« 不登校生徒のための私立中学認可 | メイン | 空 »

2006年7 月 4日 (火)

命で償うしかないのでは?;ヤギ被告

  久しぶりに鈍感な裁判官に腹が立った。広島の小学1年女児殺害事件の広島地裁判決。  
下校中の小学1年、木下あいりさん(当時7)に性的暴行を加えて殺害した事実や確定的な殺意があったことは認めながら、「被害者は1人であり、計画性はなく、前科も立証されていない」などを理由に死刑の適用を避け、無期懲役を言い渡した。多分、この裁判官は死刑廃止論者だろう。判決の文面からは、何やかや理由をつけながら、死刑適用を避ける筋立てに腐心しているのがありありだ。

自分としては死刑廃止論には十分な関心を払っているつもりで死刑宣告には戸惑う気持ちがある。しかし、今回だけはどうにも納得がいかない。被害者が1人の殺人事件では、身代金目的の誘拐など極め付きの凶悪犯罪でない限り死刑適用が避けられる傾向にあるのは承知しているが、この事件はその極め付きの凶悪犯罪以外の何ものでもない。あいりちゃんの父親が「あいりは(身も心も)2度殺された」と語っている通りではないか。

判決は83年の最高裁判決が示した死刑選択基準に照らし合わせて検討したと言うが、事件の態様はあくまで個々のものだ。一律の基準がそう簡単に当てはまろうはずもない。そして思うのは社会の可罰意識への配慮が必要ではないかということだ。目には目を、の応報刑主義に陥ることは避けなくてはいけないが、今回の事件について国民のかなり多くの人たちは「死刑で当然」と思っているのではないだろうか。大衆の可罰意識とかけ離れた量刑は社会に百害あって一利なしだ。

子どもの安全を脅かす事件が頻発する中、一般予防・社会防衛的な見地からも「従来の判例をあてはめず厳罰をもって臨むべきだ」として極刑を求刑した検察の判断を支持したい。

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
https://www.typepad.com/services/trackback/6a0128759be2a2970c0120a699f4a7970b

Listed below are links to weblogs that reference 命で償うしかないのでは?;ヤギ被告:

コメント

この記事へのコメントは終了しました。