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2006年9 月22日 (金)

 都教委に違憲判決;日の丸・君が代強制

各紙22日朝刊が1面トップで報じたところによると、東京地裁は21日、卒業式や入学式などで日の丸に向かって起立し、君が代を斉唱するように義務付けた都教委通達は違憲・違法だとする判決を出した。都立学校の教員らが義務のないことの確認などを求めて訴えていた。判決はまず君が代・日の丸が軍国主義を支えたのは歴史の事実であり、今も国民全員に等しく受け入れられているわけではないとの認識を示し「宗教的、政治的にみて中立的価値のものとは認められない」と断定した。だから、斉唱と掲揚について通達でこと細かく定めて、教職員が従わないと処分するやり口は「不当な教育支配」に当り(教育基本法10条違)、思想・良心の自由を保障する憲法に反する、と断じた。これに対して読売社説は判決の主要部分での認識全てに疑問を呈して反対の論陣を張り、朝日社説は高く評価するとの姿勢を明確にした。

<谷口のコメント>

◎教育現場を不毛の対立に陥らせるな◎

 石原都政になってから始まった都教委の恐怖行政は明らかにやりすぎだった。問題が日の丸・君が代という極めてナイーブなテーマであるだけに、教師の内心の自由を無視して「クビにするぞ」と脅しをかけ続けるやり口はあまりに野蛮だ。その意味で東京地裁判決は常識的なことを言っているに過ぎない。ただ、一番の対立点として残るのが日の丸・君が代に対する評価の違いだろう。読売社説は「各種世論調査を見ても、すでに国民の間に定着し、大多数の支持を得ている」と言うが、歴史観や価値観は多数決で決まるものではあるまい。しかも、教育はすぐれて心にかかわる営みだ。

危険なのは歴史観・価値観の対立がイデオロギー対立の色彩を帯び、両派勢力の争いに転化することだ。教育現場は長い間この争いで乱されてきた。都教委の強硬姿勢の裏にもこの対立の陰が濃厚だ。臨時国会の焦点となる教育基本法改正論議でもこの部分がクローズアップされるだろう。しかし、もう教育現場に左右対立を持ち込む時代ではあるまい。国旗・国歌に対する共通の新しい国民感情の広まり、深まりに向けて、教育現場が勇気ある取り組みを展開できる静かな環境作りのきっかけにこの判決が生かされればいいのだが。

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