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2006年12 月18日 (月)

愛国心教育の大きな転換点だ;教育基本法改正

  良くも悪くも盛り上がりを欠いたまま、59年ぶりに教育基本法が15日、改正された。国会審議の最中にも「しょせん理念法だから」「どうせ何も変わりはしないさ」という声が聞かれたが、それは間違っている。今回の基本法改正により、日本の教育が大きく舵を切っていくことは明らかだ。改正の最大の効果は教育行政の中央集権化が進むことではなかろうか。改正法が掲げた教育目標は「愛国心」項目などいずれも個別には正しく、美しいものばかりだ。日本の文字文化振興を目指す一人として伝統文化の尊重はもろ手を挙げて賛成したい。しかし、中央集権構造に乗って徳目が強制的に教育現場に注入されるとき、教育勅語が支配した戦前日本の過ちを繰り返さないとは限らない危険性をはらんでいる。しっかりと教育行政を監視し、間違った方向に行くことがないよう、世論を広く興していかなくてはならない。

改正の最大のポイント旧法では第10条に置かれていた「教育行政」の項目である。改正法16条は旧法の「教育は不当な支配に服することなく」との文言は残しながら「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり」を追加したうえで「教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなくてはならない」と、国と地方の関係を規定した。
つまり、法が定めるところに従って指導的な立場にある国が打ち出した方向は守られねばならない、という中央集権の考え方が色濃い改正である。旧法が不当な支配者にもなりうる存在として想定していた国は、法定という錦の御旗の下、常に正しき支配者になってしまう恐れがある。

一方、改正法が新しく列挙した「教育の目標」(第2条)の5項目はいずれも大事なことである。「愛国心」論争で注目された第5項目の「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」についても異論がある人はそう多くはないだろう。ただ、旧基本法が第1条(教育の目的)で「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび…」と個人を強調したのは、“愛国心”が一人歩きして軍国主義に利用された苦い経験からではなかったか。国会審議でも、あるいは各方面の論調でも「愛国心は基本法に書いたからと言って養われるものではない」という主張が見られたがまさにその通りだ。だからこそ敢えて法を改正してまで盛り込む危険を犯す必要はさらさらなかった。

安倍首相の視線の先に憲法9条の改正があることを考えれば、やはり愛国心教育のあり方こそが今後の最大のテーマであると言わざるを得ない。

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