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2008年3 月22日 (土)

ヤンキー先生に共感

2ヶ月くらい前のことだが、『オーラの泉』という番組をたまたま見た。知っている人も多いだろうが、美輪明宏さんと江原啓之さんがゲストを招いてカウンセリングをするような番組。私は前世とか因縁とか、その手のものにはまるで興味ないのだが、その日のゲストはヤンキー先生こと義家弘介さんで、彼の波乱万丈の人生の話に引き込まれて、ついつい見てしまった。

最後に教育について熱く語るヤンキー先生。一つ、なるほど!と、とても共感する部分があった。

「最近、教育界では“武士道精神”をもう一度見直すべきだ、という意見がよく聞かれるのだけど、私は“恥の精神”が鍵じゃないかと思っている」と。

生徒が何か悪いことをしたとき、それを「恥ずかしいことだ」と怒るとすごく敏感に反応したのが、教師として印象的だったのだそうだ。恥ずかしいと思う心を覚醒していくことが、いじめなどから教育を再生していく鍵になるのではないか、と語っていた。

“武士道精神”というのは、藤原正彦氏がベストセラー『国家の品格』で主張されていることで、ここから出てきた意見だろう。私は藤原氏の講演も聴いたことがあるが、その中でも藤原氏は「子供に“卑怯”を教えるべきだ」と強く主張されていた。とても正当なことでよく分かるけど、ズルいこともして生きている大人が堂々と子供の卑怯を断じることができるのだろうか、自分にできるだろうか・・・とも思っていた。

その点、ヤンキー先生と意見が共通していた。彼も「大人になれば競争の中で多少卑怯なことをすることもある。それは子供も分かっているから、大人だって卑怯じゃないか、と言われてしまう。それよりも日本人の恥の精神に訴えるほうが響く」と言っていた。現場を知る人の意見は説得力があった。

そうか!誰かをいじめるということは、はたから「あの子って意地が悪いよね」と密かに思われて、そういう視線で見られているということなのだ。いじめがいけないと言うだけでなく、そう見られていることに気づいているか?そう見られている自分をどう思う?と考えさせてやることが大事なんだ、と「恥の精神が鍵」に深くうなずいた。

いじめ以前に、社会的マナーにおいても、恥の感覚が麻痺しない人間であることは重要だと思う。自分自身への恥の感覚がピリッとしていれば、他人への思い、感度も鈍くはならないのではないだろうか。

4月からタラコも幼稚園に行く。いよいよ集団社会デビューだ。いろんなことが待ち受けているのだろう。ヤンキー先生に教えられたこのことも、親として心にしっかり留めて、いろんなことをタラコと乗り越えていこう。