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2006年7 月11日 (火)

艶歌を舞う:浅草に立つ長嶺ヤス子

  ∲赤い鼻緒がぷつんと切れた∲ 着物姿の女性が一人、素足に赤いけだしも艶かしく小さな舞台で踊りだしたとき、学生時代の遠い昔、長野の山奥の温泉場で初めてストリップショーなるものを見たときを思い出した。教室よりひとまわり以上も小さめの空間も似ているが、どこかうら寂しげな出だしの雰囲気がそっくりだ。しかし、そんな思いはほんの数秒で消し飛んだ。流れる音楽こそ紛れもなく日本の演歌だが、踊りは日舞ではなく、さりとて洋舞とも言えない独特の切れと激しさ、高い格調で瞬く間に100人近いすし詰め状態の観客の心をつかんだ。

  招待してくれた人がいて浅草のSHOWホールで長嶺ヤス子さんの舞踏公演を観た。長嶺さんが日本におけるフラメンコの第一人者であることは知っていたが舞台を見るのは初めて。しかも「情炎のゆくえー艶歌(えんか)を舞う」というタイトルの公演だ。貧弱な自分の感性ではついていけないのではと思っていたが、女の情熱をたたきつけるような激しい踊りは極めて分かりやすかった。指先にこめられた表情、セクシーな腰のひねりは明らかにフラメンコのものだが、単に着物で踊るフラメンコ、という表現ではとても伝えきれず、新しい舞踏というほかにない。演歌14曲。全部着物姿。照明を落とした舞台上ではや変わりをする様子をシルエットで見せる演出も美しかった。

 45分の前半が終わって次の舞台で長嶺さんが語った。「スペインに20年も住んだけれども(心の深い部分では)スペイン語が分からないの。フラメンコも感じだけつかんで踊っているのです。その点演歌は言葉そのものが心の奥底から自分を突き動かすのです」。ジプシーな女、と自ら表現する国際人の長嶺さんのイメージとは程遠い言葉からこの日の舞台に込める彼女の気持ちが理解できた。浅草SHOWホールでの公演は今年で4回目とか。大ホールにはない観客との一体感を求めて浅草を基地にていこうという思いも分かる気がした。

  舞台が終わってから熱心なフアンに混じって長嶺さんと焼肉屋で食事をした。斜め前に座った長嶺さんを独占してあれこれ話をきくことができた。「無法松も良かったですが天城越えも見たいですね」。「もう振付けてありますよ」。彼女の気さくさに便乗して「いつまで舞台を続けようと思っていますか」と聞いてみたら「何にも考えていない」と少しにらまれた。とても70歳とは思えないパワーがひしひしと伝わってくる。ああ。この人はどの記事を見ても「世界的な」の枕詞で語られている芸術家だが、根っからの「芸人」なんだな、とそのとき思った。いつもの国立劇場など格式ばった場所だけでなく、きっと浅草も似合うだろう。それで怒られるのを覚悟で長野のストリップショーを冒頭で思い出した話を披露した。「ストリップだって踊る心は同じですよね」と念を押して。長嶺さんが破顔一笑した。優しく温かい笑顔だった。

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