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2007年6 月21日 (木)

 教育三法成立

教員免許十年更新、教頭の上に副校長
 国会で20日、地方教育行政法、学校教育法、教員免許法の改正案が与党の賛成多数で成立した。昨年成立した改正教育基本法や教育再生会議の議論を受けて関連三法の改正が行われたもので、目玉は①一定の事態では文部科学相が地方教育委員会に指示、是正指導を行うことができる②幼稚園から高校まで全教員の免許を10年ごとの更新制にし、更新には夏休みなどに30時間の講習を大学で受ける③小中高校に副校長を置き、学校の組織は校長→副校長→教頭→主幹→教諭の体制に強化する、の3点。安倍内閣の教育改革第1弾に位置付けられるものだが、教育改革を推進する官邸・教育再生会議と文科省・中教審の不一致などから安倍首相の初期の目的は達成されたとは言えず「首相、理想貫けず」(読売3面スキャナー)とする総括が一般的だ。
 <谷口のコメント>
◎制度をいじるだけでは教育は再生しない◎
 鳴り物入りの割には内容が中途半端だ。官邸と文科省のあつれきから改革が不徹底になったこともあるが、そもそも制度を変えれば教育が蘇るという発想そのものが間違っている。もちろん制度の不断の見直しは必要だが、制度は人が運用するものだから教育に携わる人の意識改革こそ重要ではないか。例えば教員免許更新の講習も夏休みに5日間の座学を受ければOKということになりそうで、そんなことでダメ教師がふるいにかけられるだろうか。学校の体制も役所並に整うが、不登校やいじめなどの深刻な問題の解決にそれが何か役立つだろうか。官僚的になるばかりで教育への熱や機動力が下がる心配の方が強い。定数増が伴う見通しも薄いらしく、役職者ばかり増やす結果に終わりそうだ。制度いじりに終始せず「いじめ」や「不登校」の実態を行政の力を最大限に活用して大々的に抉り出すなど現実を直視、公開し国民的議論を興すところから改革をスタートさせたい。

2007年6 月20日 (水)

沖縄戦の住民集団自決に軍が関与:沖縄県議会が文科省批判の意見書採択へ

 「軍の関与なしに集団自決有り得ない」と抗議
 文科省が今年3月に発表した06年度教科書検定(高校中学年)結果で、沖縄戦での住民集団自決を巡る「日本軍に強いられた」との記述に修正意見が付き、書き換えられた問題で沖縄県議会文教厚生委員会は19日、文科省の検定意見撤回と強制性の記述復活を求める意見書案をまとめた(毎日20日朝刊第3社会面)。沖縄慰霊の日(6月23日)の前日の22日、本会議に議員提案する。全会一致で採択される見通しという。意見書案は集団自決を「日本軍の関与なしに起こりえなかったことは紛れもない事実」とし「県民にとって今回の修正案は到底容認できるものではない」としている。本会議で採択し、県議団が安倍普三首相らに充てた意見書を提出する。沖縄県内ではすでに同様の意見書が41市町村議会のうち30議会で採択されている。
<谷口のコメント>
 ◎当然の抗議だ◎
 <集団自決「軍強制」を修正/高校教科書 沖縄戦で検定意見>(朝日3月31日朝刊1面)のニュースを読んだとき我が目を疑った。1982年のいわゆる「侵略進出」記述が騒がれた教科書検定で決着した問題だと思っていたからだ。その時の検定では集団自決に軍が関与したという趣旨の証言が掲載された沖澤県史を文部省(当時)が「1級資料とは言えない」として集団自決にからむ記述を修正させた。これに対して沖縄全県で抗議の声が湧き起こり、結局、検定意見は撤回されたと記憶している。沖縄の2大県紙、沖縄タイムズと琉球新報の反文部省キャンペーンは凄まじいものがあった。今回は沖縄の反応が紙面に出てこないので「おかしいな」と思っていたが、各地で抗議の声は湧き上がっていたわけで伝えもらした本土マスコミの怠慢だった。

 先の大戦で住民を巻き込む大規模地上戦となった沖縄戦。「生きて虜囚の辱めを受けず」の戦陣訓が広く世間に生きていた時代、阿鼻叫喚の世界で軍民ともに正常な精神状態だったとは言い難いだろうし、自決を命じたと書かれた元守備隊長が損害賠償と出版差し止め訴訟を起こしている事実もある。すでに組織的統制を失った日本軍が系統だった行動に出ることはあり得なかったとしても、多くの証言は「命令なくても強要同然だった」ことを示しているのではないか。その場面に遭遇した住民の声が最もよく実相を伝えていると考えるのが自然だろうと考える。

2007年6 月 5日 (火)

クラスの1人は食物アレルギー;文科省調査

 対策手引書作りを急ぐ
 全国の公立小中学校を対象に初めて行われたアレルギー疾患に関する調査研究で、実に約33万人(全体の2.6%)の児童生徒が食物アレルギーを抱えている実態が分かった。(毎日5日朝刊家庭面)。一方でコスト面などの尾理由から専用給食の態勢作りは遅れている。食物だけでなくぜんそくやアトピーなどのアレルギー疾患について各地で対策にばらつき画あることから、文科省は先進的な取り組みをまとめた手引書作りを進めることになった。

<谷口のコメント>◎根本的な対策を◎
 自分の子どももアトピーに悩まされてきたから問題の深刻さは理解できる。単に予算上の問題として片付けずに専用給食の実現など早急に対策を進めてほしい。記事では長野県松本市での取り組み例などが紹介されており参考になる。ただ食物アレルギーの児童生徒が33万人もいるのは驚きだ。クラスに1人の勘定である。原因は何なのだろうか。アトピーも実際には原因不目であり難しいことだが、アレルギー疾患多発の背景を突き止め、抜本的対策を打たなくてはいけない。

2007年6 月 3日 (日)

落ち着かない教室

 就職協定の復活を
 2年生の教室がどうも落ち着かない。学生たちの表情にも冴えがない。文章表現講座を持っている都心部のある短大。「家族への近況報告」という設定で手紙文を書かしてみて分かった。就職活動がもう終盤戦を向かえて焦っている学生が多いのだ。
 「就活と言ったって君たちまだ学生になって1年しか経っていないじゃないか」と嘆いてみても仕方がない。現実がそうなのだから。短大だから2年生が卒業年次。就活はその春から、つまり入学して1年で本番を迎えているのである。
 そういえば昔は曲がりなりにも新卒者の就職協定というものがあったな、と思い出して現況を文科省に問い合わせてみた。学生支援課の説明は以下のようなものだった。

協定破棄から11年

 就職協定は平成8年度まであった。協定の骨子は8月1日企業訪問開始、10月1日以降内定。しかし規制緩和を求める声が高まり廃止された。現在は国公私立の大学短大専修学校などが集まり就職問題懇談会を結成し申し合わせをしている。内容は「卒業学年当初およびそれ以前は就職活動を行わないこと」と申し合わせている。当初とはゴールデンウイーク明けというのが共通認識。企業側は日本経済団体連合会が倫理規定として卒業年度に達するまで事実上の採用活動は行わないことになっているという。
 つまり協定時代より半年近く就職活動が前倒しになっているのだ。就職協定も企業の青田買いで崩れたのだが、今はたぶん無法状態になっているのだろう。学生たちに聞くと4大の場合、3年生の終りに本番、という話さえあるそうだ。

社会全体が力を合わせて

 教育改革の話が盛んだがこのあたりの問題はついぞ出てこないような気がする。学生にはもっと落ち着いて勉強させるべきだ。解禁は最終学年の年明け1月以降、ぐらいにして落ち着いて勉学に取り組ませなくてはいけない。そのためには社会全体が力をあわせなくてはいけないが、それができなくて制度ばかりいじったところで効果ある改革ができるはずがない。