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2007年3 月28日 (水)

いじめでうつ病に、そして自殺;東京高裁判決

 いじめが自殺の一因だが、生徒がいじめでうつ病になり自殺するとまで学校側が予測することはできなかったーー東京高裁で28日、このようないじめ自殺事件判決があった。自殺した生徒の両親は判決を不満として上告する方針で「教育者はもっと子どもの目線でものごとをみるべきではないか」と訴えている(各紙28日夕刊1面)。
いじめを受けて1999年11月に自殺したのは栃木県鹿沼市立北犬飼中学校3年、臼井丈人君(当時15歳)。判決によると、臼井君は99年4月以降、同級生の男子2人から「プロレスごっこ」と称して暴行を受けたり、教室でズボンや下着を脱がされたりするなどのいじめを受けた。11月には不登校となり、同月26日、自宅で首つり自殺しているのが見つかった。
判決は「不登校になった99年11月までに、長期にわたるいじめを誘因としてうつ病にかかって、自殺した」とし、いじめがうつ病を引き起こして自殺に至った因果関係を認定した。さらに、同級生の暴行だけでなく、暴行を阻止せず放置した級友の態度についても、「それ自体がいじめとして自殺の一つの原因となった」と指摘した。しかし、学校側の責任について、判決は「教員らは加害生徒をいさめ、傍観した生徒も含めいじめを解消する行動を促すなどの注意義務を負う」とした上で、臼井君がほぼ毎日のようにいじめを受けていた3年の1学期中については、「教員らは加害生徒に対する指導もしっ責もせず、いじめ阻止の措置を講じなかった安全配慮義務違反があった」と判断。しかし、その後の自殺に対する責任については、「いじめが原因でうつ病にかかり自殺に至るのが通常起こることとは言い難く、教員らはうつ病までは予測できなかった」と、学校側の安全配慮義務違反を認めなかった。
この判断から裁判長は賠償額を1100万円と認定し、和解で遺族が受取った240万円を差し引いた860万円の賠償を栃木県などに命じた。一審判決はいじめから自殺まで5ヶ月以上経っていたことを理由にいじめと自殺の因果関係を否定したが、高裁判決はうつ病への罹患を認めることでこの期間の溝を埋める形となった。原告側代理人によると、いじめでうつ病にかかった結果、自殺したと認めた司法判断は初めて(読売)という。
<谷口のコメント>
 ◎いじめ放置は自殺に至ること、肝にめいじて◎
 判決の言う「安全配慮義務違反」というものの中身がよく分からない。判決はこれを2段階に使っているようだ。いじめ防止についての安全配慮義務違反はあったが、自殺については義務違反とまでは言えない、と。
これまでいじめから自殺まで時間が経過した場合はその因果関係が認められなかっただけに一歩進んだ判決と言えるが、これでは先生に甘すぎないか。たぶん、一足飛びに判例を変えるのを避けたかったのだろうが、いじめを受けて孤立した子どもがうつになって自殺に走ることは十分ありうることではないのだろうか。と言うか、自殺とはそういうものだろう。
先生という仕事はまことにしんどいものだと思う。しかし、いじめ放置は自殺に至る、ということを先生方は早く肝にめいずるべきだ。

2007年3 月24日 (土)

フィンランドの奇蹟

  JR車内の広告で「フィンランドの奇蹟」というキャッチコピーが目を引いた。予備校の広告である。日本より家での勉強時間が少ないのに学力テスト成績が世界一なのは「分からない子」を出さない体制だ、などとうたっている。暗にうちの予備校もそういう方針ですよ、とPRしているようだ。

  PISA2003(2003年実施のOECD学習到達度調査)で日本の子どもたちの成績が上位から滑り落ちて「学力」論議が盛んになる中で、世界一になったフィンランドに注目が集まっている。いろいろな分析が試みられているが、おおむね共通しているのは「落ちこぼれを出さない」教育体制が学力テストの平均点を世界一に押し上げたのだろうという見方だ。小人数クラスにし補習学習にも力を入れる、つまり教育に人とカネをつぎこんだ効果が表れているというのだ。

  なるほど、と納得する思いだが日本ではなぜそれができないのだろうという疑問がわく。地方分権だろうと中央集権だろうともっと教育にカネをつぎこむ体制がなぜできないのか。それは文化の違いなのか。教育、福祉、公共工事、軍事予算の比率を比べた場合、日本とフィンランドではどのような差があるのかなどといった分析がほしい。「フィンランドの奇蹟」は予備校でなく教育再生会議あたりに注目してもらいたいテーマではある。

2007年3 月23日 (金)

全国学テの不参加を最終決定;愛知・犬山市教委

 来月24日に行われる全国学力テスト(全国学力・学習状況調査)への不参加を表明してきた愛知県犬山市の教育委員会は22日開いた臨時委員会で、学テへの不参加を4人の教育委員全員一致で最終決定した。不参加決定は全国でも同市だけ(毎日ウエブ版)。会議では4人の委員が「テストにはプライバシー上、問題がある」「全国の校長へのアンケートでは、3割がテストに反対しており、犬山だけが特異ではない」などと不参加を支持する意見を表明。結局「『○×』で能力を評価する学力テストは学ぶ意欲を育てる犬山の教育になじまない」とこれまで通りの不参加の方針を確認した。
 昨年末の市長選で初当選した田中志典市長らが参加への方針転換を求めており、同市長はこの日の会議にも出席。冒頭「不参加を決めてから保護者説明会を開くなど順序が逆で、手続きに問題がある」などと発言、「大事な会議に欠席する」など瀬見井久教育長の勤務態度を批判した。これに対し教育長が「『選挙で公約したから(学力テストに)参加を』などと政治が教育に介入してくるのはよろしくない」などと反撃する一幕もあった。

<谷口のコメント>
◎教委改革論議の試金石だ◎
 市長と教育委員会の間にどういういきさつがあったか分からないが「だから教委も首長の直接支配下におくべき」と見るか「だから教委の自律性は確保されるべき」と取るか、意見が割れるだろう。目下の改革論議は前者の勢いが強いが、そもそも教委制度は後者の考え方から始まったものだ。それにしてもなぜ教育長を罷免しないのか。教育委員、教育長の任命は首長の専権事項だが議会の同意が必要だ。それが与野党逆転しているなどの事情があって市長が教委人事を思い通りにできない壁になっているのだろうか。興味深いケースだ。
  しかし、一番の問題は市長、教委どちらの意見に教育の大義があるか。「学ぶ意欲を育てる犬山の教育」の実体がいかほどのものかは知らないが、報道で見る限り手続き論批判しかできていない市長側が圧倒的に弱いと言わざるを得ないだろう。

2007年3 月17日 (土)

教え子との不適切な関係を聞き込み調査;群馬県教委

 群馬県教委は16日、県内の全公立小中高校610校の校長に、教師と教え子のわいせつ事件につながるような「不適切な関係」がないか調査して教委に報告するよう指示した(毎日17日朝刊社会面)。この異例の調査は、同県の教師が昨年末から4人も教え子へのわいせつ容疑で逮捕されたため行うことになった。校長が全教師にアンケートするか面接して同僚について不適切な「うわさ」や保護者からの苦情を聞いたことがないか調べ、28日までに教委に報告する。「特定の教え子と親密過ぎる」「必要以上に身体に触れる」「校外で私的に会う」などが要注意という。報告について内容に応じて緊急に対応するほか4月以降に結果をまとめる。

<谷口のコメント>
◎異様だが、抑止力になれば◎
 教育現場にあるまじきどこか物悲しく異様な話だが、教師のわいせつ事件の多発ぶりを思えば仕方ないだろう。教師という仕事柄、わいせつ事件が騒がれるので目に付き易いのか。教師という立場が他の職業よりわいせつ事件を生みやすくするのか。統計的に精査したことはないが、どうも後者の方ではないかと思える。学校に娘を通わせる親の気持ちになれば少々手荒な対応でもいいから「学校の安全性」を高めてほしいと思うだろう。他の教委でも事件が起きる前にこうした厳しい対応に乗り出してほしい。「うわさ」で人権侵害しないよう十分な注意が必要だが、無軌道な教師への抑止力にはなるだろう。

公園の遊具と少子化

昨年、近所の公園が半年かけて大改修された。結果、多くの遊具が消えた。

ここは私が子どもの頃によく遊んだ公園でもあり、これまで遊具は30年前のままだった。たしかに古かった。でもなかなかユニークな遊具があった。ブランコ、砂場、すべり台、ジャングルジム、シーソー、鉄棒の定番遊具のほかに、ジャングルジムもどきの変わった遊具がいくつかあった。

球状で軸を中心に回転する「回転ジム」、格子状につながったチェーンをつたって高いところへ登る「チェーンジム」。また、この公園は斜面にあるため2段に分かれているのだが、1段目から2段目にかけて連なったループを伝う「ループジム」、M字型に波打った「M字ジム」。

子どものときは、正直言って、ループジムやM字ジムは相当怖かった。M字ジムは高いところで3メートル近くはあっただろう。まさに鉄の棒を握る手に汗をかき、片手ずつ慎重にその汗をシャツでふいたりした。征服したときは本当にうれしかったし、年上の子が自分よりスイスイやっているのがうらやましかったりした。そして自分も体が大きくなるごとに、ちょっとずつ楽に登れるようになったのが分かるのもうれしかった。チェーンジムは何人かで同時に登ると、お互いにチェーンがゆれて登りにくく、それがまた面白かった。球状ジムは、一人がジムに乗って、別の人がジムをつかんで力いっぱい走って回すのが面白かった。大人数でやるともっと面白かった。

しかし、今回の改修で、この特殊ジムたちはすべて撤去されてしまった。鉄棒とシーソーまでもなくなってしまった。ブランコ、砂場、すべり台(といっても塗料が塗ってあって滑らない・・・)、小ぶりのジャングルジム、ばねでビョンビョンと前後にゆれるお馬さん(幼児向け)・・・・・だだっ広い公園に、これだけになってしまった。「安全」を最優先したのだろう。チャレンジ系の怪我しそうなものは無くなった。

しかし、これって・・・・どうなの????

遊具って、子どもにとっては「すぐそこにある山」だと思う。

チャレンジする勇気を振り絞ったり、征服できたときの喜びは本当に大きい。自信もつく。普段の生活では使わない体の動きが必要だし、動きながらも危険回避を一生懸命考えたりしながら頭の体操もしている。自分なりの面白い遊び方を発見する創造の場でもある。危険な遊び方をしたりもするけれど。

先月、あるテレビ番組で、自治体で公園の遊具の撤収が進むことについて、「安全面」「管理できる人がいなくなった」「事故があったときの責任回避」と理由が挙げられていた。どれもわかるけれど、大人中心の保身に逃げているだけに思えてならない。子どもたちの楽しみをできるだけ奪わないよう、まずは大人にできることがあるかを考えてみてくれているだろうか?

そのテレビ番組では、子どもの挑戦欲をかきたてながらも大怪我する危険をできるだけ減らした遊具を開発する研究者の姿を追っていた。こうした動きが広がってくれると、親としては本当にうれしい。

子どもの体力が落ちたとか、集中力が落ちているとか、子どもの肉体・精神両面での弱体化傾向が言われるけれど、公園問題に限らず、大人が作るこの社会、文化に問題があることは言い逃れようがない。

都市部じゃ原っぱがなくなってしまったのだから、せめて、子どもが集まりたくなるような公園作りも大切じゃないだろうか。

たかだが遊び、されど遊び――肉体的にも精神的にも、遊びで体得するものの大きさは、親として日々実感している。

かくいう私も、タラコができるまで、そんな目で公園や町について考えたことなどなかったのである。しかし、少子化が進むと、街づくり一つ取っても、子どもの目線を理解する大人が減るだろう。「子どものため」といいつつ、実は大人の都合だったり。

何から手をつけたらいいのかわからない少子化問題。とりあえず出生率を上げようと、補助金や働き方の問題がクローズアップされる。しかし、今生きている子どもたちが元気に生きられる環境を作ることがまずは大切なんだろうと私は思う。

子どもたちが心も体も元気に育たなければ、子どもの数が増えただけでは社会に活力がみなぎるとは思えない。それには、街づくりだって長期的に少子化問題と関わる大切な視点なんだ!――などと、2歳のタラコでも登っていく小さなジャングルジムを見上げて、ため息をつく・・・・・・。

2007年3 月12日 (月)

教委への「国の関与」で迷走;中教審答申

 中教審は10日、安倍首相が今国会への提出を予定している教育関連3法(学校教育法、地方教育行政方、教員免許法)改正案について答申した。この中で地方教育行政法(地教行法)改正案に盛り込まれる「国の地教委への指示」については、生命や身体の保護のため緊急の必要があるときや憲法が保障する教育を受ける権利が侵害されるなど極めて限定された場合に限り必要とする意見が多数を占めた。また、地方分権に逆行している、など強い反対意見が出された。答申はこの両論を併記する異例の形となった。都道府県教育長人事について国に承認権を与える改正案と私立学校への教委の指導を認める改正案については導入を否定した。教員免許に10年の有効期限を設けるなど他の改正案は了承した。

◎もっと根本からの教育委員会論議を◎
 審議会は行政の言いなりの結論を出す隠れ蓑ぐらいにしか見ていない人が多いが、今回の中教審の迷走はさすがに行政側の要求が目茶苦茶だったということだろう。今国会に教育3法改正案を提出、というスケジュールが先にあって「1ヶ月で審議を」というのではあまりに中教審を舐め切っている。今回の安倍教育改革が持つ政治パフォーマンス優先という問題点が際立ったと言えるだろう。

 改正内容でも、「国による教育委員会への是正勧告・指示権」「国による都道府県教育長の任命承認権」導入を目論む地方教育行政法改正は教育委員会という戦後教育の原点にからむ部分だ。戦後レジーム(制度)の見直しを掲げる安倍政権にとって十分に議論を尽くすべきテーマではないか。しかも、これらの中央集権手法はわずか7年前、00年の地方分権一括法で廃止されたばかりだ。これまたスピード審議の教育再生会議の尻馬に乗って一度失った権限を取り戻そうとした文科省も拙劣だとしか言いようがない。

 それにしても、教育委員会という制度は国民の間に根付いていない。かつて教育委員は公選制だったが1955年の地方教育行政法改正で公選制は廃止され、首長が議会の承認を得て任命するやり方になった(06年12月26日、当ブログ「ある特ダネの思い出」参照)。教育委員というものは住民が選挙で選ぶ、という考え方があるほど重要な仕事だ。それをあまりに形ばかりの存在にしてきた教育委員会そのもの、行政の責任は重い。公選制がベストとは思わないが、いずれにしろ教育委員会の活性化はもっと根本から論議するべきテーマではないだろうか。
 

2007年3 月11日 (日)

学校新聞王国・山形はなぜ生まれたか

  その年、山形県庄内地方は猛烈な残暑だったが大会も熱気にあふれていた。1999年8月末、鶴岡市内で開かれた全国新聞教育研究協議会(全新研)年次大会。全新研と全国小・中学校・PTA新聞コンクールを共催している毎日新聞から参加した私は、いつもの全新研の集まりと違う様子に驚いた。若手の先生方の姿がずいぶんと目立つのだ。何十人もの若い先生が規律よく、暑さをものともせず運営に汗を流している。
「これが山形の強さなんですよ」。大会で12代全新研会長に選ばれたばかりの井上英昭・東京都町田市立町田第一中校長(当時)がうなった。若手が少ない東京ではみられない熱気あふれる情景がそうさせたのか、日頃クールな井上がインタビューに答え、熱い調子で「学校新聞は学校の公器だと思うのです」と何度も「公器」を強調したのが印象的だった。その様子は同年8月24日毎日朝刊「ひと」欄にも残っている。

  その若手の群れの中に、30代半ばながらコンクールですでに3度にわたり内閣総理大臣賞を獲得し全国に名がとどろく出嶋睦子教諭の姿もあった。しかし、直接ことばを交わしたのは06年6月、やはり鶴岡市の湯ノ沢温泉で開かれた全新研OB組織「パピルス」総会が初めてだった。
  「全新研はもっと書く教育に力をいれるべし」。お客の身を忘れて全新研を叱咤激励するスピーチをした私は、懇親会の場で地元からあいさつに見えられた若手、中堅の先生方をつかまえては「学校新聞王国・山形の秘密はどこにあるか」をぶった。「学校新聞王国は風土がつくった。風土は人と歴史がつくるものだ」と、教えたかったのである。前年とその年の2年連続で通算5度目の内閣総理大臣賞に選ばれた酒田市立平田中学校「平中タイムス」顧問、出嶋も被害者の1人だったが、その後「平中タイムス」を送ってくれるようになり、私は今も生き続ける学校新聞王国の息吹に直接接する機会を持つようになった。

  ところで風土の話。
「コンクール半世紀の軌跡と展望 1951-2000」という冊子が手元にある。毎日新聞学生新聞本部(現・「教育と新聞」推進本部)と全新研で01年3月に刊行した。編集に当たった私が一番力を注いだのは「新聞づくりの風土 庄内ルポ」だった。編集委員の横山健次郎・13代全新研会長と小川正典・毎日こども環境・文化研究所事務局長(当時)が特派員として現地取材に入った。
ナゾ解きに行き暮れた小川から概略の報告を聞いて、私は「その男を徹底的に取材せよ」と指示した。ルポは冒頭でこう描いている。
 「猛暑の庄内平野の取材行で2人はある男の存在の大きさと、その情熱を発展させた教育風土の厚みを肌で確認することになった。その男とは鶴岡市立朝暘第三小に教諭、教頭、校長と3度かかわった新聞の鬼・石田雄である」。
 石田は1953年、山形大学教育学部第1回卒業生として藤島小学校に赴任する。新米の石田を待っていた担当が学校新聞つくりだった。当時、庄内地方の小学校では校務分掌に学校新聞が位置付けられているところが多かったのだ。GHQ(連合国軍総司令部)主導で押し進められた戦後の教育民主化の中で「新聞づくり」は太い柱だった。「新採で文句も言えないし、生田先生(当時の学年主任の生田謹吾、後に鶴岡市教育長)が一緒にと言うなら大丈夫かな」と新聞教育の道に入ったと石田は特派員に語っている。

 その後、新聞教育の面白さにのめりこんでいった石田は多くの後輩をこの道に引き込んでいった。特に縁が深かった朝暘第三小は「庄内全体の養成所」と言われた。三小で新聞教育を学んだ先生たちが異動先でも新聞教育を活発に展開したのである。こうして石田らが立ち上げた山形県新聞教育研究協議会は全新研の中でも異彩を放ち続けるようになったのである。

 「王国の秘密」の歴史を簡潔に言うと以上のようなストーリーになるのだが、「今年度(06年度)のコンクールは文部科学大臣賞でした」と連絡をくれた平中タイムス顧問の出嶋に改めて聞いてみた。「この道に入るきっかけはなんでしたか」。出島の答えは意表を突いた。「新採のときの校務分掌でしたから」。戦後間もなくの教育改革の熱気が「校務分掌」の形で残され続けている?…。先生が忙しすぎるのか、力量、指導力の低下なのか、新聞づくりのような面倒にかかわるのは敬遠しがちな先生が増える中で「校務分掌」という言葉はいかにも新鮮だ。これも風土がなせることかもしれないと感じた。

 毎月発行されている「平中タイムス」のことは、このブログで<紙は石なり>(06年6月30日)<「いじめある」4割――衝撃の調査結果に全校が立ち上がる;酒田市立平田中>(07年2月13日)の2回取り上げた。特に印象的だった記事は同タイムスが昨年行ったいじめ撲滅キャンペーンだ。同紙のアンケートに同中生徒の約4割が「周囲にいじめがある」と回答したのは衝撃的だったが、それを真正面から取り上げ、キャンペーンに乗り出した編集部の骨太さに感動した。中学生らしい正義感と真摯な理想主義が同紙の特色である。

  さらに、感心したのは学校当局がこの記事を受けて「いじめを考える」時間を設けたことだ。新聞部のインタビューを受けた校長先生は「驚きました。でも正直に答えてくれて良かったです」と率直に回答。「まず誰かに話してほしい」と訴えている。平中タイムスに最大限の敬意を表した言葉として、きっと子どもたちの心に残るだろう。
  学校新聞が「公器」として機能している象徴的なケースだろう。学校新聞王国・山形の伝統が人を得て連綿とした風土を培っていくよう期待したい。(敬称略)

2007年3 月 7日 (水)

 目立つ書写授業の3学期まとめ履修;文科省調査から浮かぶ

 公立中学校の10%は国語科書写の授業は3学期にまとめて行い、25%は書写の中でも毛筆授業は3学期にまとめて行う実態が文科省がこのほどまとめた中学校での必修教科履修調査結果から浮き彫りとなった(文科省ホームページ2月27日掲載)。文字教育の在り方として議論を呼びそうだ。

 この履修調査は、高校での履修逃れ問題の拡大を受けて、全ての国公私立中学校について06年12月20日現在で行った。国語科の必修領域なのにやらない中学校が多いと見られている書写については特に社会、理科などと並べて調査を行った。
 その結果、必修教科全般については国公立は履修状況に問題がある学校はなかったが、私立の72校で必修教科を学年ごとに開設していなかったり標準授業時数より著しく少ない時間しか教えていないなど不適切な取り扱いがあった。

 書写は学習指導要領で1年生は国語科時数(140時間)の2割程度、2、3年生は同(105時間)の1割程度を充てることとされている。書写は毛筆と硬筆で構成されるがその配分までは定めていない。しかし、毛筆は硬筆による書写能力を養う基礎と位置づけ、毛筆授業は各学年で行うこととされている。
 こうした規則に沿っているかを調べるため、調査ではまず書写の実施状況を12月20日現在で聞いた。その結果、国立78校中19%、63校が「いずれかの学年または全学年でまだ実施していない」と回答、公立では10、114校中10%、1019校、私立は699校中24%、171校が「まだ」と回答した。次いで同様に毛筆の実施状況を聞いたところ国立の44%、35校、公立の25%2、567校、私立の39%、276校が「まだ」と答えた。

12月20日といえば冬休み直前であり、書写授業の要である毛筆は中学校の4校に1校が3月期集中で行う実態が浮かんだ。国語教育の観点から、新出漢字に併せて字のはね、とめなど基本を毛筆で教えていくなど文字感覚を養う上でこの状況がいいのか問われなくてはいけないだろう。

 文科省教育課程課の坂下祐一専門官との一問一答は以下の通り。
――各教科の中で国語科については書写の履修状況を特に取り上げた理由は何ですか。
専門官 一部の報道で書写を履修していない中学校がある、との指摘があったからです。
――書写と毛筆に分けて聞いていますが書写の2大要素の毛筆と硬筆について聞くべきはありませんでしたか。
専門官 確かに検討の中ではその案もありましたし、都道府県が実施したケースでも毛筆と硬筆に分けているものもあります。ただ、調査項目を精選する必要と学習指導要領の定めたところに沿って調査を設計した結果、このような聞き方になりました。
――なぜ17年度実績を問わなかったのですか。
専門官 そのような考えはあるでしょう。この聞き方ではもともとの年間計画であるのかどうか分かりません。(学年終了直前の)今ごろの時点で調査を行えばその点ははっきりしたと思います。ただ、今回の調査が高校の履修問題にからむ国会審議の中で文科大臣が中学でも急遽現状調査をすると答弁したことに基づいて行ったものですし、高校履修問題が現状はどうかという点で検討されていた状況にも併せたものです。
――改めて実態(実績)調査をする予定はありますか。
専門官 ただいま現在予定があるかどうかと言うことであればございません。今後と言うことで会えれば、あるともないとも言えません。
――今回の調査はどういう意義があったとお考えですか。
専門官 全体状況を見て現状を再確認できた意義は大きいと思います。都道府県別の状況も参考になるのではないでしょうか。

<谷口のコメント>
◎現実の把握が急務◎
 12月20日現在で書写の履修状況を聞かれて「まだ」と答えた学校も、「今後も実施しないか?」と重ねて聞かれて「しない」と答える国公立校はあるだろうか。勘繰りではあるが、前年度までは履修逃れをしていたとしてもこうした調査をかぶせられた上は3学期にまとめてやろうとどの校長も考えるに違いない。こうした調査にならざるを得なかった事情は分かるが、やはりしり抜け覚悟の聞き方だったとの印象は否めない。

また、「書写は履修していますか」という聞き方も漠然としている。書写は毛筆と硬筆で構成されていることは前述の通りだが、「毛筆は」「硬筆は」と分けて履修状況を聞いてほしかった。「硬筆書写授業をやりましたか?」と聞かれて調査結果のように9割もの公立中が「はい」と胸を張って答えられるかどうか疑問だ。一般的な漢字練習などの中にまぎれさせていないだろうか。調査の狙いがざっくりとした履修問題に焦点があてられていたとしても、あいまいさを残す設問で残念だったと言わざるを得ない。
ただ、全体として国語科書写の毛筆授業を3学期集中型でやっている学校が4分の1に上ることが浮き彫りとなった。これはは問題だ。書写学習のねらいには「文字を正しく整えて読みやすく書く」ことがあり、中学校の書写ではこれに「速く」が加わる。合わせて4つの観点からねらいが説かれているが、「正しく」または「正確に」と言う点では、新出漢字を習うのと並行して学ぶことが、学習者の立場からはより効果的だ。また、「整えて読みやすく」については、文字感覚を養っていくという、文字文化の視点からの能力にも関わる観点である。だから感覚を養うということを成果として求めるのであれば、短期間にまとめて単位数をこなすような学習でなく、年間を通じて定期的に授業を設けて学習することがベストと言えるだろう。

 こうした問題とは別に11%の私立中学校が「今後も書写の履修予定はない」と回答しているのは残念だ。書写が日本の伝統文化の学習とも深く結びついていることなどを踏まえれば特色ある教育をしやすい私立でこそ書写教育の充実を期待したいものだ。

 いずれにしろ今回調査で書写教育の実際が明らかになったとは言い難く、本紙としても実態取材の必要性を痛感した次第だ。

2007年3 月 3日 (土)

 学研子会社の塾をウソ勧誘で処分:経産省

 経済産業省は2日、学習研究社(学研)が100%出資する学習塾「学研ジー・アイ・シー」と販売代理店の2社に特定商取引法違反で6カ月間の業務停止命令を出した(各紙3日朝刊)。両社は学研の学習教材を販売し、購入した小中学生や高校生らを対象にした塾を経営しているが、講師が足りずに十分な指導ができないことを知りながら「(指導の)予約できないことはない」などと虚偽の説明をして生徒らを勧誘。また途中解約したお客が未使用教材を返品しても特商法の規定に違反して返金に応じなかったという。「学研大学入試現役合格システム」という名前の学習塾受講・教材セットは3年間で約114万円と高額だった。違反の2社は塾を全国で20ヶ所以上展開していたが06年3月に新規募集を停止している。ジー社の社長は学研の家庭教育事業部長を兼ねていた。

<谷口のコメント>
 ◎処分が遅すぎる◎
 資本、人事、営業実態から見てジー社は学研直営に近いのではないか。学研は定評のある学習系出版社であり、その信用を悪用したやり口は極めて悪質だ。学研は「返金には応じていく」としているようだが泣き寝入りしてしまった人たちの救済はされるのだろうか。それにしてもジー社が募集を停止して1年も経ってからの処分は遅すぎないか。こうしたケースは新たな被害者を出さないよう役所の迅速な対応が必要だ。

2007年3 月 2日 (金)

定員割れ私大の「延命」補助金見直し;文科省

 文科省は07年度から私立大学・短大・高専への補助金体系を見直す(朝日2日朝刊1面)。「延命効果しかない」と評判の悪かった定員割れ放置大学などへの補助金カット率(現行最大15%)を5年後に3倍程度へ引き上げる。一方、定員割れ学部の募集停止や定員減、統合などに取り組む大学向けに「特別支援経費」(4億円)を新設して改善策を後押しする。私学補助は05年度実績で全991校のうち879校に年間2200億円が出ている。定員割れが起きている大学などは45%に達しているという。

<谷口のコメント>
◎甘すぎないか?特別支援経費◎
 厳しくするのは分かるが、上限4億円の特別支援経費などというのは必要なのだろうか。学生を人質に取られているからつぶれるに任せるわけにもいくまい、ということだろうが、多額の税金をつぎ込んだ上に整理金まで面倒見るのは国民の納得を得られると思えない。アメとムチというけれど、行政にアメは不要だ。粛々とスジを通してほしい。個々の私学の経営実態は見えにくいが、補助金行政の情報はもっと国民が見やすくしたらいいと思う。倒産して迷惑こうむるのは学生たちでもあるし、カネを出しているのは親だから。