高校野球は“カネ漬け”だった;高野連が特待調査
違反制度実施校に春夏甲子園優勝高ずらり
日本高校野球連盟は2日、野球部員であることを条件に学費免除や生活費援助などをするスポーツ待待生制度の調査結果を発表した。駆け込み届出などもあり各紙で特待実施高校数は毎日334校、朝日382校、読売373校と異なるが、春夏の甲子園大会優勝校がずらりと並び、私立の高野連加盟校の半数近くが特待制度を採っているなどの実態が明らかとなった。日本学生野球憲章13条はいかなる名義の学費、生活費その他の金品授受であっても「選手または部員であることを理由として」のものは認めない、との立場を今後も堅持することを表明。今回の調査で明らかになった違反校の野球部長は引責辞任、該当の生徒は5月いっぱい対外試合の出場を禁止した。今回の調査はプロ野球がらみの不透明な金銭授受発覚に端を発したものだが、各方面から①これまでの連盟の努力不足②新しい基準作成の必要性③該当生徒への配慮④特待制度が当たり前の他のスポーツとの均衡、などが問題点として上がっている。
<谷口のコメント>
◎一芸に打ち込む意義をはき違えるな◎
「一芸は万道に通ず」。剣豪、宮本武蔵はその著「五輪書」でこう語っている。剣道に限らず一つの道に打ち込んできた者はそこで養われた集中力、忍耐力で多くの困難を乗り切っていく力があるというわけだ。最近の大学入試でも文系、スポーツ系を問わず「一芸」に注目した特別推薦、AO入試が広がっている。単なるペーパー学力による偏差値偏向を脱するものとして評価したい.。
その意味で高校球児の一心不乱の野球生活も支持するが、学生、生徒である以上そこには自ずと限界があり、生徒として守るべき本分がある。本分と言うと古めかしく聞こえるなら目的と言い換えてもいいだろう。それが何であるかは学校とは何かを考えれば分かるはずだ。一芸も社会のルールの中で生かされなくてはいけないことは学校が生徒に教えるべきイロハのイではないか。
違反した高校は学校自体が教育機関であることを捨てて利潤追求にのみ走っている、と言われても仕方がないだろう。私学であっても利潤を上げなくては存続できないのは当然として、生徒を利潤追求の道具にしてはいけない。一方「生徒に責任はない」との声もあるがそれは甘やかしすぎだ。不透明な金品の授受がアマチュア精神に反するぐらいは中学生でも容易に分かる。
今回の結果に驚いている読者はあまりいないだろう。高校野球の商品化はそこまで進んでいる。春夏の甲子園大会主催の片棒を担いでいる新聞社も真摯に事態を反省すべき時だ。
金銭授受がいけないというのであれば、学業で奨学金をもらっている学生だって、みんな悪である。同様に金銭を受け取っているのだから。
可哀相なのは夢を奪われた球児であり、青春真っ盛りの高校生たちに
あんな卑劣とも言える処分を下す権利は誰にもない。
問題とすべきは高校野球自体に罪を被(かぶ)せてしまう社会戦略である。
投稿情報: 臣苗 | 2007/05/17 14:41:00