なぜいま教育勅語?
教育勅語が静かなブームだという。私立学校で低学年から暗唱させるところもあるそうだ。そういう話は聞いていたが、編集顧問を務める教育機関紙「はぐくむ」の特集のために「文字と私」という題で若者らに作文を書かせたら、教育勅語を文字が残した宝物という位置づけで描いてきた女子学生がいる。大晦日にその作文を読んだことから年の瀬をはさんで教育勅語に思いを巡らせることになった。
『父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ…』(フボにコウに ケイテイにユウに フウフアイワし ホウユウアイシンじ キョウケンオノれをジし ハクアイシュウにオヨボし ガクをオサめギョウをナラい)=父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は調和よく協力しあい、友人は互いに信じ合い、慎み深く行動し、皆に博愛の手を広げ、学問を学び手に職を付け=注・読みと訳はサイト「雑学資料室」から抜粋
その女学生が代表的な部分として抜粋してきたのは上記の部分である。教育勅語には12の徳目が書かれている。親横行、夫婦の和、謙遜、博愛などほとんどはしごくもっともなことばかりだ。気になるのは次の部分である。
一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ(イッタンカンキュウあれば ギユウコウにホウじ モッてテンジョウムキュウのコウウンをフヨクすべし)=もし非常事態となったなら、公のため勇敢に仕え、このようにして天下に比類なき皇国の繁栄に尽くしていくべきです=注・同
ここを除けば女学生の書く「明治天皇が公布されたものですが、百十六年後の私達にとっても大切なメッセージであると思います。活字として残されていたからこそ、私は教育勅語のこの一節と出会いました。このような文字の持つ多方面に渡る影響力は、想像を絶するものがあります」という思いはほぼ素直に受け止めることができる。
「一旦緩急アレハ」の解釈については諸説あり、起案者は兵役と結び付けたのではないとも言われるが、教育勅語が戦前日本の軍国教育の精神的主柱であったのは紛れもない歴史的事実だ。戦後憲法の成立とともに国会で教育勅語の無効が確認されたのもそのためだ。
その歴史は忘れてはいけないが、そこを別とすれば「人の生きるべき道」(徳目)を大人たちが若者に自信を持って説くことを忘れてしまった戦後社会のひずみが、今になって教育勅語ブームを生もうとしているのは必然と言えるのかもしれない。改正教育基本法が極論すればほとんど無風の中で成立した経緯を考えても、日本の古き伝統的価値への回帰が、無反省に加速されていくだろう危うさを覚えずにはいられない。
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