公園の遊具と少子化
昨年、近所の公園が半年かけて大改修された。結果、多くの遊具が消えた。
ここは私が子どもの頃によく遊んだ公園でもあり、これまで遊具は30年前のままだった。たしかに古かった。でもなかなかユニークな遊具があった。ブランコ、砂場、すべり台、ジャングルジム、シーソー、鉄棒の定番遊具のほかに、ジャングルジムもどきの変わった遊具がいくつかあった。
球状で軸を中心に回転する「回転ジム」、格子状につながったチェーンをつたって高いところへ登る「チェーンジム」。また、この公園は斜面にあるため2段に分かれているのだが、1段目から2段目にかけて連なったループを伝う「ループジム」、M字型に波打った「M字ジム」。
子どものときは、正直言って、ループジムやM字ジムは相当怖かった。M字ジムは高いところで3メートル近くはあっただろう。まさに鉄の棒を握る手に汗をかき、片手ずつ慎重にその汗をシャツでふいたりした。征服したときは本当にうれしかったし、年上の子が自分よりスイスイやっているのがうらやましかったりした。そして自分も体が大きくなるごとに、ちょっとずつ楽に登れるようになったのが分かるのもうれしかった。チェーンジムは何人かで同時に登ると、お互いにチェーンがゆれて登りにくく、それがまた面白かった。球状ジムは、一人がジムに乗って、別の人がジムをつかんで力いっぱい走って回すのが面白かった。大人数でやるともっと面白かった。
しかし、今回の改修で、この特殊ジムたちはすべて撤去されてしまった。鉄棒とシーソーまでもなくなってしまった。ブランコ、砂場、すべり台(といっても塗料が塗ってあって滑らない・・・)、小ぶりのジャングルジム、ばねでビョンビョンと前後にゆれるお馬さん(幼児向け)・・・・・だだっ広い公園に、これだけになってしまった。「安全」を最優先したのだろう。チャレンジ系の怪我しそうなものは無くなった。
しかし、これって・・・・どうなの????
遊具って、子どもにとっては「すぐそこにある山」だと思う。
チャレンジする勇気を振り絞ったり、征服できたときの喜びは本当に大きい。自信もつく。普段の生活では使わない体の動きが必要だし、動きながらも危険回避を一生懸命考えたりしながら頭の体操もしている。自分なりの面白い遊び方を発見する創造の場でもある。危険な遊び方をしたりもするけれど。
先月、あるテレビ番組で、自治体で公園の遊具の撤収が進むことについて、「安全面」「管理できる人がいなくなった」「事故があったときの責任回避」と理由が挙げられていた。どれもわかるけれど、大人中心の保身に逃げているだけに思えてならない。子どもたちの楽しみをできるだけ奪わないよう、まずは大人にできることがあるかを考えてみてくれているだろうか?
そのテレビ番組では、子どもの挑戦欲をかきたてながらも大怪我する危険をできるだけ減らした遊具を開発する研究者の姿を追っていた。こうした動きが広がってくれると、親としては本当にうれしい。
子どもの体力が落ちたとか、集中力が落ちているとか、子どもの肉体・精神両面での弱体化傾向が言われるけれど、公園問題に限らず、大人が作るこの社会、文化に問題があることは言い逃れようがない。
都市部じゃ原っぱがなくなってしまったのだから、せめて、子どもが集まりたくなるような公園作りも大切じゃないだろうか。
たかだが遊び、されど遊び――肉体的にも精神的にも、遊びで体得するものの大きさは、親として日々実感している。
かくいう私も、タラコができるまで、そんな目で公園や町について考えたことなどなかったのである。しかし、少子化が進むと、街づくり一つ取っても、子どもの目線を理解する大人が減るだろう。「子どものため」といいつつ、実は大人の都合だったり。
何から手をつけたらいいのかわからない少子化問題。とりあえず出生率を上げようと、補助金や働き方の問題がクローズアップされる。しかし、今生きている子どもたちが元気に生きられる環境を作ることがまずは大切なんだろうと私は思う。
子どもたちが心も体も元気に育たなければ、子どもの数が増えただけでは社会に活力がみなぎるとは思えない。それには、街づくりだって長期的に少子化問題と関わる大切な視点なんだ!――などと、2歳のタラコでも登っていく小さなジャングルジムを見上げて、ため息をつく・・・・・・。
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