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2006年12 月31日 (日)

必修逃れで教職員517人処分:朝日新聞集計

 公立高校で必修科目の履修逃れが判明した35都道府県のうち、12月末までに17道県の教育委員会が関係者を処分したことが朝日新聞社の集計で分かった(朝日31日朝刊1面)。いずれも過去にさかのぼって校長ら責任者を処分した。教育長が最も厳しい処分になる場合が大半だが、山梨では県教委の調査に2度にわたって「履修逃れはない」とウソの回答をした校長が戒告となった。一方、処分に慎重な教委も少なくない。私立高校に対しては直接の処分権限はないが、三重県では履修逃れのあった2校への補助金減額を検討中だという。

 <谷口のコメント>
◎甘すぎる処分で襟は正せるか?◎
 記事ではきちんと書かれていないが処分内容は最高でも「戒告」にすぎないようだ。人事記録に残ると言っても、信賞必罰の人事が行われている組織なら今度のような問題は起きないわけで、どこまで反省しているのか疑わしい処分状況と言わざるを得ない。今回の出来事はかつてない組織的教育犯罪と言っても過言ではない。各教委はもっと足元をケジメで固めて再出発して欲しい。
 
 地方公務員の懲戒処分としては軽い方から戒告、減給、停職または免職がある(地方公務員法29条)。最高裁判例(平成2年1月)は「学習指導要領には法規性があり、授業、成績評価の方法が違反している場合、懲戒の対象となる」と明示しており、必修科目の履修逃れはれっきとした違法行為だ。教育長や校長など組織のトップにある者が積極的に履修逃れを推進しようとしたケースはないのか。あれば疑いなく停職以上の処分が相当だろう。最初に始めた人物が最も罪深いのは当然だが、漫然とこれを継承した教員、見逃した行政職員も同罪である。懲戒を避け、厳重注意で済ませているケースも多いようだ。各教委は事件に対する認識が甘いのではないか。文科省は直接の人事権を持たないとしても、「量刑」の判断基準は示すべきではないか。

 自分はどちらかといえば教育は指導要領で縛るのではなく、自由にやるべきだという考えに近いが、「指導要領などくそ喰らえ」と現場が事実上の尻抜け状態となって、結果的に受験直前の補習を強いられるなど不平等な事態が起きることを恐れる。その意味で言えば、最も問い直されるべきは指導要領の法規性を認めた最高裁判例なのだろうか。

2006年12 月22日 (金)

中学校でも必修逃れ調査;文科省が通知

  文科省は20日、高校で問題となった必修科目の履修逃れが中学校段階ではどの程度起きているかを把握するため、全国の国公私立すべての中学校約1万1千校を対象に実態調査を求める通知を出した(朝日21日朝刊社会面)。通知では①学習指導要領で定める必修教科(国語、数学などの教科と道徳、特別活動)が学年ごとに開設されていない②授業時数が著しく少ない③国語で書写、毛筆を実施していないーの3点のいずれかに該当する学校や生徒数などを来年1月15日までに回答するよう求めている。

 <谷口のコメント>
 ◎書写、毛筆は違反ゾロゾロか?…静かに広がる発覚パニック◎
 予測されていたこととは言え、20日付で発布された文科省通知(通達)のニュースは全国の中学校に衝撃の渦を広げている。特に第3点(書写を実施しているか)はひっかかる学校が多数出るのではないかと予測する向きもある。これまで硯も墨も無縁だった中学校で急に先生が「習字の用意」を指示したという話もすでに書塾で話題になったと22日には聞こえてきた。

日本語軽視の風潮が強まる中で指導者不足も相まって国語科での書写、毛筆の取り組みが不十分なことはいわば周知の事実とも言える。一方で学習指導要領は中学校で教えるべき書写、毛筆の授業時間数(1単位=50分)を1年生は国語授業時数(年間140単位)の2割、2.3年生は同(105単位)の1割と定めている。つまり、1年生なら年間28時間の書写、毛筆の授業がなくてはいけないことになるが、子どもに聞いても「?」という返事が少なくないのが実態ではないか。

中学校は高校と違って単位制ではないので文科省は「標準の授業時数を下回っても、卒業認定に直接影響を及ぼすものではない」としている。ひどい混乱にはなるまいと先を見越しての通知になったようだが、日本語の乱れが教育の乱れを生んでいる側面も強い。本腰を入れて履修逃れ是正に取り組んでもらいたい。

2006年12 月21日 (木)

ある特ダネの思いで;中野区教育委員準公選条例

 教育改革問題で教育委員会が話題に上るたび、思い出す1本の記事があった。28年も前に毎日新聞都内版に書いた地味な記事で手元にはスクラップしていない。今日、国会図書館に行く用がたまたまあって、ようやく縮刷版で3段の細い見出しを見つけ出した。<ぎりぎり成立か/中野区の教育委員準公選/29日、特別委で結論>(1978年11月17日朝刊東京版)。小さい割には1200字もある長い記事を読んでいるうち、当時のことが次々と思い出された。
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「なにい! 準公選条例案をどうする気かだって?」。東京都中野区議会公明党幹事長は突然押しかけてきた若い記者を睨み付けたまま、しばらく押し黙った。確か鮫島さんという名前だったと記憶している。1978年11月のことだった。同区では住民たちが起こした直接請求運動が功を奏し、区議会に2ヶ月前「中野区教育委員準公選条例案」が上程されていた。「教育委員を住民投票を参考に区が選ぶ」という条例案に対し賛否が真二つに割れたまま、その成否はキャッシングボードを握る公明党の態度にかかっていた。

 当時、社会部西支局(新宿)にいて中野区を担当していた私はその取材を続けていたが、態度を明らかにしない公明党に業を煮やして面識もない区議団幹事長を直撃したのだった。
しばしの沈黙ののち、鮫島さんはこう言った。「あの(1955年の)乱闘国会で、わが党は自民党政府の横暴に体を張って抵抗したんだ。そのことを考えれば、答えは決まってるじゃないか」。少し遠い目をしてそれだけ言うと鮫島さんはまた黙ってしまった。

  「なんのこっちゃ?」と頭をひねりながら急いで歴史をひも解いた私は「ああ、これか」とひざを打った。その国会で教育委員会法に替わる地教行法(地方教育行政の組織及び運営に関する法律)が成立していた。教育委員会法は戦後教育改革の理念である「教育行政の一般行政からの独立」を旗印に、教育委員は住民の直接選挙で選ぶ公選制だった。しかし、政党色が入り込むなどの弊害が言われるようになり、ついに公選制を廃止して、教育委員は首長が議会の承認を得て任命する仕組みの地教行法が成立したのだった。

 この任命制に対しては「住民の意思が教育に反映されない。それが教育の荒廃につながっている」などの反対は根強く、中野区住民が全国で初めて準公選条例の制定を求める直接請求運動を開始。2万人の有効署名を集めて条例制定を求めたため地方自治法の規定にのっとって条例審議が議会で行われることになったのだった。条例案は区民に自由に立候補させて、誰がふさわしいか区民投票を行い、区長はその結果を尊重して議会に人事案を提出する仕組み。これに対し国はもちろん、当時革新区長と言われた大内中野区長も「趣旨は意義があるが現行法と相容れない」と反対していた。

 支局に戻った私は大急ぎで原稿を書いた。1200字におよぶ長文の原稿だ。さわり部分はこう書いてある。「(公明党は)大勢として賛成の方向で固まった。このため自民、自民同志クラブが反対に回っても、同委(条例案審査特別委員会)採決は10対10の可否同数となり、委員長採決で採択され、本会議で可決されると見られる」。その後の流れはまさに記事どおりとなり全国初の準公選条例は成立したのだった。

 翌日、11月17日朝刊に記事は都内版3段で載った。見出しは「ぎりぎりで成立か」。全国版にいくだろうと思っていただけに地味な扱いにがっかりした。案の定、しばらくして朝日新聞は夕刊1面トップで「成立へ」と大きく報じた。せっかくの特ダネをもっと売り込まなかった自分、デスクに誘われるまま扱いも確かめないで舞伎町へ繰り出してしまった自分を二日酔いの頭で痛く反省したのを覚えている。

 この記事には後日談がある。記事が出た日は区議会の各党から成る調査チームが沖縄に出かける日だった。沖縄は1972年の施政権返還までアメリカスタイルの教育委員公選制を取っていた。その前後の様子を聴くのが調査目的である。羽田空港で記事のことを聞いた自民党区議は売店で新聞を買い求めて一読、新聞を床にたたきつけて靴で踏みにじったという。同行した議員から聞いた。「実はまだ公明党も内部は割れていたんだよ。この記事で大勢は決まった」。取材を尽くしたら書いたかどうか。後で思い当たる節はあった。5ヵ月後の中野区長選で自民・公明が押す初の保守中道首長が誕生したのである。その動きはそのころすでにたけなわであっても不思議ではない。鮫島さんの言葉ひとつで「ぎりぎり成立」と打った若気の至りが懐かしくもあるが。
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 その後、中野区の教育委員準公選制がどう変遷したか詳しくは知らないが、今ではまったく見る影もないという話を聞いている。もはや口の端にも上らなくなった教育委員公選制もあわせて、教育への住民意思の反映について少し考えて見たいと思った。

2006年12 月18日 (月)

愛国心教育の大きな転換点だ;教育基本法改正

  良くも悪くも盛り上がりを欠いたまま、59年ぶりに教育基本法が15日、改正された。国会審議の最中にも「しょせん理念法だから」「どうせ何も変わりはしないさ」という声が聞かれたが、それは間違っている。今回の基本法改正により、日本の教育が大きく舵を切っていくことは明らかだ。改正の最大の効果は教育行政の中央集権化が進むことではなかろうか。改正法が掲げた教育目標は「愛国心」項目などいずれも個別には正しく、美しいものばかりだ。日本の文字文化振興を目指す一人として伝統文化の尊重はもろ手を挙げて賛成したい。しかし、中央集権構造に乗って徳目が強制的に教育現場に注入されるとき、教育勅語が支配した戦前日本の過ちを繰り返さないとは限らない危険性をはらんでいる。しっかりと教育行政を監視し、間違った方向に行くことがないよう、世論を広く興していかなくてはならない。

改正の最大のポイント旧法では第10条に置かれていた「教育行政」の項目である。改正法16条は旧法の「教育は不当な支配に服することなく」との文言は残しながら「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり」を追加したうえで「教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなくてはならない」と、国と地方の関係を規定した。
つまり、法が定めるところに従って指導的な立場にある国が打ち出した方向は守られねばならない、という中央集権の考え方が色濃い改正である。旧法が不当な支配者にもなりうる存在として想定していた国は、法定という錦の御旗の下、常に正しき支配者になってしまう恐れがある。

一方、改正法が新しく列挙した「教育の目標」(第2条)の5項目はいずれも大事なことである。「愛国心」論争で注目された第5項目の「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」についても異論がある人はそう多くはないだろう。ただ、旧基本法が第1条(教育の目的)で「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび…」と個人を強調したのは、“愛国心”が一人歩きして軍国主義に利用された苦い経験からではなかったか。国会審議でも、あるいは各方面の論調でも「愛国心は基本法に書いたからと言って養われるものではない」という主張が見られたがまさにその通りだ。だからこそ敢えて法を改正してまで盛り込む危険を犯す必要はさらさらなかった。

安倍首相の視線の先に憲法9条の改正があることを考えれば、やはり愛国心教育のあり方こそが今後の最大のテーマであると言わざるを得ない。

2006年12 月16日 (土)

 教育基本法を改正

安倍政権発足に伴う臨時国会最終日の15日、改正教育基本法が参院本会議で自民、公明の賛成多数で可決、成立した。改正は1947年の制定以来初めて。改正法は前文で公共の精神の尊重を強調、教育目標に「愛国心」項目を盛り込んだ。同法改正は政府・与党が今国会の最重要法案と位置付けてきたもので、改正法17条が定める「教育振興基本計画」の策定が進められる。また、すでにスタートしている内閣府の教育再生会議での議論を中心に、教育改革の動きが本格化していく。

<谷口のコメント>
18日、評論コーナー参照

2006年12 月 8日 (金)

華ある高校生ら;クラーク記念国際高校の舞台公演

 「うーん、これでいいんじゃないかなあ。履修問題などに目くじら立てなくとも。学校は楽しくなくちゃ」。
高校生の手づくりとは思えない感動の舞台を見終わって、唐突ながらそんな思いが湧いてきた。8日午後、東京・北品川の六行会ホールで観たクラーク記念国際高校パフォーマンスコースの生徒らによる公演「大江戸ロケット」。狭い舞台上にあふれるばかりの生徒たちの表情は誰もが歓喜に輝いていたのである。

 芝居そのものはプロ劇団が手がけて話題になったものらしいが、歌あり踊りあり、殺陣ありのミュージカル仕立て大江戸活劇。光りと音響効果も満点で、キャスト表によると約80人の生徒が3時間の公演舞台に登場した。演技もしっかりとしていて保護者らで満員の約250席のホールは丸3時間、舞台に引き込まれたのだった。

 クラーク記念国際高校の名前を知ったのは今年の春。フリーになったのを知った旧知の元小学校長が「自分も講師で教えているけれどユニークな学校だから取材をして見たら。不登校だった子らも沢山いるんだよ」と勧めてくれたのがきっかけだった。誤解を招くといけないので言っておくと、冒頭の「履修問題などに目くじら立てなくとも」というのは一般論で、同校にその問題があるというのではさらさらない。ただ、単位制・通信制を最大限に活用した高校だけあって実にフリーな構成で、学ぶペースも全日制から週1~3日コース、在宅コースまで個人に合わせいろいろだ。全国32都道府県にキャンパスやスクーリング会場があるという。

 面白そうだと取材準備に入ったがいろいろな事情から着手できずに日が延びてしまっていた。忘れかけたころ最初に知り合った東京キャンパスのパフォーマンスコースの先生から公演の案内をいただいたのだった。パフォーマンスコースは同高校の人気コースで「『ダンス、歌、演劇などのパフォーマンス(表現活動)を通して、自分らしさをメッセージしていきたい』。そんな夢を持った人たちが集まっています」(ホームページから)という。プロを目指す子も多いが、その女性教諭が強調したのはむしろ自己表現が苦手な子らがコースでの日々を通じて変容していく醍醐味だった。

 地下のホールから地上へ出る螺旋階段の両側は出演者等が舞台衣装のままずらりとならんでいた。主役級もいればサル、トリ、シカなど森の動物たちもいる。圧倒的に女子が多い。その顔をまじまじと見ていくと、誰もが実に歓喜に輝いたいい顔をしている。7日から10日までのロングランだが実に楽しそうだ。

 「生徒たちの笑顔とは別に抱えた悲しみや悩みも追いながら、高校って何か、立体感のある取材の舞台になるかもな」。最寄り駅に歩きながら考えた。もちろん、履修問題にも徹底的にこだわってこそ意味がある取材になるだろう。ただ、学校はやはり先生や仲間と共に生きていく場であり、楽しくなくては始まらない、という前提は不変に違いない。

2006年12 月 7日 (木)

教委設置義務の撤廃盛り込まず;規制改革会議

 政府の規制改革・民間開放推進会議の最終答申に「教育委員会の設置義務の撤廃」は盛り込まれないことが6日、明らかになった(朝日7日朝刊2面、読売同)。推進会議が7月にまとめた中間答申では、教育委員会が十分に機能していないことを理由に、地方自治法に定められた教育委員会の設置義務をはずし、設置を自治体の判断に委ねる選択制を導入する方向で検討するべきとしていた。方向が変わったことについては「いじめ問題の深刻化で教委機能強化を求める世論を背景に、佐田規制改革相が『撤廃は答申になじまない』と主張したことに配慮した」(読売)、「教委制度の見直しを検討している教育再生会議の議論も踏まえる」(朝日)などが報じられている。

<谷口のコメント>
◎教委について本格論議を◎
 教委不要論とも言える規制改革会議の7月答申は鮮烈だったが、「なぜ、規制改革会議で?」という違和感はあった。その後始まった政府を挙げての教育改革論議の帰趨に委ねるというのは正しい結論だ。いじめなど最近の一連の事件で教育委員会の保身・隠ぺい・事なかれ・鈍感体質が指摘されている。確かにそうした一面はあるにしても教育委員会の担う役割は大変重要で一般行政部局と区別されていることの意味合いは大きいのではないか。そうしたことに国民の理解がどこまで及んでいるか不確かなまま、教委強化を望んでいるのか不要だと思っているのか国民世論の方向を論ずることは難しい。再生会議は教委制度のそもそもの趣旨などもっと本質的な部分にまでさかのぼって教育委員会論議を深めて欲しい。