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2008年1 月28日 (月)

中学受験 プラスとマイナス

「中学受験 6人に1人 一都三県」
15日(火)の朝日新聞の夕刊一面にこんな記事が出ていました。
そういえば、今週は中学受験の山場ですね。大手進学塾・四谷大塚の推計では約5万2500人が中学受験をすると見ており、これが小6生総数の17.7%に当たるんだそうです。いやいや・・・すごい時代です。大変だ。

そして思えば、このサザエも20数年前の今、まさに決戦を前にした子供でした。
昨今高まる受験熱に賛否両論ですが、私が振り返って考えてみると、良い面悪い面どちらもあったと思えるようになりました。

マイナス面は、いわゆる「燃え尽き症候群」になってしまう恐れがあること。
私の中学は御三家といわれる一つで、受験に成功したわけですが、入ってからが大変でした。。。。
だって塾の四谷大塚で毎週上位ランクに名を連ねていた“有名人”だらけ。私なんぞは、おそらくギリギリ滑り込んだクチ。小学校じゃデキが良かったんですけどね。井の中の蛙が大海に出てみたら、ビュンビュン泳ぐ鋭い魚ばかりで、カエル泳ぎじゃついていかれませんでした。。。ってとこです。

とにかく「頭の構造が違う・・・」と思う人たちに囲まれ、先生も「皆さん、こんなことは説明いらないですね」と、数学など1時限で教科書10~20ページは当たり前です。黒板で問題を解くよう差され、できないでいると「え??」という冷めた視線を背中に浴びました。
必死で出来る限り予習しても、翌日には軽々とそれを超える量の授業をされてしまうのです。実力が追いついていかなかった・・・・。
それともガッツが足りなかっただけなのか??結局、この劣等感、無力感から抜け出せずに高校を卒業してしまいました・・・。

小学校の同級生で先日集まったとき、中学受験の話になり、「燃え尽きた」と話す人はけっこういたし、開成中学に進んだ男の子は、私と同じことを言っていました。それに、中学受験で失敗した劣等感からなかなか立ち直れなかったという声もありました。親だけじゃない、子供だって子供なりに必死の全力投球なのです。

わたくし、正直、自分の中学高校にはあまり愛情がありません。慕った数少ない先生方は、校風が嫌で他校に移られました。
でも受験した最大のプラス面は何と言っても「よき友人」にこの学校で出会えたこと。
今でも仲良くしている4人がいます。未婚、既婚、キャリアウーマン、主婦、子どもの有無・・・みなそれぞれですが、共通しているのは、自分の考えをはっきり持って生きている、という点です。何かを相談したり、聞いたときにそれぞれに説得力ある答えが返ってくるし、各自の教養や経験に基づく濃い話をしてくれる・・・とても会話が充実したものになるのです。
中学高校は、本当に多感な時期。そして、自分の思いや考えを遠慮なく素直に交し合うことのできる年代。そういう時期を、けんかもベタベタもしながら一緒に乗り越えた友達というのは、大人になっても本音で語り合えるかけがえのない存在です。

そして、受験してプラスだったと思う面は、やはり「よく勉強した」ということです。
今、受験のための知識の詰め込みが良くない・・・などという向きもありますが、実際勉強した身からすれば、詰め込むだけで覚えられるものではありません。だから、自分で勉強方法も工夫したし、楽しいから覚えること知ることをしていた面もありました。

子供って知りたがりでしょ?だから「じゃがいもの生産高日本一は北海道!」って知識が増えることが喜びでした。勉強というより、クイズやパズルをどんどん解いていく感覚に近かったように思います。それに幼い頃に培った知識は意外と忘れないもので、その後の自分の基礎となり、生活でも仕事でもあらゆる面で役に立っています。

この2つのプラス面をしみじみ感じるようになったのは、社会に出てからかな・・・。子供のうちはマイナス面ばかりがのしかかって、親を恨んだりもしましたが、大人になり、振り返れる程度の人生が積み重なったところで考えてみると、プラスの面もじわりじわりと浮き立ってきました。

親御さんたちにお願いなのは、高望みしないことですヨ。今は、特に激戦の時代なのですから。。。
しかし、かくいうサザエもどういう親になりますやら・・・。

2008年1 月10日 (木)

犬の放し飼いに激怒!!!

今日は怒った!! 新年早々、こんな内容でごめんなさい。しかし、本当に腹が立ったのです。
そう、公園での犬の放し飼い。光が丘公園には広い野原があるので、犬を放している非常識者が必ずいるのです。

午後から太陽が出て暖かかったので、タラコの自転車で出かけました。野原にシートを広げておにぎりを食べていたところ、遠くで放されていた小犬2匹がこちらめがけて走ってくるではないですか!1匹は私の横をかすめて走り去り、もう1匹はシートに乗ってきたのです。飼い主がやってきて「すいません」と犬を抱えあげました。私は「つなぎなさいよーーーー!!!!!!」と怒鳴りました。飼い主は走り去っていきましたが、タラコが手にしていたおにぎりは握りしめられてぐちゃぐちゃ、お茶は倒れてシートはびしょびしょ。タラコはおびえきってしまい、抱きしめてあげたものの、そのあとおにぎりもお茶も喉に通らなくなってしまったのです。

私も腹が立って腹が立って、おにぎりどころではありません!!!その飼い主は、愛犬家仲間3人とおり、元いた場所より少し遠くに移動しましたが、タラコは彼らの姿をじーっと見て固まっています。なので、「別のところへ行っておにぎり食べようね」と場所を変えることにしました。しかし、私はどうしても怒りを鎮めることができませんでした。

理由は3つ。
①そもそも放し飼いはマナー違反であり、マナーを守れないヤツに飼う資格はないとの日ごろの不満が爆発したこと
②犬がすごい勢いでこちらに向かってきているにも関わらず、飼い主がチンタラ走ってきたこと
③その飼い主はその後犬をつないだが、かすめ去っていった犬の飼い主からは謝罪がなく、まだ放し飼いにして、犬を走り回らせていたこと

タラコにそこで待たせ、一人彼らの所へ向かいました。ずんずんずんずん・・・・・・・。
私は怒鳴った。冷静に言おうとしたが、結果的に怒鳴ったと思う。
マナーを守るのが飼い主の資格であること、子供がおびえてどうしようもないこと、万が一にどう責任をとるつもりなのか、あんたらは犬が好きかもしれないけど世の中には犬が嫌いな人間もいるんだってこと・・・・・言いたいことがどんどんあふれてきたが、だんだん怒りのボルテージが急上昇するのを自分でもマズイと思い、「とにかくマナー守りなさい!!!」と叩きつけてヤツらに背を向けました。

私は犬が苦手です。小学生の時、犬に追いかけられ首にかみつかれそうになったからです。あのときの犬の顔は、獣そのもの、忘れられません。転んだ瞬間にランドセルが開いたことと米屋のおじさんが飛び出してきて寸前で犬を取り押さえて助かりました。飼い主が「止めてーーー!」と叫ぶ声に振り向いたら、後ろから犬が猛突進してくるのが見えたのです。私がこわくなって逃げたから余計に犬が私をターゲットに走ったのかもしれません。しかし、かなり大きくなるまで、犬小屋のある家の前は通れなかったし、犬を散歩している人が見えると道を変えたほど、犬恐怖症でした。
なので、タラコの凍りついた心が本当によく分かるのです。

彼らに冷静に言えなかったこともあり、この場を借りて、愛犬家の方々に言いたいです。

1、小型犬も幼児にとっては大型犬
大人にとっては小型犬でも、小さい子にとっては自分のひざの高さまであるなんて大きな犬なのです。感じ方が全く違うことをよく考えてください。

2、親バカすぎないでください。世の中犬好きばかりではありません
「うちの犬はやさしくて噛んだりしないから、触っても平気よ」と散歩の方によく言われます。しかし、これはおかしいです。自分にとっては穏やかなかわいい犬かもしれませんが、所詮動物です。飼い主はその犬の性格をよく知っているでしょうが、他の人間にとっては、突然こちらに向かって走ってきたら怖い存在です。そのときは真剣に追いかけてください。相手が犬好きで、かわいいと撫でて受け止めていていてくれるとは限らないんです。

3、犬も社会の一員、マナーを守る
犬を自由に走らせてあげたい気持ちはよく分かります。しかし、放し飼い、糞尿の始末・・・・社会で飼う以上マナーを守ってください。走り回らせたいならドッグランがある公園に行ってください。万が一のとき、責任の取りようがないでしょ。ウチの犬に限って・・・という考えはやめてください。

4、自分たちには普通の犬の行為でも、相手には迷惑なこともある
よく犬が人に足をかけて立ち上がることがあります。長いリードでつながれている犬などにも、突然されることがあります。あれは土足で相手の服を汚すわけで、とても失礼な行為だと思います。こちらも了解している場面ならいいですが、通りすがりの散歩の犬にされるととても不愉快です。洗濯が増えるし、犬嫌いにとってはあれだってとても怖いんです。

タラコはお風呂で「今日、こわかった・・・・」とポツンとつぶやきました。愛犬家の方々も愛する犬のせいで犬嫌いを増やすのは本意ではないでしょう?
私が犬嫌いなことはタラコには内緒です。タラコに私の犬嫌いが影響してはいけない、と思っているからです。今日のことがタラコの心に深く傷にならないといいのですが・・・。

2008年1 月 5日 (土)

新築移転7年で廃校;群馬県長野原町小学校

モダン校舎建設12億円のムダ!?
 02年に新築移転したばかりの群馬県長野原町立第一小学校(児童数31人)が来春で廃校となる。12億円投じた新校舎も7年でフイになるわけで無駄遣いが問題になっている(4日毎日朝刊社会面)。

古い同小学校は15年完成予定の八ッ場(やんば)ダム水没予定地にあったため、約1.5キロ北西の高台に移転した。しかし、地区の住民流出が続き、児童数が02年当初の52人から減り続け、来春は23人になる見通し。「このままでは教育環境として好ましくない」と町当局が別の小学校との統合を決めた。3階建ての本校舎、2階建ての体育館兼屋内プールを備えた同小学校建設費約12億円のうち8億円は町の資金、2億4000万円が文科省の補助、1億5600万円が水源地域整備事業交付金だ。

水没予定地に住む住民が近くに用意される代替地に移住せず、町外に出てしまうために子供の数が減ったためだが、住民の流失はダム工事の遅れや代替地整備の遅れが原因とする指摘もある。

<谷口のコメント>
◎水源の村の悲劇は都市住民にも無縁ではない◎
 利根川上流の水系は東京の水甕だ。大都市に供給する水確保のために多くのダムが群馬県内にある。このダムも治水と利水を兼ねた多目的ダムとして建設される。完成予定は当初より15年も延びている。住民の強い反対運動もあった。近代的な小学校建設もそうした状況を背景に行われたのだろうが、写真で学校を見る限り、確かに児童数20人足らずでは器が大き過ぎて、いかにも異様な感じだといわざるを得ない。ただ、それは新築当初の50人ほどでも同じことが言えそうで、町がどういう意識で建てたのか聞いてみたいとさえ思う。立地確保に惜しげなく注ぎ込まれたこれ見よがしの税金の城、と言えば言い過ぎだろうか。

 それにしても記事では今度はどこの小学区へ通うことになるのかが分からない。土地柄から言って10キロ近くも離れた小学校ではないかという気がするのだが・・・。

2008年1 月 4日 (金)

新築移転7年で廃校;群馬県長野原町小学校

モダン校舎建設12億円のムダ!?
 02年に新築移転したばかりの群馬県長野原町立第一小学校(児童数31人)が来春で廃校となる。12億円投じた新校舎も7年でフイになるわけで無駄遣いが問題になっている(4日毎日朝刊社会面)。

古い同小学校は15年完成予定の八ッ場(やんば)ダム水没予定地にあったため、約1.5キロ北西の高台に移転した。しかし、地区の住民流出が続き、児童数が02年当初の52人から減り続け、来春は23人になる見通し。「このままでは教育環境として好ましくない」と町当局が別の小学校との統合を決めた。3階建ての本校舎、2階建ての体育館兼屋内プールを備えた同小学校建設費約12億円のうち8億円は町の資金、2億4000万円が文科省の補助、1億5600万円が水源地域整備事業交付金だ。

水没予定地に住む住民が近くに用意される代替地に移住せず、町外に出てしまうために子供の数が減ったためだが、住民の流失はダム工事の遅れや代替地整備の遅れが原因とする指摘もある。

<谷口のコメント>
◎水源の村の悲劇は都市住民にも無縁ではない◎
 利根川上流の水系は東京の水甕だ。大都市に供給する水確保のために多くのダムが群馬県内にある。このダムも治水と利水を兼ねた多目的ダムとして建設される。完成予定は当初より15年も延びている。住民の強い反対運動もあった。近代的な小学校建設もそうした状況を背景に行われたのだろうが、写真で学校を見る限り、確かに児童数20人足らずでは器が大き過ぎて、いかにも異様な感じだといわざるを得ない。ただ、それは新築当初の50人ほどでも同じことが言えそうで、町がどういう意識で建てたのか聞いてみたいとさえ思う。立地確保に惜しげなく注ぎ込まれたこれ見よがしの税金の城、と言えば言い過ぎだろうか。

 それにしても記事では今度はどこの小学区へ通うことになるのかが分からない。土地柄から言って10キロ近くも離れた小学校ではないかという気がするのだが・・・。

新築移転7年で廃校;群馬県長野原町小学校

モダン校舎建設12億円のムダ!?
 02年に新築移転したばかりの群馬県長野原町立第一小学校(児童数31人)が来春で廃校となる。12億円投じた新校舎も7年でフイになるわけで無駄遣いが問題になっている(4日毎日朝刊社会面)。

古い同小学校は15年完成予定の八ッ場(やんば)ダム水没予定地にあったため、約1.5キロ北西の高台に移転した。しかし、地区の住民流出が続き、児童数が02年当初の52人から減り続け、来春は23人になる見通し。「このままでは教育環境として好ましくない」と町当局が別の小学校との統合を決めた。3階建ての本校舎、2階建ての体育館兼屋内プールを備えた同小学校建設費約12億円のうち8億円は町の資金、2億4000万円が文科省の補助、1億5600万円が水源地域整備事業交付金だ。

水没予定地に住む住民が近くに用意される代替地に移住せず、町外に出てしまうために子供の数が減ったためだが、住民の流失はダム工事の遅れや代替地整備の遅れが原因とする指摘もある。

<谷口のコメント>
◎水源の村の悲劇は都市住民にも無縁ではない◎
 利根川上流の水系は東京の水甕だ。大都市に供給する水確保のために多くのダムが群馬県内にある。このダムも治水と利水を兼ねた多目的ダムとして建設される。完成予定は当初より15年も延びている。住民の強い反対運動もあった。近代的な小学校建設もそうした状況を背景に行われたのだろうが、写真で学校を見る限り、確かに児童数20人足らずでは器が大き過ぎて、いかにも異様な感じだといわざるを得ない。ただ、それは新築当初の50人ほどでも同じことが言えそうで、町がどういう意識で建てたのか聞いてみたいとさえ思う。立地確保に惜しげなく注ぎ込まれたこれ見よがしの税金の城、と言えば言い過ぎだろうか。

 それにしても記事では今度はどこの小学区へ通うことになるのかが分からない。土地柄から言って10キロ近くも離れた小学校ではないかという気がするのだが・・・。

2008年1 月 3日 (木)

新しい学習指導要領

  前々から懸案にしていた中教審の審議まとめを3日になって読み始める。文科省は3月末にも、この審議まとめを基に策定した新しい学習指導要領を告示する予定だ。正月休み中に読もうと思っていたがなかなか手が出なかった。面白いものとは最初から期待していないが、これで昨今の教育荒廃がとても止まるとは思えない空疎な感じがあるから、どうしても読むのが苦痛になる。

  まとめの正式名称は「中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会におけるこれまでの審議のまとめ」(平成19年11月7日)。文科省のホームページにもアップされているが、画面ではどうにも目が滑って読みにくい。それで日本教育新聞社が別刷り資料版として作成したものを読んでいくことにした。A4判で約80ページの分厚い冊子だ。

  冒頭の「これまでの経緯」では、審議が安倍前政権の教育改革路線に大きく影響された流れが書かれている。年末の回顧もの番組でも安倍さんの突然の政権投げ出しはトップニュースになっていたが、この審議まとめに漠然と感じる空疎な気分は尻切れトンボだった安倍教育改革の名残だろうか。政治が教育に手を出すと混乱を招くだけ、ということが今回も言えるのだろうが、役所任せにしていたから昨今の教育荒廃がある、とも言えるだろう。

  中教審は政治や行政の隠れ蓑として利用されてきた歴史は否めない。このことを教えてくれたのはほかならぬミスター中教審と呼ばれた高村象平さん(元慶応塾長)だった。文部省を担当していたころ、飯田橋近くにあった高村さんのご自宅を訪問したとき、高村さんは中教審の内実をかなりのところまで教えてくれた。様々な圧力と戦いながら中教審は中正の道を歩んでいるというのが高村さんの言わんとしたところだが、中教審の置かれた危うい立場は印象的に心に残った。

学校教育のバイブルとも言える指導要領があまりくるくる変わるのは好ましくない。これから読みすすめていく中で、ああこう変わったほうが確かに子供は良くなるなあ、という具体的な施策が一つでもあること期待しつつ読み進めよう。

2008年1 月 2日 (水)

箱根駅伝 

 こたつで目を覚ますと、つけっぱなしのテレビは箱根大学駅伝の往路ゴールを映していた。えんじ色の早稲田のユニホームがトップでテープを切るところ。アナウンサーが「12年ぶり13回目の往路優勝」と叫んでいた。 

 カメラが切り変わる。路上で誰かが倒れている。青いユニホーム。順天堂の第5走者だ。立ち上がろうとするが脚がぶるぶる震えているのが分かる。ようやく立ち上がって少し走ったが、すぐにへたり込んでしまった。もう起き上がれない。監督や競技審判長が駆け寄る。監督がギブアップを宣言すると、選手は長々と路上に伸びてしまった。 また画面が切り替わり、同じ順天堂のユニホームを着た選手たちが泣いている姿が映し出された。仲間の苦しさを思い、またレース棄権の悲運に涙したのだろう。 

 倒れた選手は小野裕幸君(3年生)。順大は昨年の箱根駅伝で総合優勝している強豪チーム。そこで山登りの5区を任されるのだから力のある選手なのだろう。山を登り切った15キロ付近から脱水症状で低血糖状態に陥ってふらつき、フィニッシュ目前で路上に倒れ込んだという。

 毎日によると、 小野は救急車の中で仲村監督に「あと(往路ゴールまで)どのぐらいでしたか」と尋ね、涙を流してわびたという。 正月番組で実にくだらない映像があふれるテレビの中で、小野君には申し訳ないがこのシーンはひときわ輝き、印象的だった。来年は必ず最初から箱根駅伝を観よう。そして4年生、小野君のリベンジを応援したい。頑張れ、小野君。  

合格認定者は計80人に;文科省高卒認定試験(旧大検)

正月返上で対応する文科省 

 高卒認定試験(旧大検)の採点ミスで合格しているのに不合格扱いされていた受験生は制度開始の05年度から07年度までで計80人となった。文部科学省が元日に発表した。
ミスは「世界史A」の採点プログラムに不具合があったために起きた。世界史A(100点)のうち4問から2問を選んで解答する設問(計6点)がプログラムミスのため加点されず、94点満点の計算になってしまったもので、文科省は、05年度以降の「世界史A」の採点を再度実施。05年度の試験については、解答用紙が破棄されていたため、受験者計8450人全員に12点を加点して合否を判定した。文科省によると、この試験は8-9科目につて各科目40点以上(100点満点)取れば合格となるもので、得点のかさ上げ修正によって合格者が増えた。
 文科省はヘロップデスクを設けて正月返上で対応しており、合格証書を送付するとともに、大学入試センター試験の受験希望の有無などを電話で確認する。 

<谷口のコメント>
◎受験シーズン本番に気になる話だ◎
 今は試験の採点や集計にコンピュータが使われる時代。こんなミスの話を聞くと、コンピュータ頼りの超マンモス試験「大学入試センター試験」は大丈夫かいな、と心配になってくる。
 新聞休刊日の2日、ウエブ版で各紙が「文科省が1日、発表した」と報じているのを読んで記事にあった番号に電話してみると、即座に「はい担当へロプデスクです」と応答が返ってきた。取材と断っていろいろ質問してみて、文科省もそれなりに反省してできる限りの措置を取ろうとしていることは伝わってきた。
 それにしても、さすがにウエブ時代。1日付で報道各社に電話やFAXで情報を流したと言い、それが配信されてかなりの人数の問い合わせがあるのだという。

2008年1 月 1日 (火)

危機的段階に入る地球温暖化をどう教えるか;元日紙面から

 すでにエコ問題はウオーズだ

 各紙とも本紙、別刷り特集を通じて教育関連の記事がほとんど見当たらないのが昨年と大きく様変わりしている。本当の意味で教育改革を進めるにはむしろ落ち着いたいい環境ではないだろうか。

記事で目立ったのは地球環境問題。中でも温暖化の問題が大きく取り上げられている。特に際立ったイベントが予定されているわけではないことを考えれば、温暖化がいかに現実的な危機として迫ってきているかということの現われだろう。

朝日は1面トップで<環境元年/第1部エコ・ウオーズ>の1回目を掲載した。地球環境問題はすでに戦争(ウオーズ)だ、ということだろう。<怒る天 人に牙/温暖化の脅威 急加速>の大見出しが踊る。毎日はやはり1面で<暖かな破局 第2部・地球からの警告>をツートップ扱いの2番手で載せた。<氷が消えれば私たちも/植村さん踏破「冒険の舞台」姿変え>は北極圏に記者を派遣して極地の異変を報じている。読売は大型企画こそなかったが、対社面で<日本の川 今世紀にサケ消える!?/オホーツク温暖化 回遊ルートに異変/北大試算>のショッキングな記事を扱った。

子供たちに危機を教えよう

記事の詳細は省くが、いずれも地球環境が壊滅的な危機に向かって進んでいる現実的な証拠をリポートする内容で、「ポイント オブ ノーリターン」(不可逆点)という不吉な言葉が頭に浮かんだ。地球の環境破壊はすでにもう引き返せないところまで進んだということだろうか。あるいはまだ私たちの努力次第で間に合うのだろうか? そのための国際的な枠組みはどう整えればいいのか。私たちはこうした問題点をあらゆる教科を通じて、あるいは特別なカリキュラムを組んで子供たちに教えるべきではないだろうか。後世に地球を受け継ぐ子供たちにはそれを学ぶ権利があるはずはずだ。

年賀状に見る世相

 ほとんど失速状態が続いた昨年のブログ活動を反省して、今年はせめて「日記」くらいは毎日書こうと反省。気ままにつづってみることにした。
・・・・
 年賀状が届く。自分はまだ書いていない。正月になってから実感として書こうという勝手な理屈だ。
 いただいた賀状の文面に時代が、世相が反映する。
「いまこそ。ジャーナリズムの真の力が問われるときなのに、事態はまったく逆の方向に進んでいます。『大連立』仕掛人の動きなど、その典型です」と嘆くのは毎日新聞社の大先輩。仕掛人は言わずと知れた読売の「なべつね」さん。まさにジャーナリズムの独立性、公正中立を疑わせる動きだった。読売もこの人がいる限りクオリティペーパーと呼ばれる日は来ないだろう。
 「嘘がまかり通る劣化の日本。寂しい限り・・・」というのは「競馬はロマンだ」という社会部の先輩。JRA(日本競馬協会)経営委員に就任したので、スポーツ紙に705回掲載した競馬コラムを休載したという。「立場上、知りえたことを書けば信頼を失い、書かなければ読者を裏切る。悩んだ上の、江戸っ子のやせ我慢です」。
 「地球規模の脱石油社会の実現のための技術展開をはかります」とは、ノーベル賞候補にもたびたび上がるさる大学長さん。仙台支局時代にお会いして以来、毎年欠かさず賀状をいただいている。危機的な様相を帯び始めた地球環境問題だが、ある後輩からもらった賀状にはこんな文句が書いてあって、彼の人柄を思った。「人の心も『温暖化』する年になってほしいと思っています」。