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2006年8 月 5日 (土)

サダコとタラコ~戦争の夏

子どものころ、8月はただただ楽しい夏だった。それがいつからか、8月は胸が痛む季節になった。戦争について考えさせられる季節だから。

今年はその痛みがいっそう強い。
広島の平和公園にある「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子さん(以下サダコ)は2歳で被爆した。そして我が娘タラコも今2歳。

タ ラコは毎日とても楽しそうだ。ずーっと歌を歌ってるし踊ってる。「ホットケーキつくろ~!ミッフィーちゃん食べる?フライパンここね。あ、お皿どこか な?」など大好きなうさぎのぬいぐるみに話しかけながら、おままごとしている。泣いたり笑ったり、ホント忙しい。サダコもこんなふうにおしゃべりを始めキ ラキラ輝いていたにちがいない。
タラコとサダコを重ねると言葉がなくなる。
絶対にタラコをそんな目に遭わせたくない。

3 年前、私は広島の被爆者の佐伯敏子さんにお話を聞いたことがある。彼女は語り部として広島を訪れる子どもたちに体験を話している。兄弟の全身皮膚がはがれ て“おばけ”みたいになったこと、そこらじゅう横たわる遺体に「ごめんなさい」と言いながら踏み越えて肉親を捜したこと……涙を流しながらよどみなく体験 を語る老女。彼女は同じ話を何百回何千回としているのに、その度に苦しい涙を流しているにちがいない。

思えば、彼女の話を聞いたあの時、気づいてはいなかったけれど私のお腹の中にはタラコが命が宿っていた。
戦争を知らない自分であるけれど、タラコにもちゃんと伝えなさい……という啓示に思えてならない。

サ ダコはその後元気に幼少期を送るけれど、12歳で突然原爆症を発病する。病床で快復を祈り鶴を折りつづけたが力尽きた話が伝説になっている。最近、サダコ が最期の時を過ごした広島日赤病院入院中の姿を記した本(『想い出のサダコ』著・大倉記代 よも出版)を読んだ。命の輝きを奪った原爆とは何なのか、戦争 とは何なのか。
もしサダコのことを知らない人がいたら、ぜひ知ってください。いろいろと本があります。

60年も泣き続けている老女。その苦しみを知って伝えていく――繰り返さないためには、それしかない。体験してはならないのだから。

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