日本語特区で考える人をつくろう
東京都世田谷区の「日本語特区」がいよいよ動き出すそうだ。そういえばだいぶ前にニュースで読んだが、すっかり忘れていた。飛鳥山(北区王子)の夜桜を楽しむはずの会があいにくの氷雨で居酒屋での飲み会に。仲間の1人が世田谷区立中の先生だったのでその話題で盛り上がった。
その先生の説明によると、授業は正式に「日本語」という学科として中学では週2時間行う。小学校は1時間だ。小泉政権時に始まった経済特区の1つ「教育特区」には書道特区、英語特区などがあるが「日本語特区は世田谷だけという。「深く考える児童生徒の育成」「自分の考えを表現する力やコミュニケーション能力の育成」「伝統文化の理解、尊重」が目的だとか。
なかなか面白い試みだが、教える中身を聞いてさらに興味を持った。内容は文章表現、哲学、古典が3本柱という。特に哲学をやり論語を読むというところではひざを打った。実は自分自身も近く始める書写団体での「文章表現講座」で哲学を語り、論語の素読をやらせようかと考えていたからだ。
デカンショ節という学生歌がある。「デカンショ デカンショで 半年過ごす あとの半年やぁ 寝て暮らす ~」。デカンショの意味には諸説あるが定説はデカルト カント ショーペンハワー という哲学者たちの名前の頭文字をつないだものだという。昔の学生たちは分からないなりに難しい哲学書を何度も何度も読んだ。それは自然に物を考える素養になったに違いない。
書写団体での講座は小学校3年から成人まで受講生の幅が広くてやりずらいのだが、せめてデカルトの「我思う ゆえに 我あり」ぐらいはやってみようかと世田谷特区の話を聞いて改めて思った。今の教育に最も欠けているのは「心の教育」である。それも道徳授業のように徳目を並べ挙げるのではなく自分で古典を読み、あるいは哲学書をひも解いて考えさせる教育だ。
日本語による心の教育を自分の講座でも実践しながら、世田谷特区のフォロー取材を続けていきたいと思う。
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