだ。もともと勝ち目がないということは自明のことではなかったか。

  であるにもかかわらず、マスコミの事前の論調は「神州不滅」だった。一般紙を含めてそうだった。多分、スポーツの祭典で冷や水をかけることもあるまい、ぐらいの編集判断だったと思う。ところが、未明のテレビ中継が20%を超えたように、「きっと神風が吹くかもしれない」と思い込む人が多かったのではなかろうか。つまりW杯は社会現象になっていた。であるとすれば、新聞は真実をもっと書かなくてはいけなかった。それが、勝負が終わってから「世界の笑いもの」と書いてもしかたがない。

  日本がW杯で惨敗した23日、沖縄・摩文仁の丘では沖縄戦戦没者の霊を慰める「慰霊の日」行事が小泉首相が出席して行われていた。今から61年前に負けた太平洋戦争で日本では唯一対米地上戦の戦場となったのが沖縄だった。そこまで国民を引っ張っていった張本人は「神州不滅」を喧伝した新聞そのものではなかったか。

  たかがサッカーではあったけれども、そんな思いを抱かせた試合だった。

2006年6 月22日 (木)

福井さんは辞めるべきだ

 「これで株を買ったら新聞記者としてまずいだろうな」という場面が何度かあった。インサイダーというやつである。新聞が市場操作の道具と化す様な事件がもし明るみに出れば、その新聞はたぶん生き残るわけにはいくまい。そんな誤解を招きかねない行為に手を染めることは記者としてブレーキがかかって当たり前だ。そういう観点から福井俊彦日銀総裁の利殖問題を見ていると、福井さんの不誠実な言い逃れは許しがたいと感じる。

  「ニュースが分からん」という奇妙な企画をやっている朝日新聞が「分からん」コーナーで日銀総裁とは?というのをやっていた。読んでみればなるほど日銀総裁というのは地味だが大事な仕事だ。言ってみればおカネのことの総元締めである。元締めというのは力だけではだめで正義と道徳を体現していなくては真の元締めとは言えまい。福井さんの行為はその規範に著しくはずれていないか。

1000万円運用して1473万円も儲かる話が危なくないはずがない。案の定そんなに儲けさせてくれた村上ファンドの化けの皮がはがされた。日銀総裁が後ろ暗いカネを懐にしていいのか。少なくとも3年前日銀総裁に就任する際に村上ファンドとは手を切る必要があった。おカネの元締めとしての意識があれば事件化する前であってもそうした行動に出たはずだ。「当初から利益を得るつもりがないので利殖行為に当たらない」というのもたいした詭弁だ。「そんなのウソだい」と子どもでも言うだろう。ウソつきはドロボウの始まりだから、それだけでも福井さんが職にとどまっては子どもへの悪意影は極まりない。

 異例のゼロ金利政策で零細な生活者をいじめ、銀行ばかり良い思いをさせてきた人、というのが我々庶民の日銀総裁観である。その裏で自分だけいい思いをしていたというのではまさに悪代官のイメージそのものではないか。政府もこぞって福井氏擁護に回るのを見ていると、いったいこの日本はどこへ行ってしまうのか、と嘆きたくなる。
読売の緊急調査によると「福井総裁は辞任を」という人が4割いたという(22日朝刊1面)。むしろ低すぎる数字に思える。

「さすまた」半数が装備;学校安全調査

  各紙22日朝刊は文科省の学校安全調査結果を大きく報じた。調査は国公私立の幼稚園から高校まで約5万3000校全てを対象にしたいわゆる悉皆(しっかい)調査で昨年に続いて2回目。

1面で取り上げた読売は、今回初めて調査項目に加わった「防犯器具」に注目。何らかの器具を装備しているのは幼稚園約61%、小学校78%、中学校約63%、高校約40%だと紹介。器具別で最も多いのは「さすまた」(先端がU字型の棒で侵入者を制圧するのに使う)で約52%、次いで警杖(けいじょう)約16%、催涙スプレー約15%となっている。「教職員が実際に使う訓練も各地で進んでいる」という文科省幹部の話も伝えている。同紙は対社面で「子どもは地域が守る」運動も着実に広がっていることも紹介した。今回の調査では地域ボランティアによる巡回・警備を行っている学校は全体の約49%、小学校は約64%にも達することが分かった。

  朝日はソフト面での対応が遅れていることを指摘した(3面)。子ども向けの防犯訓練をした学校は昨年比3.1%増の69.8%、通学路の安全マップを作成したのは3.7%増の60.3%にとどまったと問題視している。毎日は8割の学校が危機管理マニュアルを作成していることに着目、「マニュアルや防犯教室の実施は多額の費用がかかるわけではないので100%の実施を目指してほしい」との文科省の意向を紹介している。

<コメント>
 「さすまた」と言えば「御用だ、御用だ」の時代劇で捕り方が犯人逮捕に使うのを見ることがある。学校に不審者が侵入して起こす惨劇が相次いだため導入する学校が増えた。職員室や校長室に「さすまた」が鎮座する光景は笑える、というと不謹慎だが、教育現場にはなじまない道具であるのは間違いない。それだけ事態が深刻なのだ。年に1,2度「さすまた」訓練をする学校も多いのだが、先生方と話すと実効性に疑問を持っている方が多い。女性教師はもちろんだが、男の先生でも「いざとなって使えるかどうか…」。当たり前だろう。先生は捕り方ではない。

  調査結果を見て思うのは、なんと膨大なエネルギーを強いられているかということだ。しかも、いずれも対処療法であって確実に犯罪を抑止できるわけではない。学校・通学路安全の手を緩めるわけにはいかないが、同時に警察治安力の向上や地域の防犯意識の高揚にどう取り組むか、長期的な対応が必要だろう。そして最も基本的には、どこかおかしくなりすぎてきた人と社会の在りようをどうするか日本人全員が真剣に考えることが求められているのだろう。