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2006年6 月 3日 (土)

地元記者研修

  地域サイト「浮間わいわいねっと」の管理人さん(60)の車でご近所探訪に出かける。2年ほど前からネットの「特派員」を務めているが、もうずいぶん記事を書いていない。少し研修の要あり、との判断からか管理人さんにだいぶ前から誘われていたのがようやく実現できた。
 彼は同い年。地元で縫製業を営んで来たが理科系の大学を出ているのでメカに無茶苦茶強い。しかも野次馬根性旺盛なのでフットワーク軽く地元ネタを拾いまくる。全国紙社会部卒の当方もこのサイトでは(自分では走れない)トロッコ並だ。

 浮間は東京都北区の北部。荒川と新河岸川(1キロ下流から隅田川)の間に広がる地域である。東西約1キロ、南北0.8キロ。浮間1丁目から5丁目に約9000世帯2万人が住んでいる。JR埼京線の北赤羽、浮間船渡の2つの駅を抱える割に土地の値段が安いことから若い層の流入が多い。北区唯一の人口増地帯である。

 サイトは浮間を中心に近隣の赤羽北、小豆沢(板橋区)などをエリアにしているが、ネットユーザーの若い主婦層に支えられているのが特色で、子育て情報が掲示板に盛んに飛び交う。1年ほど前に10万アクセス達成のお祝いメールを送った記憶があるのにもう24万まで伸びている。なかなかの読者数だ。

 浮間地区をざっと回った感想では住宅建設が動き出しているのが目に付いた。地主の遺産相続で物納された運送会社用地跡に400世帯、ガス炎上騒ぎで有名になった自動車教習所跡地には200世帯、そのほか駅前の駐車場跡地には6階建てマンションが建築に入った。手狭になった小学校はみんなの野球場になっている広場に引っ越すそうだ。時ならぬ開発ラッシュの様相でいろいろと問題が多そうだ。

 その一方で歴史的な庚申塔の多いのも印象に残った。「人のからだの中にいる何とかと言う虫が庚申の日に人間を抜け出して人間の悪事を天帝に報告しに行くので庚申の日は眠らないで宴会をしたとか・・・」と管理人さんはなかなか詳しい。「そういえば木枯文次郎のテレビで『庚申の夜の・・・なんとか』というのがありましたな」と当方も知識を披瀝した。信仰内容はつまびらかでないが、路傍の庚申塔に例外なく花が活けてあるのが印象に残った。庚申塔が生きている証拠だ。新旧住民が混在する浮間ならではの光景か。

 江戸時代初期、辺りは浮間が原と呼ばれる湿地帯だった。初夏に可憐な花を咲かす「さくらそう」の自生地だった。浮間が原に鷹狩に来た将軍がこれを愛で、江戸城で鉢植えにして観賞したことで諸侯がまねをし、全国に知られる花になったという。自生地はその後の荒川掘削などで消滅したが今は名残りに「浮間桜草圃場」が都立浮間公園の横手に残る。「施設としてはちょっとささやか過ぎますな。もっとさくらそうを売り出す方法はないものですかね」という質問に管理人さんは「さくらそう保護運動がやや排他的になっているきらいはありますな」。課題の多く見つかった研修だった。
 浮間わいわいねっと http://www.ukima.info/

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