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2007年10 月13日 (土)

長新太さんの絵本

タラコが図書館で本を借りるようになってから1年が経った。何せ、荒っぽいタラコ。公共の本を汚損してはいけないと、分別つく2歳半まで図書館は自粛していた。
この1年、借りた本をすべて記録してきたが、延べ約170冊になった。タラコは本と図書館が大好きになり、そんなおかげで私も絵本のおもしろさに再び目覚めた。
なかでも見方が180度変わったのは、長新太の作品だ。
子供を持つ前は「なんだこりゃ?」、意味がよく分からん。しかもピンクやオレンジの強い色使いもどぎつく思えて拒否反応だった。
だから、タラコが『ありがとう へんてこライオン』(小学館)を初めて手に取ってきたときには、「げげっ!!!」と思ったが、「コレ読みたいコレ読みたい」というので、貸し出し本の山に加えた。

家に帰るなり読まされて・・・あれれ?何だか不思議。ライオンが突然いろんなものに変身する突拍子もない話。だけど、あまりの突拍子なさがおかしい。タラコは「何だコレ~?変だぞぉ」と笑っている。
声に出して読んでみると、味わいがある。言葉はシンプルだけどリズムが心地よい。それに、あのどぎついと思っていた絵も、実は整理された色づかいで言葉の単純さと一体になって独特の世界観や強さを放っていた。
以来、タラコと私は長さんファンとなった。
しかし、驚くのは、タラコが書名のアイウエオ順に並んでる棚の中から、長作品をよくもまあスムーズに探し出してくることだ。背表紙を見るとその色使いで分かるのだろうか。それとも長新太という文字を記憶しているのだろうか。別の作家さんがお話を書いて、絵だけ長さんが描いた本を見ても「これ、へんてこライオンのやつ?」と分かるということは、それだけ、長さんの絵は個性が強烈なのだろう。

作品に触れるほど思うのは、長さんの本は、大人にとって読み聞かせの技量を問われるなぁ……ということ。やっかいですよ、かなり。平板に読んだらきっとつまらない。間(ま)とか声の出し方など芝居がかって読まないとならない気がする。だって、長さんの本は、ライオンがバスに変身したり、タコが靴はいたり、ミミズが絵の具を食べちゃったりするけど、なんでそうなるのかの説明文は一切ない。フツーに読んでいたら、発想についていけない。だから私もヘンテコな声で読む。
でもタラコの楽しみ方を見ていると、子供には理屈や説明をポーンと飛び越えて遊べる才能があるらしい。子供が意味不明な言葉を並べてはゲラゲラ笑っているのは、そういうことに通じるのかしら?そういえば、子供って、空のお皿なのにご飯を食べるマネして遊んだり、ただのマルを池にも見立てるしドーナツにも月にも見立てるし、そこにないものでも、あるように勝手に想像して遊ぶ。
以前は長さんの絵本を理解できなかった私が、その面白さに気がつけたのは、きっとタラコと日々過ごすなかで、理屈や説明のない、こういう感覚や感情の世界に慣れたからなんだろうな~、目線が変わったんだろうな~と思う。

8日の月曜日、横浜のそごう美術館で「長新太展」を見てきた。彼の作風の変遷を見ることができたり、使っていた道具を見れたのが楽しかった。
使っていたクレヨンが普通の「サクラクレパス」だったのが意外。外国製など特別なものを使っていたりするのかと思いきや、私が子どもの頃使っていたのと同じクレヨンだった。
暴れん坊タラコが見てくれるかが最大の心配だったのだが、「あ、へんてこライオンだ、ミミズのオッサンだ」と興味を持ってくれたおかげで、私も何とか一通りは見ることができた。

絵本にもいろいろあって、教訓めいていたり、擬人化した動物に子供の世界を投影していく作品も多いけれど、長さんの世界は、発想や感覚の突き抜け方が他にはない。亡くなられたのが残念でならない。
長さんの本ばかり読まされると、ヘンテコ声が疲れるのだけど、でも“よい子のお話”っていう感じの絵本が多い中で長さんのをはさむと、私も何だか開放的な気持ちになれるのである。
ありがとう!長さん。

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