教育改革論議の今後;正月社説から
4日朝刊で毎日と朝日が教育改革をテーマに取り上げた。毎日は<07年もっと前へ>シリーズの2本目で、タイトルは<「教育改革」/熱い論議を絶やすな/現場に根ざしたビジョンを>。長文の1本社説だ。「学級崩壊や少年事件続発、教師非行まで『ゆとり』が一因であるような論法がまかり通り、そもそも『ゆとり』が何を目指したのか、なぜ生かしきれなかったのか――など基本的なビジョンに立ち返って議論されることがあまりに少ない」と言う。「まず教育現場の実際に立って考え、論じ、そこからスタートしたい」と現場密着の改革を主張する。
朝日の<教育の明日/速効を求むべからず>は明治初期のエピソードを紹介する。世の乱れを嘆き道徳教育の強化を求めた明治天皇の「教学聖旨」に対して時の内務卿、伊藤博文は「教育義」を奏上して「教育は水がしみこむようにゆっくりと進めるものだ」と反論したという。それを例に社説は「学校の制度をめまぐるしく変えるよりも、じっくりと取り組む。悪いところばかりに目を向けるのではなく、うまくいっている教室に学び、広げていく。今年こそ。そうした発想ができないか」と論じている。
<谷口のコメント>
◎教育改革論議は早や消化試合か?勢いを欠く社説◎
毎日、朝日とも改革を論議する「態度」を論ずるのみで自らの考え、主張が見えない。ゆとり論議の在り方に疑問を呈する毎日社説は社説子自身が「ゆとり路線」をどう考えているかは分からない。社説自身の主張が見えないのは朝日も同じだ。改正教育基本法によって進められて行くだろう改革の方向にはどのようなものが予想され、それをどう評価し対応すればいいのか、など差し迫った問題には何も答えようとしていない。知識を披瀝しているだけで教育改革にかける年頭の熱意とでもいうものがあまり伝わってこない。
教育社説に勢いと熱がないのは教育基本法改正がすでに昨年中に成立したことが大きいのではないか。毎日社説も冒頭に「『目的は果たした。もういい』というわけとは思いたくないが、安倍晋三政権の教育改革論がどこか勢いを欠き、議論も締りがない」と書いている。自ら(社説)の勢いのない責任を他に転嫁する感は免れないが、確かに言うような状況ではある。安倍教育改革の真の狙いが憲法改正にあり、教育基本法改正がその露払いだったとすれば、そしてその見方は1面で当たっているのだが、政治的イッシューとしての安倍教育改革はすでに新しい局面に入った、と見るべきだろう。(10月13日付け「安倍
教育家改革の真の狙いは?」参照
http://toranosuke.typepad.jp/blog/2006/10/post_4285.html
教育再生会議で論議されているような個々の改革は、改正基本法が定める教育振興基本計画(愛17条)に盛りこまれるものである。それとは別に基本法改正の中心的な狙いは日本の伝統的な価値を見直す社会づくりというところにあるのではないか。それはいわば、左派系の学者が言うように「国民精神統制」運動とさえ言えるものだが、新聞はその深みから報道、論説を展開してきただろうか。「なぜ、早くも失速気味と感じさせるのか。(安倍改革論議の)『底』が浅いからだ」(毎日社説)と言う指摘はマスコミの側にこそ当てはまるという自戒を持たねばならないだろう。
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