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2009年6 月21日 (日)

タラコの心臓~入院前夜

随分と報告が遅くなりました。

タラコの手術は無事終わりました。4ヶ月たち、すごく元気になりました。胸の傷周辺の痛みも最近ようやく消えたようで、体操もガンガンにやっています。

10月のカテーテル検査に始まり、怒涛の秋冬でした。この数ヶ月で経験したことは、あまりに重くて、これまでに何度も書こうとしましたが書けませんでした。
ですが、少しずつ、記録に残すことにします。

11月の検査で手術を決めてから、ちゃんと眠れた日はなかったように思います。暗闇の天井から不安が押し寄せてくるのです。
風邪を引かせてはいけないと、布団をはいでいないかばかり気になって、神経が冴えてしまうのです。
年末は年賀状を書く気力も起きず、大掃除をする気にもならず、だるい体を引きずって、最低限の家事と、以前から引き受けていた書き物の仕事をやるのが精一杯。

そしてとうとう入院の前日、お風呂で湯船にいっしょにつかりながら思いました。あぁ・・・傷のないつるりんとしたこの胸で、うちのお風呂に入るのは今日が最後なんだな・・・って。
そんなことはタラコは知らず、大好きな「プリキュア」(幼い女の子に絶大な人気のアニメヒーロー)のポーズをとって大はしゃぎ。
私は笑いながら、でもずっとタラコの胸を見ていました。お湯をかけるふりして、なでました。あと数日後、この胸にメスが刺さることを思うと涙が溢れてきて、お湯をすくっては顔を洗いました。
そうだ、つるりんとしたきれいな胸の姿の写真をとろう、と思い立ち、風呂から居間の夫に呼びかけてみたら、面倒臭そうな返事・・・。私の気持ちなどわかるまい。それ以上頼むのをやめました。
「プリキュアのポーズがかわいいから撮らせて!」と言ったら、いつもは写真嫌いで逃げ回るタラコが、機嫌よく、たくさん撮らせてくれました。
デジカメって本当に便利。フィルムカメラじゃ、やっぱり写真屋さんに現像を出しにくいし。

そして、タラコに「明日から入院するけど、お母さんも一緒だから平気だよ」と言い聞かせました。
「注射するときはお母さんぜったい部屋から出て行かないでね。お母さんがいっしょならがんばれるって、わたし、先生に言うから」。

・・・・10月の検査入院のとき、点滴の針を刺すために処置室に連れて行かれ、母親は部屋の外で待つようにと戸を閉められました。そのときのタラコの抵抗は凄まじかった・・・。
「お母さん!お母さん!いやだーっ。お母さんがいなきゃ注射しないーーーーー!お母さんを出さないでーーー!お母さんがいっしょなら私がんばるってお約束するからーーーーー!!!」と絶叫がとどろき続けました。
先生に激しく抵抗しているらしく、暴れている音が聞こえてくるのです。私は涙がこらえられませんでした。自分はこれから何をされるんだろう・・という不安と恐怖で、ただの注射すら受け入れられないその心が痛くて痛くて。
結局、特別に私は部屋の中に呼ばれました。
顔が真っ赤っかに泣き腫れて汗まみれのタラコと、額から汗が噴出して根負けした若い男の先生と看護婦さん。
このことが、よほどのトラウマになり、退院してから、より甘えが強くなり、私のそばを離れなくなりました・・・・。

不安でした。注射1本にあれだけ恐怖を感じているタラコが、手術の前などどうなるんだろうか・・・と。神経が高ぶって、麻酔が効かなかったら・・・。
でも「だいじょうぶ。だいじょうぶ。先生にお願いして、いっしょにいていいよ、というところはお母さん絶対一緒にいるからね。」
とにかく励ますしか、他にできることがないのです。
他の話題に切り替えて、風呂からあがり、無事に寝かすことができました。
そして私は、入院の荷物の確認、書き物の仕事をできる限りまで、そして特に急ぎでもない片付け・・・。
その晩、私は、窓の外がほの明るくなるまで、何だか布団に入れませんでした。
暗闇が怖かったのかもしれません。

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コメント

タラコちゃんの記事をずっと読ませて頂いていました。心配してましたが、今回、知りたかった顛末をやっと読めました。思わず涙があふれて「ガンバレ、タラコちゃん」のエールを送るため、何かしなければいけないと思いました。
人にはいろいろな人生があり、私の体験など大したことがないくらい大変な思いをされた方もいるでしょうけど。私は、小学3年生の時(1954年)に病名も確かではないのですが、一応「昏睡性日本脳炎」と診断されました。40度を超える高熱が連日続き、ただ眠く、母親に起こされて何かを食べさせられるのが苦痛でした。
大学病院の隔離病棟、治療は脊髄注射でした。馬の注射器みたいな太いのを腰から挿しますが、上手く脊髄に刺さらない時はやり直します。体温計は測定範囲を越えるために寒暖計を使用していました。そんな折、三途の川の光景も見ました。
その後、治療の甲斐があったのか意識が戻って、冷静になってつくづく思いました。母親はずーと付き添ってくれましたし、どこで入手したのか分かりませんが、冷えたトマトに砂糖を載せたのをよく食べさせてくれました。戦後のどさくさ時期で費用も大変だったろうと推測します。
今でも、本当にあなたは偉いと思います。どこにあのエネルギーがあったのだろうか、私は64年間生きてきましたが、あなたを超える人は出現しません。その母親は、私が二十歳の時に白血病で亡くなりました。

タラコちゃんの人生もこれからいろいろあることでしょう。でも、今の経験が決してマイナスでないことは、先輩として断言します。がんばって元気になりましょう!!!!

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