100円ショップに思う・・・
今さら言うまでもないけれど、最近の100円ショップってすごい。
「はさみ」一つとっても何種類もあって、品揃えに驚く。
100円ショップの充実と反比例して、地元スーパーの文具売り場が何ともさびしくなってしまった。最低限のものか、キャラクター商品しか置いていない。そりゃそうだ、文具売り場は3階、100円ショップは4階。エスカレーターひとつだもんね。
そして、町から文具店もなくなってしまった(跡継ぎがいなかったからかもしれないけど)。
だから、文具が必要になると100円ショップに行かざるを得ない。
しかし、種類は豊富でも、どうもすんなり選べない。便箋、封筒、ノート、カッター・・・・デザインが今ひとつというか、つくりが安っぽいというか(仕方ないけど)。
初期の100円ショップに比べたら、品質もデザインもそりゃ随分進歩している。けれど、あまり選ぶ楽しさを感じられない。100円とはいっても、何だか引っ掛かりがあって結局買わなかったりする。
だからと言って、それなりにこだわりはあるけど、わたしゃ特別、審美眼に優れた人間ではない。
迷い疲れて何も買わずの帰り道、買うものもないのに、町の文具店に入り浸っていた子どもの頃をなつかしく思った。
和紙調の縦書き便箋、エアメールの封筒、大学ノートのレトロな表紙、外国製の鉛筆や絵の具、革の表紙の日記帳、そしてショーケースに並んだ万年筆・・・・憧れがたくさんあって見るだけで楽しかった。大人になったらこういうの使いたいな~と、手にとってはうっとり眺め、棚に戻し、また眺め、戻し・・・。
自分が買うのはせいぜい筆記具なんだけど、それでも子供なりにこだわりもあった。
ジャポニカ学習帳は、なぜか勉強する気になる、ある表紙の写真があった。鉛筆は軸が黒っぽい三菱鉛筆より、緑っぽいトンボ鉛筆が好きだった。色とトンボの刻印が好きだった。軸の木もやわらかく感じた。でも消しゴムはトンボの「MONO」より、シード社の「レーダー」だった。消し心地やデザインが好きだった。コクヨの「キャンパスノート」はあるとき(ホームページによると1983年)デザインが変わって、すごいショックを受けた。下敷きも、モノによって字の書き心地、鉛筆が受けるやわらかさが全然違ったりするのでこだわった。
コレって私だけじゃないと思う。思えば、クラスで「MONO消しゴム」派と「レーダー」派なるものが存在していた。
文具って、子どもが自分のこだわりを追及できる貴重な分野じゃないかな、と改めて思う。
毎日に欠かせないものだし、せいぜい数百円の範囲だし。と言っても10円20円の違いですごい悩んだり。しかも小さな中に結構アートな世界がある。子どもでも手に届くアートな世界。そこで形成される美的感覚や経済感覚、選択眼、そしてモノへの愛着心って結構あるんじゃないかしら。
しかし、100円ショップだど、憧れの品を横目で見ながら鉛筆1本を買うとかいう経験がないんだな・・・・。そしてどれも100円だから値段の違いで悩むこともないんだな・・・・(どっちがお得かでは悩むかな?)。何でも100円で手に入るって、安易だな・・・などなど。
近い将来、タラコも自分で文具を買いたがるようになるだろうけど、日常に100円ショップか、スーパーのさびれた文具売り場しかないのは、何だかさびしい選択肢だな・・・と思うのです。ま、今しか知らなきゃ、その状況がつまらないとも何とも思わないのだろうけど。
文具店の消滅は、子どもにとって大切な世界が消え行くことでもある・・・なんて大げさかしら。でも、文具店のおじちゃんやおばちゃんと仲良くなる・・・なんていう身近な触れ合いもなくなるし。
デパートでも最近では、独自の仕入れをやめて、有名文具店をテナントに入れて任せているところが増えているらしい。それもいいけれど、文具特有のこまごました世界がどこも画一化していくのは、どこか寂しい。
あの昔のワクワク感・・・・恋しい。
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