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2006年5 月31日 (水)

都立高校訪問

JR国立駅から京王バスで10分少々。その都立高校は穏やかな田園地帯の中にあった。もう午前10時過ぎだというのに三々五々校門に向かう生徒の姿。「あー、君きみ。ずいぶんゆっくりした登校だね」。信号待ちの男子生徒に声を掛けてみた。変なおっさんのおかしな質問にたじろぎながら、ブレザー制服をきちんと着た男子生徒は「僕は選択の関係ですから」と答えてくれた。「選択?」…理解できなかったが生徒の礼儀正しさに「そうですか」と礼を言った。玄関を入ると「経営企画室」の看板。「おい、ここは学校だろ?」と驚きの声を上げると、連れが「石原知事の発案で事務室のことをこう言い換えたらしいですよ」と教えてくれた。本当かなあ? それにしても学校に「経営企画」は似合わないだろうに。胸に付けるバッジをもらうついでに室内を観察すると事務職風の女性がちらほら。経営を企画している雰囲気はなかった。
  
  高校を訪問するのは何年ぶりになるだろうか。小中、大学にはよく行く機会があったが高校は縁が薄かったような気がする。廊下を歩くと半分ほどの生徒が「こんにちは」とあいさつする。少々わずらわしいが、高校生になっても日本の子は礼儀正しいのだ、と感動する。校舎をつなぐメーンの廊下は駅のコンコース並に広い。そういえばアメリカの高校はどこもこんなに広い廊下があって生徒がたむろしていたな、と思い出す。女子生徒が何グループか、廊下の端にぺったりと座り込んで談笑している。体育館座りとかいうやつで電車の中などでたまに見る座りだ。向こうからやってくる男子生徒はネクタイをうんとゆるめて肩を張っている。そうさ、こういうのが何人かいないと高校らしくないや、と安心する。

 1年8組の情報教科の授業を参観する。3年前にできた新しい科目だ。普通教室2つ分ほどの広さがある部屋にコンピュータが42台。全部無線LANでつながっている。それどころかこの高校ではどの教室も無線LANで結ばれており160台あるノートパソコンでいろいろな科目でコンピュータ利用の授業がやれるのだそうな。今日の授業は「プレゼンテーション」の作りだった。発表もそれぞれがやるらしい。これからの社会には不可欠のことだ。

 同校の資料によると、生徒の卒業後の進路は3分の2が大学・短大に進み、他は専門学校。2005年の就職は7人とごくわずかだ。「偏差値は××で中堅どころの都立高です」と連れの解説。折に触れて訪問することにした。

「教育基本法」先送り

 小泉首相は30日、自民党の細田国会対策委員長、片山参院幹事長と個別に会い、終盤国会の対応を協議した。その席で首相は「国会会期の延長なしでできるだけ法案を成立させるよう、(法案の優先順位を)精査して努力してほしい」と指示した。6月19日に開会切れが迫った今国会の延長はしないとの強い意志を示したもので、これを受けて政府・与党は教育基本法と国民投票法案を継続審議とし、自民党総裁選後の臨時国会で早期成立を目指す方針を固めた。(読売31日朝刊1面)

 <コメント>首相と細田氏らとの会談があったことは各紙伝えているが、読売がもっとも踏み込んだ情勢判断をした。微妙なところで各紙の表現は違っている。小泉首相は会談後に記者団から「会期延長しないことは最終方針か」と問われた。読売によると首相は「そうだ」と述べた、という。しかし、朝日は「そうですねえ」と微妙なニュアンスを伝えている(同朝刊4面)。読売は他の政府与党関係者の裏づけ取材をした上で「教育基本法案先送り」を打ち出したのだろう。

あまり意外性はないが、重要法案の取り扱いが国民の目からみて分かったような分からないような事情で左右されるのは納得できない。各種世論調査では国民の大多数は今国会での教育基本法改正を望んでいないとの結果が出ていたと記憶しているが、もともと法案に熱心でなかった小泉首相がこれに乗った、ということか。こういう情勢記事でいつも思うことだが、ニュース判断の裏側を新聞はもっと公開するべきではないか。

2006年5 月30日 (火)

驟雨に思う環境教育

 今日も終日、家で調べ物。夕刻に近くなって空が掻き曇り、雷鳴がとどろく。バケツをひっくり返したような雨に慌てて洗濯物を取り込む。留守番も手馴れたものだ。ものの15分か20分すると驟雨はウソのように上がり、西日が夕空を赤く染めた。このところ毎日この繰り返しだ。まるで日本が熱帯の気候になってしまったような情景である。やはり気候が少しおかしくなっているのだろうか、と思ったりする。

 ところが「地球温暖化はオオカミ少年」説というのが根強い。二酸化炭素など温暖化ガスの影響で気候が変わり、地球の温度が上がって様々な悪影響が出るという科学的予見を信じない人々がいる。気候変動のスケールが大きすぎて、10年や20年の期間で、しかも局地的に見ているだけでは変化は見えない。そしてはっきり見えたときは地球環境が不可逆点(ポイント・オブ・ノーリターン)を通り過ぎた後であり、地球は滅びの道を歩むしかないのだ。その兆候は至る所に現れているのにオオカミ説の人々は見ようとはしない。

 14年前の6月、地球の真裏、リオデジャネイロで開かれた国連環境サミットの取材を思い出す。地球規模での環境変化を初めて国際的に守ろうとする地球温暖化防止条約の採択にアメリカは反対した。それでも条約は結ばれ、条約締結国会議(COP)が生まれた。1997年に京都市で開かれた第3回締約国会議(COP3)で2000年以降の取り組みについて法的な拘束力のある数値目標を定めた京都議定書が採択されて世界の具体的な動きが始まったが、いまだに世界一のエネルギー消費大国のアメリカは埒外にいる。

 地球環境問題は各国の産業と密接に結びついた問題だからやっかいだが、個人のレベルでもなかなか自分自身のことと受け止めにくい。かく言う自分もエネルギー浪費タイプだと反省している。ここは1つ思惑でしか動かない国家や快楽主義の大人は捨てて、地球の未来は子どもたちの純な精神に期待するしかないのではないか。窓をたたく雨を見ながらそんなことを考えた。 

体育の家庭教師が人気

鉄棒の逆上がりやマットの前転などが出来ない子どものために体育の家庭教師を派遣するサービスが人気だという。昨年2月に発足したNPO法人「アスロン」(神戸市)は兵庫、大阪、京都の幼児や小学生ら約300人の会員を20人の家庭教師が教えている。教える場所は事務所併設のスタジオや会員の自宅の公園などという。体育の家庭教師は1990年代に東京を中心に事業化され始め、今では全国展開している会社もある。体育大学の学生やフイットネスクラブの指導員らが先生役で費用は1カ月(4回)1万5000円が相場という。「運動ができることで自信を持たせたい」という親の願いにマッチしているのだそうな。(読売30日朝刊教育面)

<コメント>中学生体力作りコンテストという大会に5年ほどかかわったことがあります。学校でのスポーツテストの結果を基礎データに学校アンケートや現地視察などを加えて体力つくりへの取り組みを審査し、優秀な学校を選び、表彰するものです。チョークの粉を指先につけてジャンプした記憶がありませんか。あれがスポーツテストの一場面です。このコンテストを続けていて感じたのは、体育に対する学校の熱意が明らかに子どもの基礎体力を左右するということでした。単に球技の技術や身体能力だけでなく食事指導にまで気を配っている学校とそうでない学校では歴然差が出るように思います。
ところでこの記事にある体育の家庭教師人気の背景は何か、もっと掘り下げて知りたいところですが、コンテストで審査の先生方がよく言っていた言葉を思い出しました。「体育の授業が体育嫌いの子を増やしていないか」。逆上がりのできない子を落ちこぼして笑いものにしているような先生がいたら失格です。体育授業は民間委託した方がよい、という話になりでしょう。

お菓子はおかしい!?

子持ちになって「ワケ」がわかったことがいくつかある。
そのひとつが「電車の中でお菓子を子どもにあげる親」。

以前はどーしても理解できなかった。
電車に乗ってくる。子どもが座る。すぐ親はバッグからごそごそと菓子を取り出して「食べる?」と聞く。断った子は記憶にない。しかも親まで一緒に食べ始めることもある。

「子どもが「ちょーだい」とも言ってないのにナゼ???」
「自分が食べたいから子どもを巻き込んでいるの???」
「ったく!!!これだから、平気で電車の中で化粧したり、コンビにおにぎり食べたりする若者が育つんだよッ!!」
――とだんだん怒りのボルテージが上がってくるので、こういう光景は見まいと車両を移動したりしたもんだ。

……が、子持ちになってこの「ワケ」がわかった。
お菓子を食べていると、騒がない、ぐずらない、歩き回らない――なのだ!!
お菓子の魔力はスゴイ。

車で出かけたとき、タラコがグズってグズって手を焼いた。窮余の策でせんべいをあげたらウソのように静かになって、パリパリシャクシャク食べている。

なるほど!お菓子はグズる子を黙らすことができるんだ!――と単純なことに今さら気づいた。それで、電車の中の菓子のワケもわかった。菓子は「グズり予防薬」だったのだ。

“あの親”たちは、電車の中でグズって迷惑かけるよりマシって思っているのかもしれない。だから、この「薬」使いたい気持ちはすごーくよくわかる。
しかし、この“処方”、やっぱりおかしい。

言うまでもなく、電車の中は「食べる場」じゃない。
公の場と私の場をきちんと分けるのが、まさに「分別(フンベツ)」ってことでは?
も ちろん、大きくなるにしたがって、グズることもなくなるし、景色をみたり本を読んだり考え事したりなど別の過ごし方を覚えるし、そういう分別ができてくる 子がほとんどだろうから、目くじら立てることもないかもしれない。でも、私は、小さな子どもだからってOKとは思えない。

タラコも電車に長く乗るようになったら、このやんちゃ娘は、たぶん私を大いに困らせるだろう。だけど、あの手この手で何とか乗り切らなくちゃ。

車の中でだらだらとせんべいを食べさせたことを反省した私。先日のドライブでは、歌を歌ったり、お絵かきしたりで何とか乗り切れた。ツラいけど親もラクしないでがんばるしかないんだなぁ、と思った次第。

公も私もワケわからないうちからでも、みんなの場では慎むべきことがあるってことを伝えていく――即効性はないけど、これがやっぱり一番穏やかに効く予防薬じゃないかな……と信じて。

2006年5 月29日 (月)

「ダ・ヴィンチ・コード」の言いたいこと

下町の映画館で「ダ・ヴィンチ・コード」を観たが、正直言って半分ぐらいしか分からなかった。なんだか持って回った展開でスジが追いにくい上に、背景の宗教世界にこちらはまるで素養がないのだから分からないはずだ。

 スジのポイントはーー。イエス・キリストは実は妻帯者で子どもまでいた。その事実を隠すためカトリック教会は長く陰謀をめぐらせて来たが、パリのルーブル美術館で起きた1件の殺人事件を追ううちにその秘められたナゾが明るみに出始める。ナゾを解く鍵はレオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」「モナ・リザ」の中に隠されていた・・・。

 だいたい、キリストに子どもがいてどこが悪いの?と思う辺りがこの映画が分からない原因のようだ。キリストが人間であった時期を否定することがなぜキリスト教を冒涜することになるのか理解が行き届かない。しかし、新聞報道によるとマニラ市当局がこの映画の上映を禁じたり、米国のカトリック系団体が関連会社が映画を配給しているソニーの全製品の不買運動を始めるなど世界中ですごい反発が起きているという。

 20日毎日夕刊は「キリストが妻帯し、子どもまでいたという筋書きが聖書の教えに反するとしてキリスト教信者の間に反発が広がっている米映画」と紹介している。しかし、実際には史実かどうかというよりは「聖書の教えに反する」ところに問題の重点があるのだろう。教会という権威が長年にわたって民衆に与えてきた教育の深い影響を思わざるを得ない。

 日本でも戦前は天皇は神と教え込まれていた。1946年に昭和天皇が行った人間宣言は「天皇ヲ以テ現御神(あきつみかみ)トシ」たことについて「架空ナル観念」と切り捨てたことで歴史に残った。戦前の国家による教育がいかに深く国民の心の奥底まで染み込んだかの証明でもある。

スジはよく分からなかったが「教育は時にして極めて危険な営為である」というメッセージをこの映画「ダ・ヴィンチ・コード」から受取った。見誤りだろうか?

経費流用天国に内部からメス;札幌・浅井学園

  国の補助金の不正受給が発覚して文科省が告訴し、北海道警捜査2課の捜査が続いている学校法人「浅井学園」(札幌市中央区)が同省に報告する内部調査結果の概要が28日、明らかになった。前理事長・浅井幹夫被告(57)が、個人的に利用するために、ハワイや東京に学園施設を取得していたことや、学園名義のクレジットカードを家族に持たせて自由に使わせていたことなど、主に5項目を挙げている。ハワイの「サテライトスタジオ」は、3年前に約250万ドルで学園が取得したが実際には浅井被告が個人的なレジャーに使っていたと結論付けた。学園名義のカードは、浅井被告が学園事務局の部長職にある長女と教員をしている長男に、学生時代から持たせ、衣料品などの購入や飲食費などに使わせていたという。浅井被告本人分と合わせた私的な使用額は5000万円以上に上るとしている。(読売29日朝刊社会面)

 <コメント>文部科学省は、学園が耐震補強工事を巡って補助金5700万円を不正受給したとして浅井被告ら2人を補助金適正化法違反容疑で北海道警に告訴した。不正受給の額は小規模とあって各新聞社とも主に北海道紙面で展開している事件なのでよく知らなかったが、あまりのでたらめぶりに驚いた。内部調査査報告書はこのほかにも東京で借りていたマンションの家賃などそれぞれ毎月約40万~90万円や、東京出張時に使っていた高級外車「ベントレー」「フェラーリ」「BMW」など数台の経費も私的流用していたと指摘している。
  浅井被告は関連する人材派遣会社の給与を勤務実態がない女の口座に振り込ませて着服した業務上横領罪でも起訴されるなど、再逮捕は数次に及んでいる。新聞が、その女性(36)は前理事長と内縁関係にあるとまで踏み込んで書いたのは、よほど悪質性が高いとみたからだろう。今回の事件の発覚の端緒は何だったのか知りたいものだ。ワンマン経営の学校法人では他にも浅井学園のような例があるのではないか。内部告発の保護と不正摘発の強化などの対策を進めなくてはいけない。

2006年5 月27日 (土)

日の丸・君が代で5人懲戒処分;都教育庁

 東京都教育庁は26日、今年の入学式の「君が代」斉唱時に起立しなかったとして都立高校の教職員5人を減給や戒告などの懲戒処分にした。03年10月に日の丸掲揚や君が代の起立斉唱の徹底を求めて同庁が通達を出して以来、これで処分数は340人に上る。これほどの処分数は他の自治体では例がない。(毎日27日朝刊対社面)

<コメント>日の丸・君が代にからむ都教委の現場締め付けぶりは異常です。その背後に石原知事の姿勢があるのは明らかです。抵抗勢力の背後に都教祖という強力な教職員組合組織があるのではないかということも容易に想像できますが、右であれ左であれ教育現場が時の政治勢力にはなはだしく左右されるのは見ていて気持ちが悪い気がします。しかも日の丸・君が代にどう向き合うかは教師にとっても極めて内面的なテーマではないでしょうか。
もう1つ異常に感じるのは、こうした問題をネグレクトする新聞が増えているということです。わいせつ先生の処分もニュースではあが、今回のようなケースも教師の本質に係わるニュースでありきちんとフォローするべきだと思います。

「毎日新聞社会部」

 「あんたの先輩が書いた本のことでしょ」と、友人からコピーが1枚送られてきた。選択5月号の「本に遭う」。記事は朝日新聞の論説委員が書いた「事件は事件に聞け」である。
その論説子によると、彼のところに「新聞記者になりたい」と言ってくる若者らに最近は山本祐司著「毎日新聞社会部」(河出書房新社)を渡してやるのだそうだ。なぜだろう?

論説子は「新聞社の入社試験は今も難関だが、それを突破してきたにしては、昔も今も首をかしげたくなるようなのがたくさんいるのがおかしい。試験のやり方がおかしいのであろう」と言う。それは多分朝日に限ったことではないだろうが、変なのが朝日に特に多いというのは分かるような気がする。(それで)筆者は「毎日新聞社会部」をプレゼントするというのだから、山本祐司さん(元毎日社会部長)が描く毎日社会部が新聞の原点だということなのだろう。

  それにしても、とこの論説子の心中をいぶかったが、最後まで読んで少し安心した。山本氏が私淑する毎日社会部の先輩、平正一は論説子の郷里、門司の同じ集合住宅の住人だったのだそうだ。平は戦後世相史に特筆される「下山事件」の取材班キャップ。毎日社会部の輝く先輩である。その詳細は山本先輩の本に譲るが、占領軍総司令部(GHQ)の政治的思惑で警視庁と毎日の「下山自殺説」は押しつぶされ平は“誤報”の責任を取って熊本支局長に赴くのだった。東京に戻るのは10年近くも後のことになる。
彼が、平を特筆したこの本に強く引かれる心理は最後のこの下りに凝縮されている。「一学年下の一人息子とはよく遊んだが、やがて東京へ引っ越して行った。きれいなお母さんは体が弱いということだった。お父さんがどんな人かは、その時は知らなかった」。

それにしても、とやはり思う。朝日のこのところの自信喪失ぶりはなんだろう。この前も、ジャーナリスト学校を開設するに至った経緯を朝日の担当者の講演で聞く機会があったときにもそう思った。しっかりしろ!朝日。「毎日新聞社会部」を入社希望者に渡したり、毎日の名人戦を金にあかしてまで欲しがるようではライバルの価値がなくなる。

2006年5 月26日 (金)

通知表で「愛国心」評価

小学校の通知表に「愛国心」を評価(採点)する項目を設け、先生が3段階で絶対評価している小学校が埼玉県内で52校に上り、岩手、茨城、愛知などにも同様の事例があることが毎日新聞の全国調査で分かった。02年度から改定された学習指導要領で小6社会科の教える目標の中に「わが国の歴史や伝統を大切にし、国を愛する心情を育てる」ことが盛り込まれて以来のことという。どのような観点から通知表で評価するかについては「わが国の歴史と政治、および国際社会での日本の役割に関心を持って意欲的に調べ、自国を愛し、世界の平和を願う自覚を持とうとする」こととなっている。ある校長は「愛国心というより学習の意欲や態度を評価する項目だ。指導要領にも沿っているので問題はない」と話している。24日の国会論議で小泉首相は「愛国心があるかどうか、そんな評価は必要ない」と答弁している。(毎日26日朝刊社会面)

<コメント>教えることと評価(採点)は切っても切れない関係にあります。教育に評価は不可欠と言っていいでしょう。学校で何を教えるかの基準である学習指導要領に盛り込まれれば教えることになり、教えれば評価しよとするのは当然の流れです。その意味で言えば、毎日の全国調査にこの程度の数しか表れてこないのは不思議です。通知表は学校長の権限で作られますが「調査していない」などと不届き千万な回答をしている県教委などは逃げているのか? その点、県内の様子をしっかり把握し公開する埼玉県は立派です。それにしてもこの少なさは学習指導要領の権威にかかわる数字であり、ひいてはその作成の基になった中教審答申の妥当性が疑われます。中教審の政治的独走が学校現場に支持されなかった、とも言えるからです。
ところで、ある校長が言っている「学習の意欲や態度を評価するものだから(正当)」という論法は詭弁です。愛国心を学ぶことに消極的である意味とは何か、それはとりもなおさず愛国心がないということにつながるのではないでしょうか。内面に係わる問題、というのはそういう意味合いのことだと思います。また、内申書の「態度」点が教師による生徒支配の強力な武器であることは周知の事実です。「学ぶ態度が悪い」と通信簿を下げられては子どもたちは内心の声に反して愛国心に関心を示すしかなくなるのです。記事に付けられた識者談話の見出し<内心の自由侵す>はまさにその通りであると言えるでしょう。