小学生に聞かせる落語
関係する団体が11月に恒例の「仲間の集い」を新宿の京王プラザホテル開くが、アトラクションに今年は「落語」をやることになった。そこで同じ町内(東京都北区浮間3丁目)に住む真打、三遊亭小円朝さん(37)に登場を願うことになり、近くの喫茶店「ザ・マッカラン」で彼と打ち合わせをした。(小円朝さんについては8月24日の「記者日記」に詳しい)。
集いの参加者250人のうち約50人は子どもであることや、我々が「落語による教育再生」を目指していることから演目は子ども中心に決めることにした。数年前にブレイクした「寿限無」を候補に挙げるなど話しているうちに、突然、小円朝さんが聞いた。「対象をどのへんに置けばいいの? 小学生でも3年を境に上と下では別なんだよね。3年以下だと言葉遊びみたいなものでいいけれど、3年以上だとそれではもの足りないんだよ」。
さすがプロだと思いながら、新聞社のジュニア紙部門にいたころに出会った光景を思い出した。それは「お金の作文コンクール」という日銀さんと一緒にやっている小・中学生の金銭モラルを育成するための作文コンクールの審査のときだった。自分が担当するようになって、現場の感覚を取り入れようとそれまである研究所に依頼していた一次審査を学校の先生方にお願いすることにした。国語教育のベテランを集めたのだが、審査会場である小学校担当の中年女性教諭が突然言い出した。「こんな作文コンクールの審査なんてやってられない。1年生と6年生を同じ土俵で審査するなんて乱暴よ」。
10人近い審査員がいる会場は水を打ったように静かになった。ほとんどは校長先生で思ってはいても口にはされなかったのだろう、同感の雰囲気がうかがえる。責任者として自分は「ご意見、しごくもっともですが、公募も済んだいまさら仕組みを変えることもならず、曲げてご審査を」とひたすらお願いしたのだった。なぜ、「ご意見しごくもっとも」なのか。それは自分たちが「小学生新聞」という日刊紙を作りながら日々感じていることだったからだ。当時は小学生新聞の下に小2以下から園児までを対象にした「こどもしんぶん」(週刊)を発行していた。ところが少子化などの影響で経営が成り立たず「こどもしんぶん」を廃刊したばかり。1,2年生向けコンテンツを従来の小学生新聞に上乗せすることの無理は身に染みていたからだった。
翌年も仕組みを変えるに至らなかったし、コストを考えるとコンクールの仕組みは現在も変わっていないと思うが、その女性教諭の言ったことは間違いなく正しいし、小学校教育を考える場合の大事なポイントだと今も思っている。
コストに関連して言えば、先生方の審査は遅くてはかどらない。数万点を審査するので新聞社の編集委員クラスも審査に使ったがこっちは早い。書き出しの数行を見て判断するからだ。ところが先生方は規定の400字詰め2枚まできっちり読んでしまう。「でもね。子どもの原稿って後から面白くなることが多いんだよね」と多くの先生がおっしゃった。教育とは時間とカネがかかるものだと実感したのだった。
ところで「仲間の集い」落語の2題目。「小学校高学年のためにもがちがちの古典でやってよ」と言ったら小円朝さんは「2題目は当日のお客の反応を見て決めます」とのたもうた。いや、プロですなあ。
小1と小6の男の子の父親です。
小園朝師匠のコメントで
「小学生でも3年を境に上と下では別なんだよね。3年以下だと言葉遊びみたいなものでいいけれど、3年以上だとそれではもの足りないんだよ」
とありますが、全く同感です。
先日小6の息子に寿限無を言える。と聞いたら、一字一句正確に言いました。
で、どういう話なの?と聞くと
・・・・・?
という反応でした。
それを見ていた小1の息子が「お兄ちゃんすごい」と絶賛していました。
寿限無の話を子どもたちが聞いて、小1の息子は本物を聞いて言葉遊びができて、小6の息子は「俺の知っている寿限無はこう言う話なんだ」と理解を深めることが出来るのかなあ。と思います。
今の小学校高学年の子どもたちが寿限無を知ったのはNHK教育テレビ「日本語で遊ぼう」の番組です。NHKはその子たちに「寿限無は古典落語でこんな話だよ」と発信したら、その子たちは「そ~なんだ!!」て思うことでしょう。
投稿情報: jugemu1188 | 2006/10/12 23:19:46