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2007年7 月15日 (日)

 台風4号と偏西風

 台風の進路予報ほど当てにならないものはない。中部本社(名古屋市)での報道部デスク時代に手痛い失敗をしたことがある

 ある夏のその夜、私は朝刊番デスクだった。数日前に発生した台風が南海洋上を日本列島に向けて進んでいた。極めて大型で強い台風だ。しかもまっすぐに名古屋を目指している。嫌な予感がしていたが、どうやら今夜作る朝刊で上陸か否かの決着を付けざるを得ない情勢になってきた。

名古屋地方気象台に張り付いた記者からの報告などあらゆる情報を集めて必死で進路を予想しながら、緊張する警察・消防の様子や市民の動きを追う紙面を作った。上陸するとすれば伊勢湾の満潮時とぶつかりそうだ。死者・行方不明者5000余人を出した伊勢湾台風(1959年9月)の悲劇がいやでも頭をよぎる。

 街の表情,動きとは別に、いわゆる本記筋と言われる記事を作成しなくてはいけない。その中心は進路である。その昔、記者に向かって「気象庁の幹部宅を夜回りして本当の情報を取って来い」と命じたある社会部デスクの逸話を思い出した。気象庁は何か隠しているんじゃないか、と疑うとは、ほとんど職業病のようなものだが、それを笑えない心境だった。「今朝、東海地方に上陸へ」。「へ」と若干の含みを残しながらも大見出しを付けたのはもう最終版になってからだった。 

 明けてその朝、名古屋上空には青空が広がり、さわやかな秋風が吹き渡っていた。「朝刊で台風の進路に勝負を賭けるのは禁じ手だよ」。先輩デスクから注意を受けた。台風は偏西風に押されて一気に東へ進路を切り太平洋へ去ったのだった。

   「この4号の予報もはずれて欲しいのだが」。14日夜から15日未明にかけて私は20年近く前のその夜を思い出していた。14日夜、大隈半島に上陸した4号は極め付きの大型台風という。15日には私が関係する書写書道団体の催しが名古屋市で予定されており、開催するかどうかの判断を迫られていた。

 15日朝。決断する午前6時に台風4号は紀伊半島南端にあって進路予報円はしっかりと名古屋を捉えていた。名鉄も近鉄も始発から全面ストップしたままだ。全ての情報が「中止」を指し示す中でただ1つ、台風の航跡がわずかに東方向にぶれ始めているように見えるのに賭けた。「決行」の連絡を各地の担当者に伝えてから1時間半。名鉄が運転開始をネットで流すまで生きた心地がしなかった。台風4号は期待ほどには東にぶれなかったが、ぎりぎり暴風圏は名古屋市域をかすめ去ったのだ。 20年前のかたきを取った思いだった。

 

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コメント

元新聞記者の書く記事で最高に楽しみなのは,なんたって長い記者生活で得た経験や思いを重ねた文章です。テレビ番組の「新・京都迷宮案内」の杉浦恭介さんを彷彿させるこのサイトのライターは,きっと素敵なオジさんなんでしょうね。

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