不完全燃焼のサッカー
新任の体育教師は大学を出たばかりの熱血先生だった。ある日、先生はこう言った。「サッカーチームを作りたいんだ。生徒会長のお前が加わってくれれば学校側も認めてくれる」。そして申し訳のように付け加えた。「お前はマラソンも早いし」。いかにもスポーツマン風のさわやかな先生の政治的な根回しに戸惑いながらも、兄貴のような先生が好きだったから即座にメンバーに加わった。県内の中学では先生の友達がいるもう1つの中学校でもサッカー部ができるということだった。
サッカー部が発足したのは中3の6月末。真夏の太陽の下で毎日泥まみれの練習をした。最初のポジションはライトウイング。今はもうこういう言い方はしないらしいがフォワードの一番右端にいて、キックオフしたらサイドライン沿いに一目散に敵陣に攻め入る。そして球をキャッチしたら具合よくセンタリングするか、右サイドからのシュートを放つ。
ところがどうも状況判断が悪いらしくてセンタリングが下手。それでハーフバックに回され、秋に最初の対抗戦が開かれるときのメンバー発表ではフルバックだった。多くの選手が右往左往しているように見えてあれでなかなかシュートするにはセンスが物を言う世界なのである。それでもレギュラーから外れなかったのは部発足の恩義を先生が感じていたからか。
対抗戦の前夜、祖父が亡くなり結局試合は出られなかった。そのまま高校受験に備えて3年生は引退。わずか4ヶ月ほどのサッカー生活は終わった。1960年、北陸の田舎の中学校での話だが、いまだにサッカーというと不完全燃焼感が強くてW杯も騒ぐ気になれない。
サッカー部が発足したのは中3の6月末。真夏の太陽の下で毎日泥まみれの練習をした。最初のポジションはライトウイング。今はもうこういう言い方はしないらしいがフォワードの一番右端にいて、キックオフしたらサイドライン沿いに一目散に敵陣に攻め入る。そして球をキャッチしたら具合よくセンタリングするか、右サイドからのシュートを放つ。
ところがどうも状況判断が悪いらしくてセンタリングが下手。それでハーフバックに回され、秋に最初の対抗戦が開かれるときのメンバー発表ではフルバックだった。多くの選手が右往左往しているように見えてあれでなかなかシュートするにはセンスが物を言う世界なのである。それでもレギュラーから外れなかったのは部発足の恩義を先生が感じていたからか。
対抗戦の前夜、祖父が亡くなり結局試合は出られなかった。そのまま高校受験に備えて3年生は引退。わずか4ヶ月ほどのサッカー生活は終わった。1960年、北陸の田舎の中学校での話だが、いまだにサッカーというと不完全燃焼感が強くてW杯も騒ぐ気になれない。
コメント