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2006年10 月29日 (日)

教室に正義の旗を掲げよ

  標題の言葉は自分が毎日新聞社の教育担当デスクだったころ、文部省担当記者が書いた中学校の業者テスト追放キャンペーンにからむコラム「記者の目」の最後に筆者に頼んで付け加えてもらった言葉だ。1990年代当初まで受験産業が行ういわゆる業者テストが高校入試と深く結びつき、偏差値至上の教育となっていた。我が教育取材班は偏差値追放を掲げて業者テスト追放のキャンペーンを張り、文部省(当時)を動かして1993年、中学校から業者テストを一掃することに成功した。その結果がもたらしたこととその後の経緯の検証は自分なりに行わなくてはいけないと思っているが、昨今の高校での必修科目逃れ騒動を見ていると、その時自分が強く感じた「教室に正義の旗を」という思いを改めて思い出すのだ。
 当時は高校受験生が業者テストを受けてその成績と希望校の基準点を照らし合わせて進路決定の決め手としていた。一部の私立高校は業者テストの成績ではやばやと生徒の合否を決めるところもあった。また、成績を上げるために業者テスト問題を漏洩するようなことが当たり前のようにおこなわれていた。偏差値で生徒をスライスしていく偏差値偏重の教育もさることながら、先生がテスト問題を平気で漏洩して恥じない教室のモラル低下、生徒たちへの悪影響を自分は最も恐れた。業者テスト追放に対しては「きれいごと」との批判があるが、教育が「きれいごと」を無視しては成り立ちようがないではないかと思った。
 今回の必修逃れ事件は「きれいごとでは大学入試は戦えない」という学校現場の意識が共通にあるようだ。たとえウソにウソを上塗りする行為を重ねても、受験につながらない科目は教えない、というルール無視の行為だ。それが生徒を巻き込んで白昼堂々と行われているところが業者テスト問題と似ている。

 発端となった富山県立高岡南高校のケースは1通の投書で明るみに出たという。いったんこうなると生徒たちは学校側の不正に気づくわけで学校側は芋ずる式に白状するしかない状況に追い込まれた。それでもさして悪いことをしたとは思っていないのではないか。単に大学合格者の数を少し増やしたいがために教育が最も大切にすべきことを失っていることに気がつかない。現在は差し迫った卒業にむけてどう対策をとるかに目が奪われているが、落ち着いたところで少なくとも学校長の処分は可能な限りさかのぼって厳重に行うべきだ。たとえそれが何千人の処分になろうとも断行して、学校に正義の旗が立つところを生徒たちに目撃させなくてはいけない。「不正は通らない」ということを教え込むことが教育の根幹である。

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コメント

教育ニュースにトラックバックさせていただいたついでに。このコメントは公開していただかなくて結構です。
業者テスト追放の発端となった埼玉県の「北辰テスト」は、まだ残っています。というより、県内中学生の受験率は100%近くあります。
埼玉の場合、もともと中学校の内申書が信用されてなかったのに加えて、内申書が絶対評価に切り替わったため、高校側も判断材料とはしなくなったようです。
結果、業者テストの進路指導における比重が逆に重くなりました。
埼玉では、学校から業者テストを追放した結果、逆にみんな業者テストに頼るようになったという皮肉な結末になっているようです。

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