« 政権構想に教育改革;麻生氏 | メイン | 注目集める教育バウチャー制度;安倍氏政権構想 »

2006年8 月21日 (月)

応援団ジャーナリズム

 このところどの新聞も地方版は甲子園野球に占拠される日が続いた。特に引き分け決勝戦を伝える21日都内版はほとんどを早実対駒大苫小牧の決勝戦記事で埋め尽くしている。昔から春と夏の高校野球シーズンの集中豪雨的報道は読者のひんしゅくを買ってきたのだが、いっこうに改まりそうにない。野球に興味のない人から見れば実に腹立たしいに違いない。どの地域にも、もっと目を向けなくてはいけない問題がたくさんあるだろうに、それらのニュースは弾き飛ばされている。

おまけにどこの新聞も都内版には駒大苫小牧の話しはほとんど出てこない。見事に早実一辺倒紙面なのだ。地域対抗のスポーツ大会を伝える時の地域面は特有の応援団ジャーナリズムで彩られる。不偏不党、公正中立を求められる新聞記者にとって、一方の当事者に完全に肩入れして報道する機会は限られた場面しかない。経験者として正直に言うと、特に高校野球報道で顕著なこの応援団ジャーナリズムは記者個人のストレス解消にもなっている。「お姉さんは君たちのことを忘れないよ」という文句で敗退の県版リードを書き起こした女性記者がいたけれどもちゃんと紙面になった。読者には何の関係もない迷惑な思い入れに過ぎないのに、である。

まあ身勝手な応援団ジャーナリズムではあるけれど、新聞記者も血潮をたぎらして熱く語りかける機会をもっと持ったほうがいいのではないかと最近思う。若い記者の沸点が高い、つまりなかなか燃えないというのがマスコミ共通の嘆きとも聞く。強気をくじき弱きを助けるのはジャーナリズムの本道だが、弱い立場の人たちへの激しい思いいれがないと破邪顕正、勧善懲悪の筆は振るえない。

とはいえ、各紙地域版とも愚にもつかない雑感記事が多すぎる。その中で毎日東京版の「178球を投げ抜いた時、斉藤投手の母しづ子さん(46)は泣いていた」で書き起こしたメーン記事は良かった。甲子園球場全体が歴史に残る試合だと賞賛の声を送る中で「母はただ泣き続けた」で締めくくったわずか20行の記事だが、高校球児と母という1つの世界を鮮烈に切り取った秀作だ。応援団ジャーナリズムも読者にまるで感動を呼び起こさないのでは新聞にプリントする価値はない。明日の22日朝刊都内版も早実優勝記事で埋まるのだろうが、読むに値する記事がどれほどあるだろうか。

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
https://www.typepad.com/services/trackback/6a0128759be2a2970c0128759be39f970c

Listed below are links to weblogs that reference 応援団ジャーナリズム:

コメント

この記事へのコメントは終了しました。