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2007年10 月29日 (月)

『青い窓』に感動

私の姉が福島を旅行し、ある小冊子をおみやげにくれました。
『青い窓』というその冊子は、子供の詩を載せたものです。
薄皮まんじゅうで有名な「柏屋」というお菓子屋さん(福島に本店)が発行しているものでした。
柏屋さんはよくデパートにも入っているし、おまんじゅうも頂いたことがありますが、こんな文化的な活動をしているとは知りませんでした。

『青い窓』は昭和33年に発足。すごい歴史ですよね。
お店のウインドーを子供の詩で飾ってみようとしたところから始まったそうです。
24センチ×18センチ、12ページ、隔月刊のその冊子には、20編ちかくの小中学生の詩が載っていました。
どれも瑞々しくて、素直で、気取りがなくて、技巧のないところがかえって上手くて、胸にぐっと来るのです。
詳しくは、青い窓のホームページ(http://www.aoimado.jp/)で見てみてください。
子供たちの詩も一部載っています。

詩の力に、改めてハッとさせられました。
特に難しい言葉は何一つない。いつも使っている言葉。でも、つぶやきのようにポン、ポンと並べると、とたんに広がりをもってくる。
「言葉の力」ってすごいな。
そして、美しいものや特別なものをみて書いているわけじゃない、子供の毎日のいつもの景色や物や何気ない一言にこんなに詩情があるのかと。

タラコが空を見て「見て。すごいはやく雲が動いてるよ。どうしたんだろう?おーい雲さん、どこ行くんだ。待ってくれ~。わたし、雲に乗りたい」
と言ったとき、私はアハハと笑ったが、思えばこれも立派な詩なんだな。

子供はこういう素直な感情って持っていて、みんな口には簡単に出している。
それが、授業で「詩を書きなさい」なんてなると、とたんに「こんなこと書いていいのかな・・・・つまらなくないかな」なんて身構えちゃう。格好つけようとしちゃう。
でも『青い窓』を見たら「詩って、こんなふうに素直に書いていいんだ」と、そんなに緊張しなくなるんじゃないかしら。
大人にとっても、見ているようで見ていなかったものを気づかせてくれる、そんな力が子供たちの詩にはあるのだと気づきました。

この冊子、福島のお店でしか手に入らないみたいだし、是非続けてほしい活動なので、さっそく、購読を申し込んだ私。ネットの横書きより、縦書きの活字の方が、詩の味わいがあるし。

そういえば私も小学生の頃、詩を書くのが大好きだったなあ。でも、いつから書かなくなっちゃったんだろう・・・・。
タラコには、いつまでも詩を書けるような人であってほしいな・・・。

2007年10 月28日 (日)

「集団自決」教科書検定、仕切り直し 

 「軍の強制」復活で訂正申請へ;教科書会社 

「沖縄戦での集団自殺はやはり旧日本軍による強制だった、と教科書の記述を訂正する」と、執筆者の1人である高校教師が23日、記者会見して発表した(各紙24日朝刊)。発行元の教科書会社編集者とも合意済みといい、来週中には文科省に訂正申請する方針。文科省は強制ではないとする検定意見を変えていず、処理がどうなるかは不透明だ。 文科省は来春から使う高校日本史の教科書の検定で、沖縄戦での集団自殺は「旧日本軍の強制」によるものとの記述があった5社の教科書の記述を削除させた。これに対し地元沖縄では文科省の教科書検定に反発する大規模な集会が開かれた。これを受けて政府は地元感情に配慮して記述の訂正を認める方向だが、文科省は検定意見を変えていず政治決着の方法は不透明。しかし、来春からの使用に間に合わせるためには11月初めまでに訂正申請するしか方法がないと、この日の記者会見になったという。

  <谷口のコメント>

◎教科書執筆者は学者の良心を持て◎  

沖縄戦での集団自殺に軍の強制があったか、なかったか。真実は一つであるはずなのに、なぜ同じような騒ぎが何度も繰り返されるのだろうか。史実の発掘はどこまで進んでおり、どのような論点が残されているのか。こうした説明が十分国民に説明されないまま、文章の削除、書き換え要求と安易な受け入れなど乱暴なことが繰り返されている。密室性が強い文科省の教科書検定にも問題があるが、教科書会社、それ以上に執筆者に責任はないのか。教科書無償・検定制度の中で文科省にはひたすら弱い教科書会社はともかく、執筆者は自分の学問的信念に従った行動をしてほしい。最初から問題になりそうな箇所は書かない“自粛”執筆も横行していると聞く。この日、あえて記者会見に踏み切った坂本昇教諭には「いまさらながらのスタンドプレー」の批判も出るだろうが、執筆者は彼のように恥を知り、勇気をまずは持て、と言いたい。騒ぎになれば政治決着、のパターンをいつまでも繰り返さないでおこう。

2007年10 月26日 (金)

手書き文字文化は生き残るか?財団法人「文字・活字文化推進機構」設立 

 「言葉の力」向上を合言葉に、東京・神田の一橋記念講堂で24日開かれた財団法人「文字・活字文化推進機構」設立記念総会に参加した。一昨年、文字・活字文化振興法が超党派の議員立法で成立して以来この運動に関心を持ってきたが、運動の一歩前進を示すのがこの設立総会だろう。資生堂会長の福原義春氏が機構会長を務め、作家で日本ペンクラブ会長、阿刀田高氏が副会長、童話作家の肥田美代子さんが理事長を務めるという布陣。この運動がどこまで草の根に刺さっていくか、機構の努力に期待したいし、文字・文章教育に日ごろ関係する者として草の根からこの運動に参加していきたいと思っている。  

  この設立総会には日本書写能力検定委員会(書写検)の大平恵理会長代理、渡邊啓子事務局長、池田圭子理事の女性3人を誘って参加した。彼女らは学校書道である「書写」教育の面からこの運動に注目しているもので、書写検では今春から、学校の授業で「書写」を活発にしようという「教学キャリア」運動を全国の書写検グループ書塾とともに展開している。文字・活字離れの昨今、文字の手書きという作業は若者の日常からほとんど姿を消していると言っても過言ではない。それだけに、この教学キャリア運動の前途も厳しいものがあるが、こうした文字文化振興の国民的運動が起きようとしている状態は追い風で、とても心強い。

   しかし、予想通りというか、設立総会では何人かの来賓がスピーチしたが、文字を書く文化に言及した人は皆無だった。活字議連会長の中川秀直氏(前自民党幹事長)がわずかに「読む力、書く力という言語能力の涵養」に触れたぐらいだったが、その場合の「書く」も文章を書く、という意味合いだろう。一ヶ月に一冊も本を読まない大人が激増している昨今、「書く」どころでないのは分かるが、書写に係わる者としては手書きの教育的、文化的効果ももっと世に問いたいところだ。

   手書き文化の将来の厳しさを改めて認識した総会だったが、少し気が晴れたのは川島隆太・東北大学教授の記念講演。川島教授は脳の活性化の研究で有名だが、同教授によると文字を手書きしているとき、人間の脳はフル回転し血流の測定機は真っ赤に表示されるという。逆にワープロ機能で文章を打っているときの脳はむしろ小休止状態になるが、それはワープロが脳の機能の代わりをしてくれているからだという。つまり、手書きは脳を動かし活性化することにもつながるというわけで、それはたぶん、文化創造という観点からはとても重要なことではなかろうか。ややうさんくさく思っていた脳トレ流行だが、少し勉強してみようと思った。

2007年10 月25日 (木)

全国学力テスト結果まとまる

 基礎は合格だが活用問題が苦手

文科省が4月、全国の小学6年生、中学3年生全員を対象に46年ぶりに実施した全国学力・学習状況調査(全国学テ)の結果が23日公表された。テストは計約221万人に対し77億円をかけて行われたもので、国語と算数・数学について身に付けておくべき知識(基礎)を問う問題と知識を実生活に役立てる(活用)問題に分けて実施した。結果は基礎的知識の平均正答率は7~8割と高かったが。活用問題の平均正答率は6~7割にとどまった。全体的には次のようなことが分かった。①基礎的な知識に比べて、活用する力が弱い②全体として都道府県別の差は少ないが、沖縄など一部に低いところがある③就学援助を受けている子供の多い学校の成績が低い傾向がある。また同時実施の生活習慣調査では①家で宿題をするほうが点数が高い②朝食を毎日食べ方が点数が高い、なども分かった。文科省は調査結果を学習指導要領改訂の参考にするほか地方教育委員会と学校にそれぞれが関係する詳細なデータを渡し今後の行政に生かしてもらう方針。また都道府県と政令指定都市に検証改善委員会を設置してもらい、学校支援のプランを作成させることにしている。

<谷口のコメント>

◎成績どん尻の沖縄県対策に即時取り組め◎  

巨費と半年もの時間をかけた割には当たり前のことしか浮かび上がってこなかった。新聞の論調も「そして文科省は何をするのか」(毎日)「これならもういらない」(朝日)と、概して冷たい。しかし文科省が全部やる悉皆(しっかい)調査にこだわったのは何も学校の序列を付けたいためではなく、調査結果をもとにした行政の公平を期したいからだろう。その意味で言うなら、ダントツの最下位が明らかになった沖縄の子供たちの学力向上に文科省も沖縄県教委とともに真剣に取り組んではどうだろう。これだけはっきりした数字がでれば、先生の増員などで少々傾斜的に税金を沖縄につぎ込んでも国民は納得するのではないか。日米安保体制という国益のために沖縄が払っている代償はまことに大きいものがある。沖縄の“低学力”の背景にもそれはないか、その分析調査も学テで沖縄の実態を満天下にさらしてしまった文科省の責任とは言えまいか。

2007年10 月24日 (水)

 教育再生会議が再スタート

年明け最終報告へ

 安倍前首相の肝いりで発足した教育再生会議が23日、首相官邸で福田首相も出席して1カ月ぶりの会合を開いた(各紙)。政権交代してから初めての会合。福田首相はあいさつで「所信表明演説に皆さんの提言を入れた」と、会議の意見を尊重する姿勢を表明したが、改革に対する自身の考え方については「会議が混乱するといけないから言わない」とだけ述べた。この日の会議では小中一貫教育の推進、「教育バウチャー」制度などについて論議が行われた。12月中にも第3次報告のとりまとめを行い年明けに最終報告をまとめる。会合では福田首相が政権公約の柱としている「自立と共生」を議論の指針に加えることも決まった。

 谷口のコメント
◎公開して出直せ◎
 鳴り物入りでスタートした教育再生会議だが、密室審議の手法に文科省・中教審との軋轢による分かりにくさも加わって国民的な改革論議の盛り上がりを欠いてもともと影は薄かった。重要政策についての会議だから存続させたのは評価できるが、もっと見えやすい仕組みの会議に模様替えして出直してほしかった。福田首相はあいさつで「教育は誰でも一家言持っている。私も持っているが言わない」と述べたというが、それだけにオープンで念の入った論議を重ねて国民合意を作り上げていくことが大事なのではないだろうか。

2007年10 月13日 (土)

長新太さんの絵本

タラコが図書館で本を借りるようになってから1年が経った。何せ、荒っぽいタラコ。公共の本を汚損してはいけないと、分別つく2歳半まで図書館は自粛していた。
この1年、借りた本をすべて記録してきたが、延べ約170冊になった。タラコは本と図書館が大好きになり、そんなおかげで私も絵本のおもしろさに再び目覚めた。
なかでも見方が180度変わったのは、長新太の作品だ。
子供を持つ前は「なんだこりゃ?」、意味がよく分からん。しかもピンクやオレンジの強い色使いもどぎつく思えて拒否反応だった。
だから、タラコが『ありがとう へんてこライオン』(小学館)を初めて手に取ってきたときには、「げげっ!!!」と思ったが、「コレ読みたいコレ読みたい」というので、貸し出し本の山に加えた。

家に帰るなり読まされて・・・あれれ?何だか不思議。ライオンが突然いろんなものに変身する突拍子もない話。だけど、あまりの突拍子なさがおかしい。タラコは「何だコレ~?変だぞぉ」と笑っている。
声に出して読んでみると、味わいがある。言葉はシンプルだけどリズムが心地よい。それに、あのどぎついと思っていた絵も、実は整理された色づかいで言葉の単純さと一体になって独特の世界観や強さを放っていた。
以来、タラコと私は長さんファンとなった。
しかし、驚くのは、タラコが書名のアイウエオ順に並んでる棚の中から、長作品をよくもまあスムーズに探し出してくることだ。背表紙を見るとその色使いで分かるのだろうか。それとも長新太という文字を記憶しているのだろうか。別の作家さんがお話を書いて、絵だけ長さんが描いた本を見ても「これ、へんてこライオンのやつ?」と分かるということは、それだけ、長さんの絵は個性が強烈なのだろう。

作品に触れるほど思うのは、長さんの本は、大人にとって読み聞かせの技量を問われるなぁ……ということ。やっかいですよ、かなり。平板に読んだらきっとつまらない。間(ま)とか声の出し方など芝居がかって読まないとならない気がする。だって、長さんの本は、ライオンがバスに変身したり、タコが靴はいたり、ミミズが絵の具を食べちゃったりするけど、なんでそうなるのかの説明文は一切ない。フツーに読んでいたら、発想についていけない。だから私もヘンテコな声で読む。
でもタラコの楽しみ方を見ていると、子供には理屈や説明をポーンと飛び越えて遊べる才能があるらしい。子供が意味不明な言葉を並べてはゲラゲラ笑っているのは、そういうことに通じるのかしら?そういえば、子供って、空のお皿なのにご飯を食べるマネして遊んだり、ただのマルを池にも見立てるしドーナツにも月にも見立てるし、そこにないものでも、あるように勝手に想像して遊ぶ。
以前は長さんの絵本を理解できなかった私が、その面白さに気がつけたのは、きっとタラコと日々過ごすなかで、理屈や説明のない、こういう感覚や感情の世界に慣れたからなんだろうな~、目線が変わったんだろうな~と思う。

8日の月曜日、横浜のそごう美術館で「長新太展」を見てきた。彼の作風の変遷を見ることができたり、使っていた道具を見れたのが楽しかった。
使っていたクレヨンが普通の「サクラクレパス」だったのが意外。外国製など特別なものを使っていたりするのかと思いきや、私が子どもの頃使っていたのと同じクレヨンだった。
暴れん坊タラコが見てくれるかが最大の心配だったのだが、「あ、へんてこライオンだ、ミミズのオッサンだ」と興味を持ってくれたおかげで、私も何とか一通りは見ることができた。

絵本にもいろいろあって、教訓めいていたり、擬人化した動物に子供の世界を投影していく作品も多いけれど、長さんの世界は、発想や感覚の突き抜け方が他にはない。亡くなられたのが残念でならない。
長さんの本ばかり読まされると、ヘンテコ声が疲れるのだけど、でも“よい子のお話”っていう感じの絵本が多い中で長さんのをはさむと、私も何だか開放的な気持ちになれるのである。
ありがとう!長さん。

2007年10 月 4日 (木)

ちひろの絵

ちひろの絵は、私にとって、心の中に寄せては帰す波のよう・・・。

中学3年のとき。近くのスーパーで、いわさきちひろの複製画が飾られて売っていた。
『母の日』――カーネーションを持っておかあさんの首に抱きついている子どもの絵だった。
そのころの私は、学校生活に精神的に疲れきっていたからか、その絵の温かさが欲しくて、お小遣いでその絵を買った。
以来、いわさきちひろの絵が大好きになり、お小遣いをためては、複製画を集めた。かなりの枚数になった。

そして、ある日、『子犬と雨の日の子どもたち』--子どもたちが傘をさして犬と戯れる絵を買った。部屋の絵を掛けかえようとはずんで帰った。
しかし家に帰ると、とても悲しい事件が起きていた。
あまりにショックで、その日に買ったちひろの絵は見れなくなってしまった。
その絵だけでなく、ちひろの絵を見るとその日のことが思い出されて、すべてを見ることができなくなってしまった。記憶を封印するかのように、買い集めた絵をすべて箱にしまい、ぐるぐるに紐をかけて、押入れの奥深くにしまってしまった。
もう20年以上前になるのだけど、いまだにその箱は開けていない。

その後、時間の流れとともに、悲しみは小さくなっていったけれど、ちひろの絵をあえて見る気にはなれなかった。
それがあるとき、職場で同僚から「いる?」と「ちひろ美術館」の招待券を目の前にふいに差し出された。
「えっ」と目をそむけたが、チケットには赤いチューリップの横に座る赤ちゃんの絵が印刷されていた。
その絵の赤ちゃんと目が合ってしまったというか、そのときお腹の中に宿っていた生まれ来るわが子の絵のような気がしてしまった。
券を受け取り、机の前に立てかけた。
久しぶりにちひろの絵と向き合った。カーネーションの子の絵を初めて見た時のような、じんわり温かい気持ちが胸に流れた。

産休に入り、東京・練馬のちひろ美術館を訪ねた。
子どもへの優しい眼差しにあふれたちひろの絵と美術館の静かなたたずまいは、仕事に没頭してきた自分に久しぶりにやわらかい気持ちを運んできてくれた。
そして、お腹の子へ思いを馳せて、ピンクのうさぎのぬいぐるみと座る赤ちゃんの小さな絵をミュージアムショップで買った。

そして、タラコが生まれた。
心臓に病気が見つかった。自分を責めて泣き明かした。
そこにちひろの絵があった。ピンクのうさぎと座る赤ちゃんの、ふわふわな幸せ顔が耐えられなかった。
壁から荒々しく外し、ちひろの絵を再び封印した。

その絵を、最近、引き出しの奥から出してみた。
眺めると、タラコの病気が分かって気が狂うほど泣いたことが思い出された。
しかし、ちひろの絵の赤ちゃんは、何の罪もない顔をしている。どうして泣いていたの?って不思議そうに見ているみたい。
タラコは病気のせいで痩せっぽちで、この絵の赤ちゃんみたいにプクプクはしていなかったけど、元気でやんちゃで大きくなったじゃないか・・・・。
罪のないあどけない顔していたのは、この絵の赤ちゃんと変わらなかったな・・・・と。

愛おしくなって、ふたたび壁に掛けた。
こういう気持ちになるのに、3年かかった。