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2006年10 月 3日 (火)

遺書残し小6女児死亡;市教委は「いじめ」認めず

 北海道滝川市立小学校で昨年9月、小6女児がいじめを訴える遺書7通を残し教室で首をつり、今年1月に死亡した、と23日までに各紙が報じた。学校宛遺書には3年生で周囲に避けられるようになり6年生になって自殺を考えたと告白。5年生になって人から「キモイ」と言われてとてもつらくなったことなどが書かれていた。6年生全員宛の遺書には「私がいなくなってほっとしたでしょう」「みんなは私のことがきらいでしたか?」などと書かれていた。

  これまでの滝川市教委の調べでは、自殺の10日前にあった修学旅行の部屋割りを決める際、女児がどのグループに入るか3度にわたり話し合いがあったことなどが分かっている。しかし、市教委側は「原因は現時点で特定できない」として「いじめ」の存在を事実上認めず、「いじめは明らか」とする遺族側と対立している。

 <谷口のコメント>
◎明らかに「いじめ自殺」だ◎
 一時期、新聞社教育取材班の一員として全国の子どもの自殺事件ばかりを追っていた時期があった。そのときに取材した小学5年生の自殺を巡り大阪府警の刑事から聞いた言葉が忘れられない。「色と欲…大人はこの世に未練が多いから動機が割り出しやすいが、子どもはきっぱりと死ぬから捜査が難しいよ」。

  小学生で7通もの遺書を残すのは異例だ。女児の恨みの深さは察するに余りある。まさに「死の抗議」と言うほかない。「私の周りだけ人がいない」と女児の遺書は叫んでいる。修学旅行の部屋割り事件などを考え合わせれば女児が集団的シカト(無視)に遭っていたことは間違いないだろう。今で言うネグレクトもきつい「いじめ」だが、具体的な「犯人」は特定しにくい。いわば「透明ないじめ」である。市教委はここを理解して原因究明を進めなくてはためになる結果を残せないだろう。
 取材経験では、担任が事態の把握力、収拾力に劣る場合に最悪のケースが起きがちだ。このあたりもポイントだ。

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