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2006年8 月16日 (水)

軟派

  近くの団地の中を貫通する桜並木を散歩したら、すごいセミ時雨だった。行く夏を惜しむかのようなセミの大合唱はどこか物悲しい。セミの寿命は7年だから大量発生は7年周期で繰り返すという。そういえば、21年前の夏にもすごいセミ時雨を聞いた。

 1985年8月15日。当時、社会部国会担当だった自分は朝から靖国神社に詰めていた。中曽根康弘首相が戦後の歴代首相として初めて公式参拝に踏み切ることが決まっていた。異様な緊張に包まれた境内を太陽がじりじりと焼く。不測の事態を警戒しながら参道を埋め尽くした人波をぬって歩いていたら、くらっと目まいがした。3日前の日航機墜落事故以来まともに眠っていない。あっ、と振り仰いだときの空の青さと滝のように落ちてきたセミの声が今も脳裏に鮮烈だ。

 ガリ、ガリ。道路から入ってきた黒塗りの車が直角に曲がって第二鳥居をくぐり、参道の玉砂利を噛みながら10メートル近く走って止まった。長身の首相が降り立ち、大股で拝殿へ向かう。ここから歩くだろうと第ニ鳥居の前で待機していた我々はあわてて中曽根さんを追おうとしたがSPに阻止され、参道は行けない。参道脇の人垣をかきわけ拝殿に着いたときには背広の背中が汗でぐっしょりと濡れていた。

 「やりやがったな」。突撃インタビューをすかされた悔しさと同時に「英霊に対して失礼じゃないか」と怒りを感じたのをはっきりと覚えている。誰であろうと下馬をして拝殿に進むのが当然の儀礼ではないか。それを警備上の都合を理由に不遜な乗り入れを敢行したことに靖国公式参拝が慰霊とは無縁の単なる政治パフォーマンスに過ぎないことを感じ取った…そんな気分だった。

 紙面は日航機墜落事故の続報があふれていたので、公式参拝関連の社会面は靖国軟派一本で行くことになった。新聞記事には硬派と軟派という呼び方がある。政治・経済面を硬派、社会面を軟派と総称するのが広義の使い方。それと別に出来事の筋をまとめて書くのが硬派原稿、あるいは本記と呼び、現場を踏まえ情感も含めて綴る記事を軟派、あるいは受けと呼ぶ狭義の使い方がある。狭義の軟派は記者の寄って立つ位置、つまりスタンスや感性が決め手とされ、社会部記者は一人前の軟派を書きたいと常に思っているものだ。

原稿を書き終わった夕方、新聞社からほど近い靖国神社にもう一度行ってみた。手を合わせて首相を拝む老婆、警官に厳しく包囲されながら「参拝反対」を叫んでいたキリスト教団体。そんな昼間の喧騒はうそのような境内で、もう夕暮れだというのにセミがこれが最期だとばかりに張り裂けるような声で鳴いていた。「英霊に失礼だなんてどうして感じたのかなあ」。ふだん靖国には全く関心がなかった自分の思ってもみなかった心の動きを振り返ったがよく分からなかった。

「ちょっと手を入れさせてもらうけれど特に問い合わせはないよ」。デスクの許可を得てそのまま帰宅し、翌朝新聞を見て驚いた。原稿の思い入れ部分はことごとく削られて、ただの見た目を綴っただけの記事になっていた。こういうのを雑感記事という。悪く考えればデスクの思いと同調する原稿ではなかったのだろうが、スタンスが揺れ、感情が先走っていたのだろうと反省することにした。

この夏、靖国論議がひときわかまびすしい。15日には小泉さんも参拝した。新聞によると「昨年10月は第二鳥居の外側で車を降り、一般の参拝者と同様に拝殿で参拝したが、今回は到着殿に車で乗り付けた」(朝日15日夕刊社会面)という。警備上極めてノーマルなスタイルを取ったのだろう。小泉さんの動きと表情を追った朝日社会面がもっともいわゆる軟派に近いが、考え方は人々の談話に託す形を取っている。現場に立つ記者1人の思いで切るには荷が重すぎたのだろう。おびただしい「英霊」の存在は日本人にとって一刀両断できない極めて重い存在なのだ。また、そうあらねばならない。

 あの日のセミ時雨が英霊たちの慟哭に聞こえた感覚を今も覚えている。

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コメント

文章(記事)読んで鳥肌が立ちました。これぞ軟派記事の極みと思います。激して書いているようですが、ベテラン記者のしたたかな感情表現に芸を感じ、自由に書ける喜びすら感じます。色(空の青)、音(セミの声)、熱(暑さ)、臭(神社の杜)、それに英霊の第六感と、体中の琴線が共鳴して震えました。文中の「ガリ、ガリ。玉砂利を激しく噛んで」での擬音はイメージが浮かんできました。

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