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2007年5 月 7日 (月)

タラコの心臓~その後~

タラコは3歳になった。心臓の病気は「3歳までの穴の閉じ方で、その後5、6歳までの予測がだいたいつく」と言われていた。その3歳になり、心臓の検診に行った。

結果は現状に変化なしだった。レントゲンも心電図もエコーもみたが、心臓の雑音の大きさも心臓への負担具合も変わっていなかった。

私は日々タラコの胸に耳を当てて、心臓の音を聞いているが、素人耳にも音に変化がないなと感じていたので、予想通りの診断だった。

予想通りとはいえ、やはり涙がじんわりしてきた。急ぐ必要はないが、時期をみて「カテーテル検査」する必要はあるだろう、ということだった。足からカテーテルという細い管を通して、心臓の穴の大きさを正確に見てみたりするという。

タラコは生後2ヶ月に心室中隔欠損と診断されてから、むくんでいる心臓の負担を減らすために利尿剤と血管拡張剤を飲んでいる。

子ども用だから薬はごく微量なので、糖分に混ぜ“かさ増し”して処方される。そうでないと、薬袋に薬がくっついてしまって、正確な量が飲めないからなのだという。つまり甘いわけで、タラコはけっこう進んで飲みたがる。

嫌がられては困るのだけど、アメなめるみたいに喜ばれるのも、何だかフクザツな気持ちだ。

検診の前日、「明日、A先生の病院に行くからね」と言うと「病院?タラコ、お風邪引いてるの?」と聞く。そうだな、3歳になり、物事を分かるようになってきたから、ちゃんと説明しよう、と思った。どう話したら理解されるか考え、こう言った。

「タラコもママもパパもおじいちゃんもおばあちゃんもお友達も、みんなみんな人は体の中にハートがあるの。でも、生まれたばかりの赤ちゃんのときから、タラコのハートはちょっと欠けちゃっているの。だから、A先生が赤ちゃんのときから“もしもし?タラちゃんのハートは元気ですか?”って診てくれているんだよ。タラちゃんのハートが元気になるためにお薬飲んでね、って言われているの」。

タラコは「ふーん、欠けちゃってるの。あら、たいへんね~」とわかったようなわかっていないような返事だった。

それから2週間くらいたったある日、突然タラコが「ねえ、ハートの話、して?」と言った。その瞬間何のことを言っているのかキョトンとしたら、「あのさ、欠けちゃってるの?」と聞く。あ…心臓のことか・・・ちゃんと聞いていたんだ・・・と胸がしめつけられた。

1年前、近くの公園で、ある小5の女の子に会った。この子がよくタラコの世話をしてくれて、優しい子だった。

元気に飛び回る子だったので「すごいね」と声かけたら、「でも、私、心臓の手術しているから、体育は得意じゃないよ」と胸の傷跡を見せてくれた。お母さんに話を聞くと、その子は「ファロー」という4つの症状が重なった先天性心疾患で1歳半で手術したという。

そしてそのお母さんは言った。「手術して治るなんてラッキーよ。手術しても治らない病気の子が病院にはたくさんいるよ。入院している間、亡くなっていく子もいてね・・・・・・。だから手術できる病気は病気じゃない。胸に傷跡は残るけど、大人になってヌード写真集は無理かもね、ってとこでしょ!」と明るく言い放った。

せつなくなると、このお母さんの話を思い出して、気を取り直す。

でも、「タラコ、ちょっとハート欠けちゃってるのね~」とタラコにつぶやかれると、やっぱりせつない。無邪気さが痛くって、息を吸っても吸っても・・・・・・胸が苦しい。

2007年5 月 5日 (土)

シリーズ・書写を考える<9>

                   第1部「書写教育の今日的意義を問う」
                                      ~大平恵理氏インタビュー~
 その4<続・子どもの変容>
  「書写を習うすべての子が字は上手になる」を信条とする日本書写能力検定委員会(書写検)首席副会長、大平恵理氏は、その実例をいくつも挙げた。学ぶ教材や指導者、学習のノウハウが、上達するために重要な役割を果たす、というのが同氏の考え方だ。一般に学習、習い事で上達するための前提として不可欠と思われる「忍耐力・集中力」については、逆に「上達することで養われるもの」と力説した。紙一重を積み重ねるようにして上達していく書写の取り組みがそれを実現すると説明する。前回に続いて書写がもたらす子どもの変容ぶりを聴いた。

     養われる忍耐力・集中力で学力も向上
――本当に上手になった実例をいくつか挙げることができますか?
大平 はい。たくさんの子ども達が結果を出しています。一番印象深い経験では、小学生の頃なかなか結果まで結びつかなかった生徒さんが、初めて中学2年生の時に書写の全国大会で大きな賞をいただき、それが大会全参加者の最高峰となる内閣総理大臣賞だった、ということがあります。結果にこだわり過ぎるのはよくありませんが、全国大会などの成績なども明確な結果の一つと言えると思います。中にはずっと習っているけれども、結果を出せたという実感をつかむことができなかったという方もいらっしゃるかもしれません。文字感覚を養うことで時間がかかってしまうことも多くあるからなのですが、これは、学ぶ本人よりも導く先生や親など学ぶ条件を与える人が大いに工夫、努力すべきところです。私などもまだまだ努力が足りないと反省するところです。

書写検は毎日新聞社と共催で書写関連の5つの全国大会を行っている。「毎日ひらがなかきかたコンクール」「毎日全国学生書写書道展」「全国硬筆コンクール」「全国年賀はがきコンクール」「毎日学生書き初め展覧会」だ。これらはいずれも文部科学省が、競い合って能力を伸ばすことを奨励するために実施している「学びんピック」事業に毎年認定されている。コンクールと書写学習については項を改めて取り上げたい。

――結局、忍耐強く取り組むことが上達のポイントのように思いますが。
大平 本人が忍耐強く取り組むことが初めからできるのであれば、それに越したことはありません。でも、上達の条件として忍耐強く取り組むことを挙げることよりも、上達するなかで、忍耐強さが培われると言ったほうが的確な捉え方だと思います。学ぶ教材や指導者、学習のノウハウが、上達するために重要な役割を果たすと思います。どんな物事でも上達に、忍耐、根気を強いるとしたら、上達とは、とても苦しいこと、辛いこと、楽しくないことになるのではないでしょうか。そうではなくて上達の中で、忍耐、根気が培われ、養われるとなれば、それは本人にとって宝物をつかむようなことだと言えるでしょう。

――書写に忍耐を呼び込む特別な作用があるのでしょうか?
大平 書写の上達の過程では、大きな結果に照準を当てた学び方をするよりも、1枚練習した結果、1枚前の作品より一箇所でも上達したことを成果とすることがベストです。そのような小さな成果を軽視すると、上達への道を歩むことは難しくなります。小さな成果を一つ一つ積み重ねることなら誰にでもできることであり、紙一重でも何枚も重なれば厚みが出るのと同じで、そのような取り組みに、書写はとても適した学習の性質を持っていると思います。文字は書いて、目で明確に上達を見比べることができますから。まさしく目に見えて上達するのです。

                                         人格形成にも大きく寄与
―名古屋の書家で「書写教育が人格形成に寄与する点」をまとめた人がいます。 一本の線を引くにも求められる集中力とやり遂げる忍耐力が養われることをその第一に挙げていますがそういうことでしょうか。
大平 「書写教育」に限らず、特に「教育」と名のつく事柄の先には「人格形成」を見据えておくことはとても大切だと思います。その先にそれを見ていないと「書写」を学んだ結果、「人格形成」を妨げることもあり得るからです。例えば大会参加にあたっても、大きな賞を受賞することが書写を学ぶ目的になり、その過程での経験から育まれる人間的な豊かさに気付かなかったりするからです。
書写教育において、具体的に養われ培われる「集中力」や「忍耐力」が人格形成につながっていることを挙げると同時に、書写上達の過程、継続して学ぶ過程で乗り超えていく精神的な成長を、大局的に豊かな経験として人格形成に寄与する点として、最も強調して挙げておきたいと思います。

――変容した成果がどのような面で現れているとお考えですか。例えば学校の勉強についてですが。
  大平 集中力、吸収力の向上が挙げられます。具体的には話を聞く態度が養われていることです。そのため、長時間一つの物事に取り組む姿勢や、他の条件も整えば、学校の勉強にも成果が現れている様子が見られます。それと、継続する中では成績に結果が出る時も、出ない時もあります。いろいろな場面を乗りこえる中で、周りの人達への感謝の気持ち、時には競い合うこともあるライバルや後輩などを思いやる気持ちが育まれ、心の温かさのある人間性が持てるようになっている様子が窺えます。この他にも前述の忍耐力、素直さなどいろいろな要素が、学校の成績や人を思いやる人間性として表われている、と変容の結果を感じています。

                                                ×       ×
大平恵理氏 1965年生まれ、東京都出身。小学2年生から書写を始め、吉田宏氏(書写検会長)に師事、数々の全国大会でグランプリを受賞。大東文化大学に進み書写書道を学ぶ。2005年から書写検首席副会長に就任、お手本、教材作成、講習会での指導を担当。著書に、字を書く楽しみ再発見!をキャッチフレーズにした「えんぴつ書き練習帳」(金園社)などがある。元来は左利きで、幼少の頃はよく鏡文字を書いていたなどのエピソードを残す。2児の母。座右の銘 「誠意、正心、修身、斉家、治国、平天下、格物、致知」(「大学」八条目)
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  日本の子どもたちの学力を高めるためには国語力をつけなくてはいけないという考えが強まっている。今年度中にもまとまる国の次期学習指導要領では国語力の涵養が柱になる見通しだ。国語力の中心は「言葉」への理解度とそれを使う力であり、言い換えれば「言葉の力」の強化が求められている。教育タイムズではこの観点から言語能力の基盤と言える「手書き」文字に注目、それを学ぶ書写教育の今日的意義を探る「シリーズ・書写を考える」を連載することにした。第1部は書写教育の全般について大平恵理氏へのインタビューを中心に構成、おおむね毎週1回、週はじめに更新する。

2007年5 月 3日 (木)

高校野球は“カネ漬け”だった;高野連が特待調査

 違反制度実施校に春夏甲子園優勝高ずらり
 日本高校野球連盟は2日、野球部員であることを条件に学費免除や生活費援助などをするスポーツ待待生制度の調査結果を発表した。駆け込み届出などもあり各紙で特待実施高校数は毎日334校、朝日382校、読売373校と異なるが、春夏の甲子園大会優勝校がずらりと並び、私立の高野連加盟校の半数近くが特待制度を採っているなどの実態が明らかとなった。日本学生野球憲章13条はいかなる名義の学費、生活費その他の金品授受であっても「選手または部員であることを理由として」のものは認めない、との立場を今後も堅持することを表明。今回の調査で明らかになった違反校の野球部長は引責辞任、該当の生徒は5月いっぱい対外試合の出場を禁止した。今回の調査はプロ野球がらみの不透明な金銭授受発覚に端を発したものだが、各方面から①これまでの連盟の努力不足②新しい基準作成の必要性③該当生徒への配慮④特待制度が当たり前の他のスポーツとの均衡、などが問題点として上がっている。

<谷口のコメント>
◎一芸に打ち込む意義をはき違えるな◎
 「一芸は万道に通ず」。剣豪、宮本武蔵はその著「五輪書」でこう語っている。剣道に限らず一つの道に打ち込んできた者はそこで養われた集中力、忍耐力で多くの困難を乗り切っていく力があるというわけだ。最近の大学入試でも文系、スポーツ系を問わず「一芸」に注目した特別推薦、AO入試が広がっている。単なるペーパー学力による偏差値偏向を脱するものとして評価したい.。
その意味で高校球児の一心不乱の野球生活も支持するが、学生、生徒である以上そこには自ずと限界があり、生徒として守るべき本分がある。本分と言うと古めかしく聞こえるなら目的と言い換えてもいいだろう。それが何であるかは学校とは何かを考えれば分かるはずだ。一芸も社会のルールの中で生かされなくてはいけないことは学校が生徒に教えるべきイロハのイではないか。
違反した高校は学校自体が教育機関であることを捨てて利潤追求にのみ走っている、と言われても仕方がないだろう。私学であっても利潤を上げなくては存続できないのは当然として、生徒を利潤追求の道具にしてはいけない。一方「生徒に責任はない」との声もあるがそれは甘やかしすぎだ。不透明な金品の授受がアマチュア精神に反するぐらいは中学生でも容易に分かる。
今回の結果に驚いている読者はあまりいないだろう。高校野球の商品化はそこまで進んでいる。春夏の甲子園大会主催の片棒を担いでいる新聞社も真摯に事態を反省すべき時だ。

2007年5 月 2日 (水)

いじめ追放にスクールバディ始動へ;神奈川県藤沢市立村岡中

 45人がいじめに目を光らす

 バディ(buddy)は英語で「仲間」の意味。同中で45人のスクールバディが6月ごろから、いじめ追放の活動を始める。被害生徒の相談に乗ったり、ポスターや校内放送でいじめ防止を呼びかけるもので、先生側とも情報を共有し、問題が起きたときにはすばやく立ち上がる。この活動は暴力防止の活動をしているNPO「湘南DVサポートセンター」の協力で仕組みづくりを進めている。同サポートセンターの協力で1月に講演会を開いたのを手始めに1,2年生の全学級で4回のワークショップを開き、共通の問題意識を持てるようにし、いじめをなくすには何ができるかを話し合った。3月になって活動のリーダーになる「バディ」の希望者を募ったところ45人が希望。3月末から研修を続けており、6月ごろに態勢が整い次第活動を始める。今後は毎年新入生へのバディ募集呼びかけるという。

<谷口のコメント>◎大いに期待できる取り組みだ。経過報告を◎

 村岡中ホームページによると生徒数は569人だからほぼ12人に1人がバディという勘定だ。この子たちが一生懸命目を光らせれば、ちょったしたクラスの異変も早期に発見できるのではないか。大いに期待したい。取り組みの様子をホームページの<いじめ防止プロジェクト・スクールバディ結成!>コーナーでぜひ随時報告してほしい。

2007年5 月 1日 (火)

 「いじめと教育委員会」:読売が連載開始

やる気欠きがちな教育委員;滝川市のケースから
 読売1日朝刊くらし・教育面で第1回が掲載された。いじめ問題が大きな社会問題としてクローズアップされるきっかけのひとつになった北海道滝川市での小学6年女児自殺事件。連載1回目は事件に対応して同市教委がどう動いたかを克明に追っている。結局、5人の教育委員は「いじめ隠し」を暴露する昨秋の新聞報道まで真相を知らないままに流れ、対応らしいものは何もなされなかったことが明らかとなった。その原因は教育長以下役人側が情報を止めてしまったこともあるが教育委員側のやる気のなさ、事なかれ主義も真相解明の遅れにつながった実態が浮かび上がった。

<谷口のコメント>◎教委を問い続けよう◎
 教育改革論議の中で教育委員会を問い直す動きは高まったが、いつものように改革熱は潮が引くように失せてしまったように見える。今国会では教委のありかたにも係わる地方教育行政法の改正案が審議中にもかかわらずだ。そうした中でのこの連載のスタートに注目したい。