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2007年3 月28日 (水)

いじめでうつ病に、そして自殺;東京高裁判決

 いじめが自殺の一因だが、生徒がいじめでうつ病になり自殺するとまで学校側が予測することはできなかったーー東京高裁で28日、このようないじめ自殺事件判決があった。自殺した生徒の両親は判決を不満として上告する方針で「教育者はもっと子どもの目線でものごとをみるべきではないか」と訴えている(各紙28日夕刊1面)。
いじめを受けて1999年11月に自殺したのは栃木県鹿沼市立北犬飼中学校3年、臼井丈人君(当時15歳)。判決によると、臼井君は99年4月以降、同級生の男子2人から「プロレスごっこ」と称して暴行を受けたり、教室でズボンや下着を脱がされたりするなどのいじめを受けた。11月には不登校となり、同月26日、自宅で首つり自殺しているのが見つかった。
判決は「不登校になった99年11月までに、長期にわたるいじめを誘因としてうつ病にかかって、自殺した」とし、いじめがうつ病を引き起こして自殺に至った因果関係を認定した。さらに、同級生の暴行だけでなく、暴行を阻止せず放置した級友の態度についても、「それ自体がいじめとして自殺の一つの原因となった」と指摘した。しかし、学校側の責任について、判決は「教員らは加害生徒をいさめ、傍観した生徒も含めいじめを解消する行動を促すなどの注意義務を負う」とした上で、臼井君がほぼ毎日のようにいじめを受けていた3年の1学期中については、「教員らは加害生徒に対する指導もしっ責もせず、いじめ阻止の措置を講じなかった安全配慮義務違反があった」と判断。しかし、その後の自殺に対する責任については、「いじめが原因でうつ病にかかり自殺に至るのが通常起こることとは言い難く、教員らはうつ病までは予測できなかった」と、学校側の安全配慮義務違反を認めなかった。
この判断から裁判長は賠償額を1100万円と認定し、和解で遺族が受取った240万円を差し引いた860万円の賠償を栃木県などに命じた。一審判決はいじめから自殺まで5ヶ月以上経っていたことを理由にいじめと自殺の因果関係を否定したが、高裁判決はうつ病への罹患を認めることでこの期間の溝を埋める形となった。原告側代理人によると、いじめでうつ病にかかった結果、自殺したと認めた司法判断は初めて(読売)という。
<谷口のコメント>
 ◎いじめ放置は自殺に至ること、肝にめいじて◎
 判決の言う「安全配慮義務違反」というものの中身がよく分からない。判決はこれを2段階に使っているようだ。いじめ防止についての安全配慮義務違反はあったが、自殺については義務違反とまでは言えない、と。
これまでいじめから自殺まで時間が経過した場合はその因果関係が認められなかっただけに一歩進んだ判決と言えるが、これでは先生に甘すぎないか。たぶん、一足飛びに判例を変えるのを避けたかったのだろうが、いじめを受けて孤立した子どもがうつになって自殺に走ることは十分ありうることではないのだろうか。と言うか、自殺とはそういうものだろう。
先生という仕事はまことにしんどいものだと思う。しかし、いじめ放置は自殺に至る、ということを先生方は早く肝にめいずるべきだ。

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コメント

「いじめ/教育/実態」それらで検索し、このサイトにお邪魔しています。当方、今年から中学生となった息子を育てる母親です。息子が小学5年から卒業までイジメられていた事を中学入学式の日に知りました。その実態は残酷です。水面下で行われ、いじめを受けている本人は何の問題もないように明るく生活し続けていました。いじめの中心人物は自分の親に私の息子の悪口を毎日言い続けています。何年もの間だそうです。母親はそれを増長するありさまで、町内にも言い回られ、何が正しいのか、誰が悪いのか、親の私でさえ分からなくなり気が狂いそうでした。しかし問題を一つずつ解明していく中で、生真面目で不器用な息子だから…という理由に当たり、やり切れない想いで張り裂けそうになりました。息子は空手の有段者であり、暴力は何の解決にもならぬと信じ、説得を続けたそうですが、いじめは悪化。イニシャル(例えば雄介死ね=YS)で叫ばれたり突然逃げられたり。ばい菌扱いだったそうです。小学校には教育相談という場があり、息子はそこへ足を運んでいます。それでも普段の明朗快活な息子が深みにはまっているなど誰も気付かなかったそうです。懇談会では褒められた事しかなく、先生方が何か隠しているとさえ考えました。そんな現状なのです。大人が気付くのは何かが起こってからなのです。私は幸いにも入学式で変な行動をしている息子に気付き、帰宅してから尋ねる事が出来ました。それでも、話し始めてから告白されるまで3時間を要しました。ずっと「ほっといてくれ」と泣き叫ぶばかりでした。話した後はいくぶん楽になったのか「また頑張れるよ。ダメになったらまた聞いてね」と笑顔を作って通学しています。早く傷が薄くなる事を願ってやみません。昨日「わたしたちの教科書」といういじめをテーマにしたドラマを見た後、布団の中に小さく包まっている息子を見つけました。「どうしたの」と聞くと「あの子死んじゃったね。怖い話だった。生きてるっていいね」と泣いていました。息子の頭に、そう遠くない過去に「死」が過ぎったのはおそらく間違いないと思われます。本当に大事に至る前に気付いてやれて、私は幸せです。いじめはなくなりません。大人が騒ぐほど悪質になって行くようです。子供たちの心身の成長より、メディアや近所の噂話が浸透する速度のほうがはるかに速いです。地域ぐるみで傍観されては成す術がありません。当然でしょう。みんな永住するんです。自分や子を騒ぎの中へ飛び込ませるわけにはいきません。長くなりました。つい最近のことなので気持ちの整理が今ひとつのようです。また拝見させていただきます。ありがとうございました。

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