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2006年5 月25日 (木)

新聞教育の鬼

 JR上野駅中央改札前で午後5時に待ち合わせた。地べたのホーム、大鉄傘の広場がつくりだすこの空間は上野駅独特のものだ。数年ぶりに会った横山健次郎氏(68)はますます元気な様子だった。東北人の雰囲気をいまだに失わない彼に上野駅は良く似合う。

 元台東区立台東中学校長。新聞教育に熱心な教師の団体、全国新聞教育研究協議会(全新研)の会長を務めた。全新研と毎日新聞は日本で最も古く最も大規模な学校新聞コンクールを共催しているので一緒に仕事をし、またよく飲んだ。今日も駅前の居酒屋で痛飲する。

 日本新聞協会の機関誌「新聞研究」5月号の拙稿のコピーを彼に渡す。同誌編集部から頼まれて「十代読者への新たなアプローチの考察―-毎日中学生新聞から学ぶもの」という小論文を書いた。毎日中学生新聞はこの3月末、休刊となり56年の歴史を閉じた。わが国で唯一の中学生向け日刊新聞だった。それがなぜ休刊に追い込まれたかを歴史的、社会的な側面から分析したものだ。その作品に横山氏を登場させたのでその事後報告である。

 全新研活動の先細りと毎中の休刊の背景は同じだ。活字文化の衰退である。中学校の英語教師だった横山氏は小論のコピーを目で追いながら案の定こう叫んだ。「だいたい小学校から英語を必須化しようとする最近の文教政策はおかしい。まずは国語だ。がんがん国語を教えなくては日本はだめになるぞ」。

 拙稿で彼は<教育行政の迷走 そして毎中の消滅>の項に登場する。98年の新学習指導要領で「総合的な学習の時間」が登場したとき、全新研会長だった横山氏は興奮気味に語ったものだ。「久々の文部省の快挙ではありませんか」。生徒が自分の頭で考え、判断する「生きる力」の育成を目標にした総合的な学習は新聞教育が目指すものと同じだったからである。しかし昨今の学力低下批判に押されて総合的な学習の時間を見直す動きが強まっている。なんでも行政のせいにする気はさらさらないが、腰の据わらない教育行政は批判されて当然ではないか。

 「東京新聞NIEコーディネーター」と刷り込まれた彼の名刺の裏側には「出前授業いたします」と刷り込まれている。新聞を活用するNIE授業をあちこち出かけてやっているらしい。「80歳までは現場にかかわっていたい」と、新聞教育の鬼は相変わらずのピッチで冷酒をあおった。

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