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2007年1 月26日 (金)

シリーズ・書写を考える<5>

序章「中国に書写を問う 安徽省師弟旅」その5

 テレビ企画「日本・中国書道対決」の中国ロケを終えて帰国した日本書写能力検定委員会(書写検=本部・東京都青梅市)の渡邉啓子師範は25日、関空から羽田に戻り、竹橋の毎日新聞東京本社で開かれた全国年賀はがきコンクール(毎日新聞社、書写検共催)最終審査会に出席した。審査会での帰国報告で渡邉師範は「初めて日本の書写と中国の書の違いが映像で一般に伝えられることで、書写への理解が深まることが期待される」と語った。漢字の祖国・中国の書と日本の学校教育を担う書写の本番対決の模様は2月11日(日)午後8時から日本テレビで放映される。
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 ◎実用的な書写書道への理解が進むきっかけに ◎

――全国年賀はがきコンクールの概要は?
渡邉師範 課題、自由合わせて2万8千点の応募がありました。使うのはペンでも筆でもどちらでもいいのです。書写は毛筆と硬筆の関連性を重視しますから筆はややねかせて使います。だから毛筆の上手な人は硬筆も上手になるのです。一般書道でそうはいかないのは筆を立てて使うからで、硬筆に応用できないわけです。えんぴつや万年筆はねかせて使いますからね。

――中国の書も筆は立てて使うわけですね。
渡邉師範 そうです。今度の日中対決でも筆の運びの違いは歴然でした。もちろん、どちらがいいということではないのです。一般的な書道と書写の違いがそこにはっきりと現れるということです。学習指導要領で国語科の重要な一分野として定められている書写は正しく整った読み易い文字を目指しています。それが実用的に硬筆でも生かされることはとても大事なことだと思います。学校の先生方が必ずしも書写の専門家ではないので、書写を習っている子どもが学校で筆を立てて使うように直されてしまうことも起きています。そうした書写と一般的書道の相違が映像で伝えられる異議は大きいと思っています。昨日もお話しましたが、書写の文字が中国の書の専門家からも「すばらしい」と認められたこともうれしかったです。

◎文字文化振興に注目される書写5大会◎

――年賀はがきコンクールには今年から文化庁が後援に入ると聞きましたが。
渡辺師範 はいそうです。一昨年7月に文字・活字文化振興法が議員立法で成立しました。主務官庁の文化庁は文字を手書きする力を基盤的な言語力と位置付けておられます。後援をいただくことは書写の普及に寄与するものと喜んでいます。

――書写の全国大会には他にどのようなものがありますか。
渡邉師範 いずれも毎日新聞社との共催ですが、このあとすぐ「毎日学生書初め展覧会」があります。「毎日ひらがなかきかたコンクール」は幼児と小学校低学年が対象です。夏の「毎日学生書写書道展」は全国各地で席書の大会が繰り広げられ、最終審査は毎日東京本社で開かれます。今回の日中書道対決で日本代表として出場した都立拝島高校3年、藤本梨絵さんは昨夏の第30回記念大会で内閣総理大臣賞を獲得した文字通りの学生日本チャンピオンです。最後は「全国硬筆コンクール」ですが昨年の第22回大会では約3万8千点もの参加がありました。この書写5大会は文科省が価値ある文科系コンクールと認定する「学びんピック」事業に全て昨年度指定されました。

――駆け足旅行でしたが終えてみていかがですか。
渡邉師範 ひたすら寒かったです。師範学校に暖房はいっさいないのです。燃料事情のせいでしょうか。それでも学生たちは着物をたくさん着込んで寒さに耐えながら、本当に一生懸命に書に取り組むのです。藤本さんもその姿にはとても感心して学ぶところが多かったようでした。今回の旅行で得たことを生かしながら書を通じた日中の交流をさらに深め、広げていければと思います。
(序章おわり)
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「シリーズ・書写を考える」 

国際学力テストで日本の子どもたちの成績が下がったことに端を発した学力論議は、安倍内閣が最大の重要課題と位置付ける教育改革の中心的なテーマでもある。すでに中教審や文科省もこの問題に取り組んでいる中で、学力の基礎として「言葉の力」涵養が大事との意見が強まっている。新しい学習指導要領でも「言葉の力」がキーワードになる見通しだ。また、一昨年に成立した文字・活字文化振興法を展開していく上で基盤的な言語力として「文字を書く」力を重視する機運がある。一方で、書写は学校教育の中で十分な取り組みの対象になってこなかったとも言われ、未履修問題とのからみで文科省が実施中の国語科書写についての履修実態調査結果も注目される。我が国の伝統文化を支える基礎である文字にかつてない関心が高まる今、「書写を考える」シリーズを始めたい。
 おおまかなシリーズ構成は以下の通り(いずれも仮題)。第1部は2月下旬の連載開始予定。


第1部「総論・現代の書写教育~大平恵理氏聞き書き」
第2部「書写に見る一芸の力~多様化する大学入試で」
第3部「学校書写教育の現場」
第4部「現代寺子屋論~草の根の書塾」
第5部「文字文化振興と行政課題」

2007年1 月25日 (木)

シリーズ・書写を考える<4>

序章「中国に書写を問う 安徽省師弟旅」その4

 テレビ企画「日本・中国書道対決」の日本側代表、都立拝島高校3年、藤本梨絵さん(2006年毎日学生書写書道展チャンピオン)に付き添って番組収録を終えた日本書写能力検定委員会の渡邉啓子師範は24日午後11時半、関空に無事帰り着いた。2泊3日のハードスケジュールだったが、日本と中国の生徒が書で対決するという場面を通じて得たのは「日本の書写が中国で受け入れる傾向が強まっている」という感触だったという。本番対決の模様は2月11日(日)午後8時から日本テレビで放映される。
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 ◎「書写は素晴らしい」
       
藤本さんの作品を激賞した中国の書家◎

――徽州師範学校が対決の舞台でしたね。向こうの書の専門家は藤本梨絵さんの書写を見てどんな感想を漏らしてましたか。
渡邉師範 内容は番組で見ていただきたいのですが、とても注目されました。呉さんという40過ぎの男の先生は藤本梨絵さんの字を見て「文字というものには好みがあるが、これは大変に素晴らしい。とても上手だ」と私に言いました。私どもの過去の交流でも日本の書写を知らない土地ではなかなかこうした反応はなくて、蘇州市のように交流を重ねていくと、書写の良さを分かってもらい「日本の書写に学ぼう」(蘇州市幹部)とまで言ってくださるのですが。

――地元の反応はどうでしたか
渡邉師範 とても話題になっているようで私まで地元のテレビ局に取材されました。「日本は中国から漢字というものをいただいて今日の文化がある。書の字体には日中それぞれに良さがある」というコメントをさせていただきました。 

――徽州師範学校では学生の書道の自習時間も見学したのですね。
 渡邉師範 はい。日本の教室より一回りほど小さめの部屋で30人ほどの男女の学生が毛筆の練習をしていました。過去の交流でもいつも目にすることなのですが、中国の人は高机に紙を広げて立ったまま書くんですよ。座るという生活習慣がないところからきているのでしょうか。

――小中学校の教育は簡体字で行われていると聞きましたが、師範学校の学生たちは先生になった後で、毛筆を教えることはないのですか。
 渡邉師範 学生たちはペンなど硬筆の練習もするのだそうです。でも、教師になってから毛筆や硬筆を子どもたちにどう教えるのか、その辺の事情がよく分かりませんでした。通訳の人に質問の趣旨を説明するのもなかなかもどかしくて。今後の勉強にさせていただきます。

◎すさまじいネット社会ぶり◎

――中国はネット社会も急速に発展していると聞きますが、何か印象に残ったことはありますか。
 渡邉師範 車での移動途中にある田舎の町でトイレ休憩のためスーパーマーケットに立ち寄ったのです。そこの地下が広いネットカフエのようになっていいてパソコンが100台以上もあるのです。平日の夕方でしたが若者がいっぱい集まっていました。ゲームをやったりドラマを見たりしている人が多かったですね。

――帰りは上海から関空まで3時間。上海及び中国の印象はどうでしたか。
渡邉師範 上海はいつも素通りになってしまって。昨年3月に個人的に蘇州市へ旅行したときも通りました。上海から蘇州までは高速で1時間少々。そのときは過去の交流を通して知り合った人たち30人ほどと会いました。呉先生はじめ今回お会いした方々とも交流を深めていきたいと思いました。

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美術工芸品としても愛される書道具

ガンコ園長に教えられ

先日「マラソン幼稚園の教え」という、テレビ番組を見た。(先日といっても、昨年末なんですが)夜中の2時半、たまたまついていたテレビに釘付けになり1時間見てしまった。激しく感動してしまった。後で調べてみたらフジ系列の「NONFIX」という番組で、毎回違ったテーマのドキュメンタリーものである。娯楽のフジもこんないい番組つくるんだ~と感心。こういうのこそゴールデン帯で放送したら世のため人のためになるのにねぇ。

内容は、大阪のとある幼稚園。ここの園長は70近いおじいちゃん。でもすごい元気。この園長先生の、今時珍しいガンコ一徹な姿を映し出す。この幼稚園では年長さんに42.195キロのマラソンをさせる。そのために年少さんから、毎日園の周りを何キロもマラソンする。もちろん園長が先頭になって走る。そして本番の42.195キロ。くじけそうになりながらも、皆で完走する。

この園では、子供たちができることは子供たちにやらせる・・・という方針で、朝、皆で園の掃除。職員室から廊下から皆で雑巾がけ。そして給食は園内で園児のお母さんたちが交代で作る(これはスゴイ)!それを子供たちが取りに行く。自分たちでよそう。園内の遊具は園長先生の手作りものがふんだん。

そして園長は親にも厳しく注意する。これだから入園してもついていかれない家も多く、園児が少ないことが悩みで、経営担当の園長の息子が「親の意見に歩み寄ろうとしない・・・」とこぼす。しかし、ガンコ園長は「今の親はかまいすぎる。手を出しすぎる」と言い放つ。

たしかに必要以上に手伝いすぎている、と自分にハッとした。

洗濯ばさみから洗濯物を外したりたたんだり、お皿を運ばせたり、布団の上げ敷きなど、よくお手伝いをさせている・・・と思っていた。でも、パジャマのボタン、靴下や靴の脱ぎ履き、洋服の着脱・・・パッパッと済ませて先を急ぎたくて、ついつい手を出していた。これこそ自分でやらせなきゃならないことだ。私の都合で考えていた。こりゃいかん!!

反省して、即日「できるだけ自分でやってごらん」を実行しはじめた。早速、パジャマのボタンも大き目のものに付け替えてあげた。

すると、衣類の着脱など何とか自分でできているではないか!時間はかかる、フンガフンガもがいている。でも、何とかうまく体を使おうとしている。きっといろいろ頭も使っている。

そして「できたよ!」とうれしそうにニコ~ッとした。私もうれしかった。でも“工夫の過程”や“達成の喜び”を邪魔してたんだ・・・とさらに深く反省してしまった。

パジャマのボタンも、自分のと私のと両方で練習をはじめた。最初はタラコも私も息が詰まりそうなほど苦労していたけれど、3日もしたら、グンと上手になって、日々スムーズになっている。

急ぎたいときに急いでくれない、これが子供の常。もどかしくてもガマン。なんでも親の都合で動かすな。子供だって人間だ――改めて、大事な当たり前を学びました。子育てはガマンが多いなぁ・・・とため息も出るけどねぇ。

タラコはすっかり「ボタンブーム」になってしまい、パパやおばあちゃんなどがボタンのある服を着ていると「とめてあげるよ」とか「はずしてやろうか?」と言って、目の前に立ちはだかっている。断っても立ちはだかる。みんなちょっと困っている・・・。

2007年1 月24日 (水)

シリーズ・書写を考える<3>

序章「中国に書写を問う 安徽省師弟旅」その3

 テレビ企画「日本・中国書道対決」の撮影に付き添って中国滞在中の日本書写能力検定委員会の渡邉啓子師範は23日も安徽省の山中のホテルから日本に画像や記事の送稿を試みた。しかし、電圧の不安定なども手伝って十分には果たせず悪戦苦闘。それでも何枚もの写真送信には成功した。簡単なリポートとともにグラビアで構成する。
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 ◎従来への漢字に寄せる思い◎

 今度中国に来て感じたのは、従来の漢字(繁体字)よりも筆画を減らした漢字である簡体字が少し増えたかな、ということです。簡体字は1960年代に制定されたもので、出版物などは全て簡体字です。学校教育でも簡体字を教えます。

  しかし街中を歩くと看板の大半は従来の漢字の繁体字が中心です。日本人の私にもなんとなく内容が分かります。添付した写真はいずれも安徽省での町並みのスナップですが、
「文筆荘」「旅館」などは日本人にも読めます。


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 「どうして看板などには繁体字が多いのですか?」と街の人に通訳さんから尋ねてもらいました。「そりゃ、意味が込められた昔の(繁体字の)方が本来は好きさ」。70年代の終りに簡体字をさらに簡略化しようとしたところ「見苦しい」などの意見が強くて進まなかったという話を以前聞いたのを思い出しました。


◎日本の書写への評価に驚く◎


 中国の人の日常生活は鉛筆やペンの硬筆で簡体字を書いています。毛筆で従来の繁体字を書くことはほとんどないようです。学校教育も簡体字で行われていますが23日に訪問した徽州師範学校では書を専門にやっている学生たちもいました。訪問したのは自習時間だったのですがいろいろ話すことができました。

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私からは日本の「一芸入試」の話をしました。書写を一生懸命やってきた生徒が、大学の自己推薦入試などで高い評価を得ているということを紹介したら驚いていました。しかし、看板だけでなく各地に残された碑文などを見ても中国の長い漢字の歴史には圧倒されます。師範学校の学生たちがどういう熱意と目標を持って書の修練に励んでいるのか、今後の交流で深く知ることができればいいな、と思いました。

2007年1 月23日 (火)

シリーズ・書写を考える<2>

 序章「中国に書写を問う 安徽省師弟旅」その2
  日本書写能力検定委員会(書写検)の渡邉啓子師範は、テレビ局企画「日本・中国   書道対決」に出演する06年毎日学生書写書道展チャンピオン(内閣総理大臣賞受賞)の都立拝島高校3年、藤本梨絵さんに付き添って予定通り22日、全日空機で中国・杭州に到着。番組制作クルーとともに杭州から陸路、世界遺産として有名な安徽省の黄山に入った。 しかし、雨中の車列行進となって大幅に到着が遅れたうえ、想定の範囲内ではあったが通信事情が完全ではなく、電子メールインタビューが不可能な状態が続いた。このため本日は出発前に聞いた書写検の過去の日中学生交流を紹介する。
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◎きっかけは毎日学生書写書道展◎
  書写検が中国との交流を始めたのは、1982年の春休みのことです。毎日学生書写書道展(毎日新聞社、日本書写能力検定委員会共催)の大会参加者から希望者を募る形で行われた交流に加わったのです。団長は毎日新聞社学生新聞本部(現・「教育と新聞」推進本部)の白木東洋本部長さんでした。日中国交10周年の年でした。

  当時まだ書写検は全国組織になる前の段階で母体の琴河原学園としての参加でしたが、吉田宏会長をはじめ、先生、生徒がたくさん参加しました。他の書塾の参加者もいましたが書写検関係が一番大きな団体でした。高校生は漢詩作品などを書き、小中学生は全国大会の課題に準じた課題を席書きして交流しました。

  その後、書写検は3年に1回ぐらい交流会に参加しました。吉田会長は「日本の文化はひらがなだから」と、ひらがなにローマ字の読みなどをつけて手本集をつくり、それを持って交流した時もありました。中国にとっては、妹や弟と交流している目線だったと思います。
           
◎中国も驚いた日本の書写教材◎
  その後しばらくあいて2000年、吉田会長が団長として参加者202名という大規模な訪中が行われ、文化交流が再開されました。この時は毛筆行書、毛筆連綿等検定も8検定に増え、一芸を学ぶ書写検の内容が整っていました。目的地は以前から親交の深かった蘇州市でした。なぜ蘇州市かというと最初の訪問で私たちが知り合った少女が蘇州市の出身だったからです。

  202名で訪れたので、市政府が対応する騒ぎになりました。市の教育長にあたる副市長が日本の子供たちの実力をほめて下さいました。お土産にした検定教材の手本集にも驚き「日本には素晴らしい文字教育の制度がある。このようなものは日本に学ぶべきだ」とさへ中国の書教育担当者に話していました。朱永新さんという副市長でしたが、学生時代日本の上智大学で学んだことのある方で日本語を話すこともでき、日本文化に理解もありました。書写検は翌年には中国から子どもたちを日本に招くなど交流を深めました。
 
 今回、書を通しての日中交流テレビ企画に学生書写書道展で優秀な成績をおさめた藤本さんが選ばれたことに私どものこれまでの日中交流活動と深く通ずるものを感じています。
(「日中書写対決」は日本テレビで2月4日、日曜日20時から放映予定です)
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「シリーズ・書写を考える」 
   国際学力テストで日本の子どもたちの成績が下がったことに端を発した学力論議は、安倍内閣が最大の重要課題と位置付ける教育改革の中心的なテーマでもある。すでに中教審や文科省もこの問題に取り組んでいる中で、学力の基礎として「言葉の力」涵養が大事との意見が強まっている。新しい学習指導要領でも「言葉の力」がキーワードになる見通しだ。また、一昨年に成立した文字・活字文化振興法を展開していく上で基盤的な言語力として「文字を書く」力を重視する機運がある。一方で、書写は学校教育の中で十分な取り組みの対象になってこなかったとも言われ、未履修問題とのからみで文科省が実施中の国語科書写についての履修実態調査結果も注目される。我が国の伝統文化を支える基礎である文字にかつてない関心が高まる今、「書写を考える」シリーズを始めたい。

   

2007年1 月22日 (月)

シリーズ・書写を考える<1>

 国際学力テストで日本の子どもたちの成績が下がったことに端を発した学力論議は、安倍内閣が最大の重要課題と位置付ける教育改革の中心的なテーマでもある。すでに中教審や文科省もこの問題に取り組んでいる中で、学力の基礎として「言葉の力」涵養が大事との意見が強まっている。新しい学習指導要領でも「言葉の力」がキーワードになる見通しだ。また、一昨年に成立した文字・活字文化振興法を展開していく上で基盤的な言語力として「文字を書く」力を重視する機運がある。一方で、書写は学校教育の中で十分な取り組みの対象になってこなかったとも言われ、未履修問題とのからみで文科省が実施中の国語科書写についての履修実態調査結果も注目される。我が国の伝統文化を支える基礎である文字にかつてない関心が高まる今、「書写を考える」シリーズを始めたい。
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序章
ライブ連載「中国に書写を問う 安徽省師弟旅」

 日中が書で対決したら? こんな企画を日本のテレビ局が考えた。それも若者の達人同士が腕を競い、共に漢字を使う両国の交流を深めようという狙い。その日本代表に06年夏の「毎日学生書写書道展」(毎日新聞社、日本書写能力検定委員会共催)で内閣総理大臣賞に輝いた都立拝島高校3年、藤本梨絵さん(18)が選ばれた。彼女を育てた日本書写能力検定員会(書写検)=本部・東京都青梅市=の渡邉啓子師範(34)が付き添って2人は22日午前、成田から中国安徽省(あんきしょう)へ飛び立った。「シリーズ・書写を考える」の序章となるこの連載では渡邉師範にスポットを当て、書の「実家」とも言える中国大陸で文字と書写について考えてみたい。メールインタビューによる遠距離ライブ構成を試みる。

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出発を前に練習する師弟

(その1) 書の「実家」中国へ8度目の訪問

――8度目の中国訪問だそうですね。
渡邉 小学校6年のとき、書写検が始めた日中学生文化交流のメンバーとして初めて中国に行きました。書写検はその後も蘇州市などのご協力をいただいて書写での交流を続けてきましたので、その都度訪問しているうちに7度も行かせていただきました。上海、南京、北京、西安などに行きました。

――中国に友人も多いですね。
渡邉 最初に一緒になった女子とずっと交流するなど何人もの顔が思い浮かびます。そうした友人たちがいる国を訪問するのは格別な思いがあります。地元の青梅市では日中友好協会理事も務めて日ごろから交流を心がけるようにしてきました。お国柄もゆったりとしているので、まさに実家に帰る感じです。

――書写を通じて交流してきたわけですが、いつもどういうことを感じますか。
渡邉 世界には多くの国がありますが、同じ漢字を使うところがとても印象的に感じます。私は中国語はできないのですが、筆談で十分に通じますし。ただ、同じ字でも意味が違うことなどもあります。手紙は向こうではトイレットペーパーを意味するとか。

――藤本梨絵さんがグランプリを獲得した学生書写書道展とはどういう大会ですか。
渡邉 公募と席書の部があって、内閣総理大臣賞は席書の部から選ばれます。席書は会場でお手本を見ずに課題の文字を書くもので、日ごろの練習はもちろんですが、本番の強さなどにも左右されます。昨年は予選応募作品8,370点の中より選ばれた半数の方が香港を含む29会場での決勝大会に参加し、毎日新聞社で最終審査会が行われました。梨絵さんとは中学3年生の終りに「3年後には内閣総理大臣賞がもらえほどに上達しよう」と固い約束をして日々辛い練習に耐えてきました。


――文字通り若者チャンピオンなのですね。日中どちらが書はうまいのですかね。
渡邉 双方にそれぞれ良いところがありますから。

(「日中書写対決」は日本テレビで2月4日(日)20時から放映予定です)
                            

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1985年の南京席書交流記念の集合写真。後ろから2列目中央左側の紺襟、灰色のセーターが渡邉さん。

2007年1 月18日 (木)

 聞き置くだけの教育再生会議中間報告;閣議決定はせず

 政府は17日、教育再生会議が今月下旬にまとめる第1次中間報告について、閣議による決定事項とはしない方針を固めた(毎日18日朝刊1面)。同中間報告には「ゆとり教育」の見直しや高校での社会奉仕活動の必修化が明記される見通しだが、報告に対しては学校現場の反発や、再生会議と距離を置く与党の批判がある。そうした動きを抑えるために、拘束力を明確にしない考えだ。政府筋は「各省庁の合意形成が不可欠で時間がかかる」と説明。5月下旬に予定される第2次中間報告、年末に予定される最終報告についても「閣議決定の必要は感じない」と見送る考えを示した。安倍首相が政権の最重要課題に掲げる教育改革での閣議決定見送りは、政権の改革失速イメージを加速しそうだ。

<谷口のコメント>
◎再生会議は密室を出て世論を味方につけよ◎
 結局、文科省・文教族の壁は厚かったということか?この欄で何度も指摘していることだが、教育再生会議の報道は結論だけがポンと投げ出されるだけで唐突かつ不透明だ。しかも、中間報告に盛り込む、盛り込まないが2転3転するものだから、いったいどんな議論をし、どんな議事進行をしているのか国民にはさっぱり分からない。密室審議の弊害だ。教育の建て直しに妙手がないことは誰もが知っている。文科省や自民党文教族もそこは仕事だから、いろいろな手立てはこれまで考えてきただろう。施策に盛り込めなかったのはそれなりに理由や事情があったわけで再生会議はそこを国民の前にオープンにして、皆で改めて考える場にしたい。再生会議が、それも一部の委員だけの跳ね返りでいろいろ打ち上げても、ただ思い付きを述べるだけに終わるのでは現場がよけい混乱するだけだ。密室を開いて情報をオープンにし、ある意味で被告人である文科省・中教審・自民文教族と渡り合うべきではないか、再生会議諸氏よ。

2007年1 月15日 (月)

 高校生、社会奉仕活動を必修に;再生会議中間報告へ

 政府の再生会議は14日、今月末にとりまとめる第1次中間報告に、高校で社会奉仕活動を必修化するよう明記する方針を固めた(毎日15日朝刊1面)。高校生の社会奉仕必修化は過去にも議論に上っことが何度もあるが、「憲法が禁じる苦役につながる」「受け入れ態勢をどうするか」などが問題とされ見送られてきた。しかし、安倍首相は昨年の総裁選で「公の概念が必要」と大学入学の条件にボランティア体験を義務付ける考えを示、著書「美しい国へ」で「最初は強制でも若者に機会を与えることに意味がある」と主張していた。再生会議でも「奉仕活動の義務化が必要」(池田守男座長代理)などの意見が出て、報告に明記する方向となった。

◎「隠れ蓑」にもならない再生会議◎
 相変わらず再生会議の議論は経過が不明なまま結論だけがぽんと出てくる。決定理由は安倍首相の意向というだけしか分からない。報告に盛る、盛らないがくるくる変わった「いじめっ子の出席停止措置」も、結局首相の意向で盛り込まれると報じられた(1月12日当欄参照)。今回も、首相意向のほかには再生会議の議論としては座長代理が「必要だと言った」という事実しかない。しかし、学校でボランティアを強制するのは精神の自由に反するし、そもそもボランティアは強制されてするものではない、という声は強い。徴兵制への一歩ではないかという警戒論さえあるほどだ。こうした声を踏まえつつ、議論を尽くしていくのが再生会議ではないか。こうした会議や審議会は、政府が民主的措置を装いながら目的を達するためのいわゆる「隠れ蓑」に使われることが多いが、最初から首相意向でことが決まっているのがばればれの再生会議では「隠れ蓑」の役割さえ果たせないのではないか。

2007年1 月13日 (土)

位置付け不透明で混乱する教育再生会議;毎日「土曜解説」

 教育再生会議の位置づけをめぐって政府部内でも混乱があるという。毎日13日朝刊「土曜解説」が内情を書いている。一番のポイントは文科省との関係。早い話がどっちが上かということだが、「(再生会議は)結局は文科省の総花的な政策の後追いで終わるとの観測が強まっている」という。

 再生会議は閣議決定に基づいて置かれた会議で、民間委員17人に首相、文科相、官房長官も加わって構成され、3つの分科会がある。これまで首相官邸で4階の全体会合を開いた。教育担当の山谷えり子首相補佐官と伊吹文明文科相とのさや当てはなかなかのようだ。教員評価の厳格化などを求めた政府の規制改革・民間開放推進3カ年計画をめぐっても、山谷補佐官が「(3カ年計画を)どう実行していくかが再生会議の成果になる」と述べたのに対し、伊吹文相は「とらわれる必要はない」と反発した。文科省の主導権を強調する同文相は「再生会議の意見のすべてを安倍首相が引き取るかどうかは別だ」とも述べ、再生会議で決まっても文科省が実行するかどうかは別問題との立場を鮮明にしたという。

 「首相、文科相が加わった会議の結論が提言に過ぎないというのは不自然」という見方もある一方で「教育行政への政治介入は混乱を助長する」と危ぶむ声も出ている。

<谷口のコメント>
 ◎再生会議は政権の人気取り手段になってはいけない◎
 この欄でもなんども指摘していることだが、教育再生会議のプロセスは極めて分かりにくい。先行する中教審や文科省の各施策との関係も理解しにくい。会議が非公開なだけに取材もしにくいのか、新聞紙面でも内情がなかなか明らかになってこない。そういう中で「位置づけ不透明」とするこの記事は参考になる。

  再生会議と文科省、どちらの肩を持つわけではないが、政治のきしみで教育の現場に混乱を持ち込むことは避けなくてはいけない。そして何よりも、政権の人気取りパフォーマンスのために制度をあれこれいじるのは厳に慎んでもらいたい。どうも再生会議の議論は、安倍首相の著書「美しい国へ」で登場する改革各論が先にありき、で進められているようで気になる。

2007年1 月12日 (金)

ゆとり見直し、加害者出席停止盛り込みへ;再生会議報告書

 政府の教育再生会議は11日、都内で運営委員会を開き、1月下旬にまとめる第一次中間報告に①「ゆとり教育の見直し」を明確に打ち出す②いじめの加害者など反社会的行為を繰り返す児童生徒の「出席停止」措置を明記する方針で一致した(読売12日朝刊)。いじめ加害者の出席停止措置明記は毎日も同朝刊で報じ、「急進的改革に慎重な与党に配慮して明記が見送られていたが、政権浮揚のためにも教育改革への取り組みを強調したい安倍晋三首相の意向で復活した」と説明している。「ゆとり」教育見直しについても議論がまとまらず昨年末の素案には入れられなかったが「委員から反発が出て方針を転換した」(読売)という。

<谷口のコメント>
◎相変わらず不透明なプロセス◎
  この日の運営委員会は野依良治座長、池田守男座長代理、山谷えり子首相補佐官、義家弘介担当室長らが出席したというが、相変わらずの密室審議ぶりで議論のプロセスがまるで分からない。

  「いじめ加害者の出席停止」は報告書への盛り込みが報じられた2日後には訂正報道が行われた「前科」がある(11月29日当欄「いじめっ子の出席停止は盛り込まず」参照)。今度は政権浮揚のために盛り込むことになった、というのだからあきれる。昨日の「文科省、いじめ定義を緩和」でも書いたが、学校は十手・捕り縄で動いているのではないから「犯人」の特定は大変に困難な作業だろうし、どの子も平等にはぐくむ教育の本旨にもとる事態も招きかねない。再生会議の報告書に盛り込み、全国の教委が遵守通達を出したところで現場が動けないものは動けないだろう。動けるようにするのはどうするかの知恵を出しあうのが再生会議に求められていることだ。どうも上から押し付けてことを済まそうとする態度が不愉快だ。

  「ゆとり」教育の見直しも同様だ。もっと国民に分かるように説明してほしい。授業時間数を増やすためには夏休みを縮めるぐらい政府の思いのままだ、というようなおごりがないか。土曜日授業の復活などは大いに議論していいと思っているが、議論のプロセスが見えないのでは話にならない。