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2006年7 月 6日 (木)

  もう30年ほども昔のことだが、新聞の東京版に「空」というタイトルで連載を15本ほど書いたことがあった。東京の街から見た空の心象風景を綴る企画で、1本目は詩人で彫刻家の高村光太郎の詩集「智恵子抄」がモチーフ。「東京には本当の空はない」という智恵子の言葉の情景を追った。

 何本目かに取り上げたのが「防空の思想」。第二次世界大戦でも日本の防空策はドイツのそれに比べて貧者だった。島国ニッポンの現実である。別に防衛論を展開するつもりはなかったが、まだ六本木にあった防衛庁にも取材に訪れた。軍拡路線を行きながらもあいも変わらず頭上の危機意識に薄い防衛の現実からニッポン人論を展開する意図があった。

 応対に出てきた空幕(航空幕僚本部)広報の室員は若い社会部記者をうさんくさげに眺めた。室員と言っても佐官クラスだったと記憶している。新聞記者といえば自衛隊の敵だと思い込んでいる節の応対だったが、やりとりは熱を帯びたものになった。「もし仮に、東京の上空からまっさかさまにミサイルが落ちてきたとして防御の手立てはありますか?」「うーん、残念ながらありませんな」。当時はまだミサイル防衛構想は形がなかった。

 兵器専門家というか兵器オタクたちが軍事評論家の名前で昨日今日とテレビ、新聞に出ずっぱりだ。兵器オタクが活躍すればするほど世間はきな臭い方向に進むように思えるが、彼等の解説を聞いていてあの佐官がウインウしながら楽しそうに言った言葉を思い出した。「外国から視察に来た各国の武官たちが言うんだね。地下鉄構内を見て。日本もなんのかんの言いながらちゃんと準備してるじゃないのって」。そういえば都心の地下鉄はずいぶん深い。

 北が2発目のテポドンを準備しているという。東京に照準を合わせたとしてミサイル防衛網をかいくぐったら着弾までどれほどだろう。都営三田線志村坂上まで小走りで15分か・・・。そんなことをリアルに考えた日だった。

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