近松門左衛門の里
義弟の49日で帰った故郷のJR鯖江駅(福井県)で、駅前広場の正面にある大きな広告塔が目に入った。「日本の文豪 近松門左衛門のまち さばえ」。葬儀で来たときは気がつかなかった。鯖江市役所のホームページを見ると、4月3日に大型広告塔がリニューアルされたとの記述あるから見ていたはずだが、気持ちが沈んでいて風景が目に入っていなかったのだろうか。
江戸元禄期に活躍した歌舞伎・人形浄瑠璃の劇作家、近松は確かに文豪と呼んでおかしくないが、この町で育った自分が近松のことを郷土ゆかりの人と知ったのはわずか10年ほど前である。実家近くの橋のたもとに「近松門左衛門の里」という広告塔が突然建てられて初めて知った。市役所勤めだった義弟の話だと、1995年に鯖江で世界体操選手権が開かれたのを機に「何か世界に誇れるものを」と市を挙げて探して見つけ出したのが近松門左衛門だったという。
ものの本によると。出生地について山口県萩、佐賀県唐津など諸説があるというが、近松が幼少年期をわが町、吉江町で過ごしたことはまず間違いないように思われる。父親は福井藩士だったが、松平家が3男のために吉江藩2万5千石を切り出した際に60人近い家臣団の一人として吉江に赴任した。門左衛門(幼名・次郎吉)は2歳だった。父親は10数年後に吉江藩をやめて京都に出るが、このあたりから次郎吉の消息は不確かになる。1683年、浄瑠璃「世継曽我」が人気となり、華やかなデビューを果たした後は人気作家の道を驀進した。
それにしても幼児期から中学生時代までを過ごした郷土の先輩、近松のことを小学校でも中学校でも教えられたことがない。10歳前後歳の離れた義理の妹たちに聞いても「習わなかった」と言う。先生たちはどうして教えてくれなかったのだろうか。近松の代表作といえば「曽根崎心中」「心中天網島」「女殺油地獄」などなかなか小中学生には教えにくい作品が多いからだろうか。多分そうではなくて、教育する側の目が郷土に向いていなかったのではないか。戦後民主教育の弱点のひとつと言えるかもしれない。今、母校である鯖江市立・立待小学校や中央中学校で近松がどう取り上げられているかは知らないが、地元人形浄瑠璃劇団「たちまち座」が結成され、秋にはにぎやかに「たちまち近松フエスティバル」も開かれるらしいから「世話物の文豪」近松も今後郷土に根を下ろしていくだろう。
駅前の観光案内所で「近松ものがたり」(市教委編集・発行)を400円で買って読んだ。近松が吉江藩で過ごした少年の日々が想像でつづられている。吉江藩は4代福井藩主の死去に伴い当主が5代福井藩主になったため30年で幕を閉じたが、物語には今も残る城下町特有の七曲などよく知る風物が登場して親しみを覚えた。学校の先生が一言でも近松のことを教えてくれていたら、てくてく歩いて通学した七曲の道もまた違った思いを幼少期の自分に与えてくれたかもしれない。
江戸元禄期に活躍した歌舞伎・人形浄瑠璃の劇作家、近松は確かに文豪と呼んでおかしくないが、この町で育った自分が近松のことを郷土ゆかりの人と知ったのはわずか10年ほど前である。実家近くの橋のたもとに「近松門左衛門の里」という広告塔が突然建てられて初めて知った。市役所勤めだった義弟の話だと、1995年に鯖江で世界体操選手権が開かれたのを機に「何か世界に誇れるものを」と市を挙げて探して見つけ出したのが近松門左衛門だったという。
ものの本によると。出生地について山口県萩、佐賀県唐津など諸説があるというが、近松が幼少年期をわが町、吉江町で過ごしたことはまず間違いないように思われる。父親は福井藩士だったが、松平家が3男のために吉江藩2万5千石を切り出した際に60人近い家臣団の一人として吉江に赴任した。門左衛門(幼名・次郎吉)は2歳だった。父親は10数年後に吉江藩をやめて京都に出るが、このあたりから次郎吉の消息は不確かになる。1683年、浄瑠璃「世継曽我」が人気となり、華やかなデビューを果たした後は人気作家の道を驀進した。
それにしても幼児期から中学生時代までを過ごした郷土の先輩、近松のことを小学校でも中学校でも教えられたことがない。10歳前後歳の離れた義理の妹たちに聞いても「習わなかった」と言う。先生たちはどうして教えてくれなかったのだろうか。近松の代表作といえば「曽根崎心中」「心中天網島」「女殺油地獄」などなかなか小中学生には教えにくい作品が多いからだろうか。多分そうではなくて、教育する側の目が郷土に向いていなかったのではないか。戦後民主教育の弱点のひとつと言えるかもしれない。今、母校である鯖江市立・立待小学校や中央中学校で近松がどう取り上げられているかは知らないが、地元人形浄瑠璃劇団「たちまち座」が結成され、秋にはにぎやかに「たちまち近松フエスティバル」も開かれるらしいから「世話物の文豪」近松も今後郷土に根を下ろしていくだろう。
駅前の観光案内所で「近松ものがたり」(市教委編集・発行)を400円で買って読んだ。近松が吉江藩で過ごした少年の日々が想像でつづられている。吉江藩は4代福井藩主の死去に伴い当主が5代福井藩主になったため30年で幕を閉じたが、物語には今も残る城下町特有の七曲などよく知る風物が登場して親しみを覚えた。学校の先生が一言でも近松のことを教えてくれていたら、てくてく歩いて通学した七曲の道もまた違った思いを幼少期の自分に与えてくれたかもしれない。
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