教委への「国の関与」で迷走;中教審答申
中教審は10日、安倍首相が今国会への提出を予定している教育関連3法(学校教育法、地方教育行政方、教員免許法)改正案について答申した。この中で地方教育行政法(地教行法)改正案に盛り込まれる「国の地教委への指示」については、生命や身体の保護のため緊急の必要があるときや憲法が保障する教育を受ける権利が侵害されるなど極めて限定された場合に限り必要とする意見が多数を占めた。また、地方分権に逆行している、など強い反対意見が出された。答申はこの両論を併記する異例の形となった。都道府県教育長人事について国に承認権を与える改正案と私立学校への教委の指導を認める改正案については導入を否定した。教員免許に10年の有効期限を設けるなど他の改正案は了承した。
◎もっと根本からの教育委員会論議を◎
審議会は行政の言いなりの結論を出す隠れ蓑ぐらいにしか見ていない人が多いが、今回の中教審の迷走はさすがに行政側の要求が目茶苦茶だったということだろう。今国会に教育3法改正案を提出、というスケジュールが先にあって「1ヶ月で審議を」というのではあまりに中教審を舐め切っている。今回の安倍教育改革が持つ政治パフォーマンス優先という問題点が際立ったと言えるだろう。
改正内容でも、「国による教育委員会への是正勧告・指示権」「国による都道府県教育長の任命承認権」導入を目論む地方教育行政法改正は教育委員会という戦後教育の原点にからむ部分だ。戦後レジーム(制度)の見直しを掲げる安倍政権にとって十分に議論を尽くすべきテーマではないか。しかも、これらの中央集権手法はわずか7年前、00年の地方分権一括法で廃止されたばかりだ。これまたスピード審議の教育再生会議の尻馬に乗って一度失った権限を取り戻そうとした文科省も拙劣だとしか言いようがない。
それにしても、教育委員会という制度は国民の間に根付いていない。かつて教育委員は公選制だったが1955年の地方教育行政法改正で公選制は廃止され、首長が議会の承認を得て任命するやり方になった(06年12月26日、当ブログ「ある特ダネの思い出」参照)。教育委員というものは住民が選挙で選ぶ、という考え方があるほど重要な仕事だ。それをあまりに形ばかりの存在にしてきた教育委員会そのもの、行政の責任は重い。公選制がベストとは思わないが、いずれにしろ教育委員会の活性化はもっと根本から論議するべきテーマではないだろうか。
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