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2006年11 月18日 (土)

難しい子どもの自殺捜査・取材

 そのころ僕は教育取材班に属して「こどもの自殺」を追っていた。全国最年少の小5自殺の取材で現地に飛んだ。新聞の一報は「動機不明」。まずは飛び込んだ地元警察署の刑事課で、たまたま居合わせたのがその刑事だった。50歳を少し過ぎたぐらいか。事情を言うと彼は「ワイが担当したけど、無理や。やめとき」と、取り付くしまもない。

それから丸3日。「いじめられていた」「先生にも」という有力情報を得て徹底的に周囲を洗った。夜中に訪ねあてた担任女教師の家は岬のはずれ。「東京から記者さんが見えたよ。はよう出てきなさい」。母親がいくらとりなしても女教師は顔をみせなかった。死んだ坊やの母親は「ほっといてんか」と小走りに逃げた。校長は記者の不意の訪問に「あの子がかわいそうで」と泣くばかりだった。

それでも事件の輪郭は浮かんできた。深刻な人権問題がからむ複雑な背景が見え隠れしていた。最後に再び警察を訪ね自分が推理する自殺動機を話すと、彼は「よくそこまで行き着いたな」とほめてくれた。そして「これ見てみ。ひとつのヒントや」と机の引き出しから数枚の写真を取り出した。

横たわったイガグリ頭の坊やをいろいろなアングルから写している。検死写真だ。その一枚を取り上げて「この線をよく見てみ」と言った。首に紐の跡がくっきり真一文字に入っている。「首の後ろの線にも乱れがない。見事な覚悟の自殺や」。確かに、きっぱりとした紐の跡は坊やの深い絶望と悲しみを表しているように思えた。普通は首を吊ったとき苦しくてもがき、引っ掻くことが多いという。人はやはり生きようとするのだ。「そやけど子供は欲がないさかいこの世に未練がないからどもならん。色と欲にまみれた大人と違ってな。子供の自殺は難しいで」。刑事は諭すような表情で言った。

もう1つ、僕の推理が当たったのは死亡推定時刻だった。その朝、いつものように家を出ながら坊やは学校へは行かなかった。ぽつぽつと目撃情報はあるが、畑の小屋でいつ首を吊ったかは不明だ。聞き込みに行き詰って現場にたたずんでいるとき午後5時のチャイムが流れた。「夕焼け、小焼けで日が暮れて…」。もやがたなびく田園にメロディアが流れていく。「あっ、これだな」と僕は思った。学校をサボって一日徘徊した坊やはチャイムを聞いて「もうこれで家には帰れない」と思ったのではないか。明日への絶望がその背中を押した…。

 「自殺の動機はあんたはんの考えている通りかも知れん。でもワイらがさわれん世界もあるちゅうこっちゃ。これ以上は言えん」。ベテラン刑事は目にいっぱい涙をためていた。

自殺捜査でもっとも大事なのは動機である。この場合は「首吊り遊び」の事故も疑われたから自殺と断定するために警察は精一杯の捜査をしただろう。そして「犯人」が浮かんでも犯罪捜査と異なり逮捕するわけにはいかない。世間にも口をつむぐしかない・・・。

あと2日もいればその涙を突破できたような気もするが「急ぎ帰京せよ」のデスク指示は飛んでくるし、おそらく記事にはできないだろうという予感もあった。

 

同級生殺害など小学生の特異な事件が相次ぐ今、奥底が分からない、子供が見えない、という思いは募るばかりだ。「あのときやはり、とことん取材をやっておくべきだった」と思う。あの刑事は「捜査では追いきれない奥底も、新聞ならのぞく方法もあるのと違うか」と言いたかったのではなかろうか。

(このコラムは2年前の秋、ある記念誌に寄稿したものを若干直したものである。昨今の状況に込めた思いは一層強い)

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コメント


失礼します。
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       ご笑覧ください。
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