2011年1 月23日 (日)

元同僚に励まされ再開

 毎小が人気

 実に1年ぶりの当ブログ掲載だ。忙しさにかまけて開店休業が続いていたが、サザエの子育て日記を書いている相棒が記事を掲載したのを機に、ちゃんと再開せよと言ってきてくれたのに応えることにした。

 久々の記事は評論・ルポコーナーの「NIEの参考に①」。学校の先生方がほとんどのあるメールマガジンに書いている記事の同時掲載で、過去の分もたまっているのでいずれ一挙掲載したい。

 今回のジュニア紙人気は毎日小学生新聞人気のことを書いている。同紙は私も相棒もしばらく一緒に机を並べていた職場で、再開の記事にふさわしいと思った次第。もちろん、可能な限り客観的に分析した結果を書いた。

 今後も力まず、ゆったりと、しかし継続して当ブログを書いていきたいと思う。

2010年1 月 1日 (金)

夢見る力

「宝船」に乗って

 歳末に知人から「お宝」を2枚いただいた。宝船の絵が描かれた紙である。1月2日これを枕の下に敷いて寝ると良い夢が見られるそうだ。江戸の中期ころから2日の宵になると「お宝~、お宝~ 」の売り声が街に流れたという。東京・浅草のれん会が買い物客や観光客に配っていたのを知人が手に入れておすそ分けしてくれたのだ。

 色刷りの「お宝」には一首の短歌が書かれている。
 長き夜の 疾うの眠りの 皆目覚め 波乗り船の 音の佳きかな
ひらがなが振られていて
 ながきよのとおのねふりのみなめさめなみのりふねのおとのよきかな
となる。つまり、前から読んでも後ろから読んでも同じ言葉になる回文なのだ。江戸っ子のしゃれっ気も混じっている遊びの様でもある。それにしても、これだけ悲観的なことばかり続くご時勢だから、2日の夜は物は試しと枕の下に敷いてみよう。
 と 、思っていたら元日の毎日新聞1面の余禄が「宝船」を題材に書いていた。民俗学者の折口信夫の説を引いて、この習俗の由来を紹介。その上で「人々の心を引きつけ、すくんだ足を前のめりに踏み出させる夢のほしい今年である」と続ける。そして「そこは吉夢を見るのに手を尽くしたご先祖を持つ日本人ではないか。『夢見る力』はきっと取り戻せる」と結んだ。
 「夢見る力」は言い得て妙な言葉である。加齢のせいもあってか夢見る力のとんと衰えている当方としては、「お宝」をサプリメントに力の回復を図ってみよう。いい夢を見て、それが正夢になることを願いつつ。

2008年10 月13日 (月)

地域主権型道州制と教育

中央集権と教育荒廃を具体的に論ぜよ
 秋の三連休に奈良を訪ねた。鹿の角切りが真っ最中の奈良市内を見物したわけではなく、関西道州制推進連盟が主催する江口克彦氏の「日本全国を元気にする!地域主権型道州制を語る」講演会に参加してきた。
 早稲田時代の親友、高松義直君が大阪の読売新聞社を卒業後、ふるさとの奈良を元気にするにはどうしたらいいかと考えた末、道州制推進の関西連盟を立ち上げ、手はじめに講演会を開くことになった。講演会のサクラを務めたら、その後久しぶりにゆっくり彼と呑み明かすつもりでの大和路だった。

 なじみのないテーマだったが、講演会は面白かった。連休の中日だというのに七十人近い人が会場の奈良県経済倶楽部経済会館に詰め掛け、熱心に講師の江口氏の話に耳を傾けた。

 江口氏はPHP総合研究所社長。内閣官房の道州制ビジョン懇談会の座長も務めているが、舌鋒鋭く霞ヶ関官僚の腐敗と独善ぶりを突き、東京の1人勝ちと地域の疲弊を嘆いた。東京の住人として1人勝ちの恩恵に浴している実感はさらさらないが、人も情報も金も、何もかもが東京圏に一極集中する様子と弊害はよく分かった。「日本を守るには、中央集権を廃し、国の形を作り変えなくてはいけない。そのためには地域主権型道州制が必要だ」という江口氏の叫びは感覚的によく理解できた。

 しかし、各論となると具体的にどうすればいいのか、見えてこないものも多い。例えば教育。三時間近い講演の中で江口氏は教育にはほとんどといっていいほど触れなかった。1府6省の中央省庁再編案の中で、文科省の廃止と総務省に教育局を置く配置が示されたが、結局、総務省教育局が文科省的な機能を果たすだけではないのか。言い換えれば、全国の学校の授業の雛形を決める学習指導要領の要・不要、教科書制度の功罪など教育制度の根幹を徹底議論しない限り、江口氏のように「中央集権が教育を悪くした」と言い切るだけでは事態は解決しないのではないか。

 結局、時間がなくなって日帰りのあわただしい旅になったが、親友のおかげで教育分野としても面白いテーマに出会えたな、と思いながら終着の新幹線で帰宅した。

2008年9 月13日 (土)

大臣の首

古巣の新聞社の先輩たちがやっている小さな勉強会に出た。この日のゲストは現職の大臣。出席の約束をしたときにはまだ福田内閣の改造前。ほどなく首相が辞任表明してでどうやら間もなく首が飛びそうという気の毒な状況で、しかも自民党某派閥の幹部として総裁選にきりきり舞いの間隙をぬって律儀にも出席してくれた。
 勢い、勉強会は現在の政治の在り方についての批判、憤慨が議論の中心になったのだが、興味を惹かれたのがゲストが用意してくれた1枚の紙。「現憲法下で在任期間が短い国務大臣」の標題が付けられた紙には在任期間が短い順に5人の名前が書いてあった。
 在任日数の少ない順に①長谷川峻さん(竹下内閣・法務大臣、在任4日)②遠藤武彦さん(安倍内閣・農水大臣、同8日)③永野茂門さん(羽田内閣・法務大臣)④佐藤孝行さん(第2次橋本内閣・総務庁長官)⑤越智伊平さん(同・農水大臣)。
 今度再任されなくて首になっても、8月2日就任だからすでに1カ月は超えているし、、在任期間の短さでは上には上がいる、という慰めにも取れるが、ゲスト本人は2代続けての首相の政権投げ出しに憤懣やるかたない様子。「タイミングを計算しつくした」(ゲスト)福田さんはともかくとして、安倍ぼっちゃんの無責任ぶりを口を極めてこきおろした。自分が大臣として手をつけようとした政策を挙げながら、かないそうにない様子を嘆く姿に、大臣って何なんだという思いを深くした。
 考えてみれば、旧文部省担当になった時の第102代小川平二文部大臣からこれまで16年間で32人の文部・文部科学大臣をウオッチしてきたつもりだが、政策面でほとんど印象に残る人はいなかった。「記者の目」の記事に感想のはがきを自宅にもらった瀬戸山三男さん、文部省の中学校課長時代から知っている遠山敦子さん、社会部記者嫌いを公言して手こずらせた森善朗さん、初対面のあいさつで「いやー、私も毎日新聞の禄(給与)を食んでいたのですよ」と言った大島理森さんら個人的印象ばかりが残る。唯一、中学校から業者テストを追放しようというキャンペーンに同調してくれた鳩山邦夫さん、その方針を引き継いでくれた森山真弓さんが政策がらみで思い出すぐらいに過ぎない。
 私が見てきた文部・文科大臣の在任平均が半年では政策に腕の振るいようもなかったのだろう。結局は官僚任せの文教h行政になりがちで、国民の民意が反映される機会に乏しい状態が続くことになる。大臣エレジーは結局国民の損ではないかと思わせられた勉強会だった。

2008年8 月18日 (月)

「反省」続き・最新プロフイル

梶原先生

                                谷口

東北へ旅に出ていましたので返事が遅くなりました。16日は飛行機が午後1時過ぎ着ですので、午後3時過ぎでしたか、いなほ館の集合から参加させていただきます。つまり△ということですかね。当日は宿泊希望です。

 プロフイル送ります。

 

谷口 泰三(たにぐち・たいぞう) 

(自己紹介)

 1946年生まれ、福井県出身、東京都北区在住。毎日新聞社を06年春に定年退社してフリーを名乗っていますが、稼業の実態は作文の先生です。東京、名古屋の短大などで教えています。そのほか、文字・文章がらみの仕事をボランティアも含めていくつかやっています。学校書道の普及団体である日本書写能力検定委員会の顧問、古巣の新聞社がやっている毎日パソコン入力コンクール運営顧問、新聞教育に関心がある元教師や記者が結成した新聞教育支援センターのアドバイザーなどです。最近の共著「現場から見た新聞学・改訂版」(今秋、学文社から発売)ではNIEの章を担当しました。執筆を通じて、新聞界がもっとNIEに本腰を入れないと新聞の将来が危ういだけでなく、新聞が日本の民主社会の発展に寄与できない、という認識を新たにしました。

 新聞社時代は教育分野を長く担当しましたが、大半は行政官庁でした。教育委員準公選制発足時の東京・中野区教委、革新から保守中道都政に変わった直後の都教委、荒れる学校に揺れる旧文部省を連続で7年間担当したのですが、上級官庁に行くほど「教育」が希薄になり、「行政」の側面が強くなるのを痛感しました。自身も現場感覚に乏しい教育記者、になってしまったという反省から、現場から課題を発掘することをフリー活動の目標にしていますが、あまり取り組めていないのが実情です。

(テーマについて)

 「生きる力・総合的な学習」路線が打ち出されたとき、「文部省の久々の快挙だ」と新聞教育関係の先生方と喜び合ったのを昨日のように思い出します。社会の動きと直結して自主的な判断能力を育成しようとする新聞教育はまさに「生きる力」路線そのものだという思いからでした。曲折を経ながらも新学習指導要領でこの路線がなんとか生き残ったことは喜ばしい限りです。新聞教育を新要領で重視し始めたことも評価しています。教育行政は失敗も多々繰り返してきましたが、「生きる力」という学力観は支持していきたいと思います。

2008年8 月17日 (日)

鹿児島での反省

霧島シンポに参加して

 お盆休みに鹿児島で1泊2日で開かれた「第9回未来教育セミナー」霧島プロジェクトという集まりに参加した。実行委員長である鹿児島の私立高校の先生、梶原末廣さんに第1回から誘われていたのだがなかなか参加する機会がなかった。

 参加者約60人のほとんどが九州一体の学校の先生たち。メーンはシンポジュウム「生きる力と学力」(新学習指導要領のねらい)。田中孝一・文部科学省主任視学官の基調提案に続いて同氏がコーディネーターになってシンポが進められ、自分もシンポジストとして参加した。  

 

その内容はいずれ報告するとして、実に温かくて気持ちの良い集まりだった。学校の先生たちのいい部分ばかりを持ち合わせた人たちのように見えた。知的で、理想を持ち合わせ、真実味があって、控えめ。そして、いろいろ悩みを抱えている・・・。

 ところで、この集まりで心配していたことがやはり実際にあった。「ブログが更新されていませんね」という指摘である。というのは、シンポジストとしてプロフイルを出したのだが、梶原先生がよかれと思われたのか、資料にこの教育タイムズも付け加えてくださった。もっとも、いまどきは検索すればすぐわかることではあろうが、何人かにがっかりという感じで言われて恐縮した。

 これまでも数少ない読者・・・先輩や友人から三日坊主と非難されていたのだが、看板出している以上はちゃんと更新しなくてはいけないと反省した。

2008年1 月 3日 (木)

新しい学習指導要領

  前々から懸案にしていた中教審の審議まとめを3日になって読み始める。文科省は3月末にも、この審議まとめを基に策定した新しい学習指導要領を告示する予定だ。正月休み中に読もうと思っていたがなかなか手が出なかった。面白いものとは最初から期待していないが、これで昨今の教育荒廃がとても止まるとは思えない空疎な感じがあるから、どうしても読むのが苦痛になる。

  まとめの正式名称は「中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会におけるこれまでの審議のまとめ」(平成19年11月7日)。文科省のホームページにもアップされているが、画面ではどうにも目が滑って読みにくい。それで日本教育新聞社が別刷り資料版として作成したものを読んでいくことにした。A4判で約80ページの分厚い冊子だ。

  冒頭の「これまでの経緯」では、審議が安倍前政権の教育改革路線に大きく影響された流れが書かれている。年末の回顧もの番組でも安倍さんの突然の政権投げ出しはトップニュースになっていたが、この審議まとめに漠然と感じる空疎な気分は尻切れトンボだった安倍教育改革の名残だろうか。政治が教育に手を出すと混乱を招くだけ、ということが今回も言えるのだろうが、役所任せにしていたから昨今の教育荒廃がある、とも言えるだろう。

  中教審は政治や行政の隠れ蓑として利用されてきた歴史は否めない。このことを教えてくれたのはほかならぬミスター中教審と呼ばれた高村象平さん(元慶応塾長)だった。文部省を担当していたころ、飯田橋近くにあった高村さんのご自宅を訪問したとき、高村さんは中教審の内実をかなりのところまで教えてくれた。様々な圧力と戦いながら中教審は中正の道を歩んでいるというのが高村さんの言わんとしたところだが、中教審の置かれた危うい立場は印象的に心に残った。

学校教育のバイブルとも言える指導要領があまりくるくる変わるのは好ましくない。これから読みすすめていく中で、ああこう変わったほうが確かに子供は良くなるなあ、という具体的な施策が一つでもあること期待しつつ読み進めよう。

2008年1 月 2日 (水)

箱根駅伝 

 こたつで目を覚ますと、つけっぱなしのテレビは箱根大学駅伝の往路ゴールを映していた。えんじ色の早稲田のユニホームがトップでテープを切るところ。アナウンサーが「12年ぶり13回目の往路優勝」と叫んでいた。 

 カメラが切り変わる。路上で誰かが倒れている。青いユニホーム。順天堂の第5走者だ。立ち上がろうとするが脚がぶるぶる震えているのが分かる。ようやく立ち上がって少し走ったが、すぐにへたり込んでしまった。もう起き上がれない。監督や競技審判長が駆け寄る。監督がギブアップを宣言すると、選手は長々と路上に伸びてしまった。 また画面が切り替わり、同じ順天堂のユニホームを着た選手たちが泣いている姿が映し出された。仲間の苦しさを思い、またレース棄権の悲運に涙したのだろう。 

 倒れた選手は小野裕幸君(3年生)。順大は昨年の箱根駅伝で総合優勝している強豪チーム。そこで山登りの5区を任されるのだから力のある選手なのだろう。山を登り切った15キロ付近から脱水症状で低血糖状態に陥ってふらつき、フィニッシュ目前で路上に倒れ込んだという。

 毎日によると、 小野は救急車の中で仲村監督に「あと(往路ゴールまで)どのぐらいでしたか」と尋ね、涙を流してわびたという。 正月番組で実にくだらない映像があふれるテレビの中で、小野君には申し訳ないがこのシーンはひときわ輝き、印象的だった。来年は必ず最初から箱根駅伝を観よう。そして4年生、小野君のリベンジを応援したい。頑張れ、小野君。  

2008年1 月 1日 (火)

年賀状に見る世相

 ほとんど失速状態が続いた昨年のブログ活動を反省して、今年はせめて「日記」くらいは毎日書こうと反省。気ままにつづってみることにした。
・・・・
 年賀状が届く。自分はまだ書いていない。正月になってから実感として書こうという勝手な理屈だ。
 いただいた賀状の文面に時代が、世相が反映する。
「いまこそ。ジャーナリズムの真の力が問われるときなのに、事態はまったく逆の方向に進んでいます。『大連立』仕掛人の動きなど、その典型です」と嘆くのは毎日新聞社の大先輩。仕掛人は言わずと知れた読売の「なべつね」さん。まさにジャーナリズムの独立性、公正中立を疑わせる動きだった。読売もこの人がいる限りクオリティペーパーと呼ばれる日は来ないだろう。
 「嘘がまかり通る劣化の日本。寂しい限り・・・」というのは「競馬はロマンだ」という社会部の先輩。JRA(日本競馬協会)経営委員に就任したので、スポーツ紙に705回掲載した競馬コラムを休載したという。「立場上、知りえたことを書けば信頼を失い、書かなければ読者を裏切る。悩んだ上の、江戸っ子のやせ我慢です」。
 「地球規模の脱石油社会の実現のための技術展開をはかります」とは、ノーベル賞候補にもたびたび上がるさる大学長さん。仙台支局時代にお会いして以来、毎年欠かさず賀状をいただいている。危機的な様相を帯び始めた地球環境問題だが、ある後輩からもらった賀状にはこんな文句が書いてあって、彼の人柄を思った。「人の心も『温暖化』する年になってほしいと思っています」。

2007年10 月26日 (金)

手書き文字文化は生き残るか?財団法人「文字・活字文化推進機構」設立 

 「言葉の力」向上を合言葉に、東京・神田の一橋記念講堂で24日開かれた財団法人「文字・活字文化推進機構」設立記念総会に参加した。一昨年、文字・活字文化振興法が超党派の議員立法で成立して以来この運動に関心を持ってきたが、運動の一歩前進を示すのがこの設立総会だろう。資生堂会長の福原義春氏が機構会長を務め、作家で日本ペンクラブ会長、阿刀田高氏が副会長、童話作家の肥田美代子さんが理事長を務めるという布陣。この運動がどこまで草の根に刺さっていくか、機構の努力に期待したいし、文字・文章教育に日ごろ関係する者として草の根からこの運動に参加していきたいと思っている。  

  この設立総会には日本書写能力検定委員会(書写検)の大平恵理会長代理、渡邊啓子事務局長、池田圭子理事の女性3人を誘って参加した。彼女らは学校書道である「書写」教育の面からこの運動に注目しているもので、書写検では今春から、学校の授業で「書写」を活発にしようという「教学キャリア」運動を全国の書写検グループ書塾とともに展開している。文字・活字離れの昨今、文字の手書きという作業は若者の日常からほとんど姿を消していると言っても過言ではない。それだけに、この教学キャリア運動の前途も厳しいものがあるが、こうした文字文化振興の国民的運動が起きようとしている状態は追い風で、とても心強い。

   しかし、予想通りというか、設立総会では何人かの来賓がスピーチしたが、文字を書く文化に言及した人は皆無だった。活字議連会長の中川秀直氏(前自民党幹事長)がわずかに「読む力、書く力という言語能力の涵養」に触れたぐらいだったが、その場合の「書く」も文章を書く、という意味合いだろう。一ヶ月に一冊も本を読まない大人が激増している昨今、「書く」どころでないのは分かるが、書写に係わる者としては手書きの教育的、文化的効果ももっと世に問いたいところだ。

   手書き文化の将来の厳しさを改めて認識した総会だったが、少し気が晴れたのは川島隆太・東北大学教授の記念講演。川島教授は脳の活性化の研究で有名だが、同教授によると文字を手書きしているとき、人間の脳はフル回転し血流の測定機は真っ赤に表示されるという。逆にワープロ機能で文章を打っているときの脳はむしろ小休止状態になるが、それはワープロが脳の機能の代わりをしてくれているからだという。つまり、手書きは脳を動かし活性化することにもつながるというわけで、それはたぶん、文化創造という観点からはとても重要なことではなかろうか。ややうさんくさく思っていた脳トレ流行だが、少し勉強してみようと思った。